第8節:醜悪な所業
ふたりはそれきり黙ったまま歩き、目的の場所に着いた。
「踊り場に、大きな姿見・・・これやな」
何故か、その階段の踊り場には鏡が設置されていた。
薄暗い中で見る鏡は曇っていて、階段自体も埃っぽい。
口の中がざらつくような空気は、絡み付くように静かで冷たかった。
冬子には、その場所がひどく不気味に思えた。
「なぁ、サエちゃんとコマッチ、付き合ってたんやろ?」
春樹が不意に告げた言葉に、冬子はうなずいた。
「んで、妊娠、退学か」
春樹は、特に何も感じていないような口調で言う。
―――サエの入院は、流産による失血が原因でした。
彼女の母親の話によると。
サエの腹部には、外部から強い衝撃が与えられていたらしい。
それも、腹部に消えない痣がつくほどの衝撃を、何度も。
冬子は、彼女がそうなる直前に話をしていた。
その時、サエは言ったのだ。
―――あんたは私のようになるな、と。サエは言ったんです。
冬子は、強く両手でスカートを握り締める。
彼女は、何かを予感していたのかもしれない。
サエは。
自分の悩みを、話すような人ではなかった。
いつも明るくて、快活だった彼女が。
少しずつ元気をなくして行くのを、冬子は間近で見ていた。
何を聞いても、気にしなくていいと言って。
そして今回の事が起こった。
サエと付き合っていた駒道の性格を考えると、もう、一つの想像しか浮かんでこなかった。
―――私は、許せない。
駒道は。
サエを妊娠させたあげく。
学校にバラして退学に追い込み。
腹を蹴って流産させ。
二度と子どもの産めない体にした。
―――私は、あの男が、どうしても。
だから近づいた。
あの男に、謝罪させるために。
でも、あの男は。
「トーコ」
握りしめた冬子の手に、そっと、春樹が手を添える。
「怒るのはええ。でも、憎んだり恨んだりしたら、あかん」
静かな口調で言う春樹に、冬子は涙のにじむ目を上げる。
春樹の目は、冷静だった。
「サエちゃんは、助かる。無事に、とはいかんやろうけどな」
春樹は言い、姿見に目を向けた。
同じように冬子が目を向けると、春樹は階段を上って姿見に向かって手をかざした。
「今から、俺がトーコに見せるもんは、人の業や」
ぬめりつくような空気の気配が。
一段と、濃くなる。
「よぉ見ぃや。誰でも、こうなってまう可能性があるっちゅー事を―――魂に刻むんや」
目を細め、軽く息を吸った春樹が、囁いた。
「〝顕現〟……」
春樹の手に、揺らめくように何かが顕れる。
指の隙間に握られたそれは。
古ぼけた、一葉の紙片だった。
一瞬見えた紙面には、見たこともないような文字が青い燐光で綴られている。
紙片は、すぐに溶け崩れて春樹の手にまとわりつき、姿を消した。
―――今のは?
と、冬子が問いかける間もなく。
鏡の奥から。
無数の白い小さな手が伸びて来て、春樹と冬子の体を掴む。
―――――――――!?
そのまま。
冬子と春樹は、手に掴まれて、鏡の中に引きずり込まれた。