第5節:言葉の毒
「ま、ええか。だいぶ〝見えた〟しなぁ」
春樹は。
駒道の険しい顔を見ながら軽く言い、首を回した。
「よ、昨日の今日でお久しぶりやなぁ、イロオトコ」
「……親切な人が、君が冬子ちゃんを連れ回していると教えてくれたんです。君はこの学校の生徒じゃないでしょう? 一体、何をしているんです?」
駒道の声にはトゲがあった。
だが冬子は、その様子に違和感を覚える。
春樹が、冬子の前に進み出た。
すれ違い様、彼がにやりと笑う。
昨日、一瞬だけ見せた鋭い色を浮かべた目で。
「こんな学校みたいな狭いとこで、人気者気取るんも大変やなぁ。ほんまにキレてるのに、わざわざ顔作って『キレてる演技』をしなあかんねんもんなぁ?」
その言葉に。
冬子は自分が、駒道の表情にを持った理由を悟った。
駒道の、怒り顔に対する違和感。
それは、普段に比べて彼の怒り顔が〝綺麗すぎた〟からなのだ。
『誰か』に聞いて、
『校内に入り込んだ危ない不良』に、
『言葉をしゃべれないかわいそうな自分の彼女』が絡まれているのを、
『勇気ある自分』が助けにきた。
きっと、彼にとって学校で誰かに絡む理由は、そうでなければ、ならないのだろう。
怒り顔の演技、なのだ。
今の、駒道の顔は。
善良な『彼』は。
春樹の存在に気付いても動けなかった。
『学校の人気者』である為に。
そして、春樹の挑発に図星を刺されたせいだろう。
綺麗な怒り顔を張り付けた駒道の顔が、一瞬、いつもの醜悪な感情を覗かせて歪んだ。
彼は、他人にバカにされるのを、なにより嫌うタイプの人間だ。
そして、自分に汚点がつく事も。
完璧主義者、と言えば聞こえは良いが。
要は、ミスを隠すためならどんな汚い事でもする人間、と言い換えることも出来る。
「……僕の質問に答えてください」
それでも、ここが学校だからだろう。
駒道は口調を抑えていた。
「大したことちゃうで。俺は、コマッチのことを調べとったんや」
春樹が、駒道を指差す。
冬子から、彼の表情は見えない。
でも春樹は、普段通りに笑っているのだろう、と、冬子は何故かそう思った。
「な、お前、なかなかうまく猫かぶっとるやん? 成績優秀、運動もできる。適度に社交的で適度に砕けてる。教師受けもいいし、クラスの中心や。悪い噂をほとんど聞けへんかったわ」
笑みを含んだ言葉を投げていた春樹が、そこで声色を変えて吐き捨てた。
春樹の放つ雰囲気が、変質する。
「でもな、そんなええとこだけの人間、この世におるわけあれへんやん?」
冬子は。
春樹の背中が、威圧的に膨れ上がったような錯覚を覚えて。
息を、呑んだ。
正面からその威圧を叩き付けられた駒道は、どんな顔を見たのだろう。
一瞬にして、顔色が青ざめていた。
だが、春樹の威圧感はすぐに消える。
「コマッチな、自分は演技が得意やと思ってるみたいやけど、ちょっと自分を隠しきれてへんねん。ド汚い本音の自分をな」
続いて紡がれた春樹の声音は、いつも通り飄々としていた。
「それが『学校の人気者』っていう地位に現れてんねや。ホンマに自分を隠すなら『平凡な一生徒』のほうがよっぽどええはずやからな」
駒道の口元が、軽く引きつった。
思わず舌打ちをしようとして、こらえたような印象を冬子は受ける。
反対に、春樹の背中からは余裕の雰囲気が漂っている。
「ダイコン役者が下手にカッコつけた演技するから、結局ボロが出んねん」
春樹が、歯を噛み締める駒道に対して、そろりと牙を立てる。
じわじわと、なぶるように。
「俺、前に子ども探しとる言うたやろ? どうもその子、コマッチとトーコの周りにおるみたいでなぁ。いろいろ聞いて回っとったら、おもしろい話が聞けてん」
一度言葉を切って、春樹は校内であるにも関わらずタバコを取り出してくわえた。
煙を吐いてから、続ける。
「最近、女の子が一人ガッコやめたらしいねん。どうも、付き合ってた誰かにフラれたみたいでな。そのフラれた理由は分からんかってんけど、フった相手は最近、妙なモンにまとわりつかれて気味悪がっとるそうや。しかも、それと前後して、学校に幽霊が出るって噂が・・・」
「やめろ!」
駒道が、声を震わせながら制止するが、春樹は聞かなかった。
「……噂があってな? その、やめた子をフった男が、ある女子生徒にまとわりつき始めた時期とも重なっとってな?」
「やめろっつってんだよぉッッ!」
駒道が、醜悪な顔で春樹に掴みかかり、胸ぐらを掴みあげた。
冬子は、息を呑む。
しかし春樹は、何でもないようにもう一息タバコを吸った後。
おもむろに、そのタバコを駒道の手に押しつけた。
「ぎぃ……ッ!?」
「あーぁ、もったいな」
春樹は、駒道にぐりぐりと火が消えるほど押しつけてから、残念そうな声で言い。
吸い殻を取り出した携帯灰皿に、落とした。
駒道は思わず手を離した後、火傷を反対の手で押さえながら悶絶している。
「こんなところで暴れたらあかんやろ。誰かに見られたら、せっかくの人気者ポジションがおしゃかになってまうで?」
「て、めぇ……!」
「放課後まで待ちぃや。そしたら俺も相手したるやん。お前、知ってんねやろ? このガッコん中で、タイマン張ってもバレへんとこくらい?」
終始狼狽で歪んでいた駒道の顔が、この日初めて剣呑な色を帯びた。
「この、チビ野郎……てめぇ覚悟できてんだろうな……?」
春樹は小柄だ。
対して駒道は、マッチョではないが引き締まった長身である。
一対一の喧嘩で、春樹に勝ち目があるとは思えなかった。
だが、余裕を崩さない態度で春樹はうなずく。
「……後で、旧校舎の三階、東階段の上まで来い。逃げんなよ?」
唸るように言う駒道に、春樹はしっし、と手を振った。
「さ、そろそろ授業始まるで。行きや」
鳴ったチャイムの音を聞いて、駒道は舌打ちする。
「冬子。行くぞ」
最早取り繕う事すらなく偉そうに顎をしゃくる駒道に、冬子が反応する前に。
昨日と違い、春樹は口を挟んだ。
「悪いなぁ。トーコは今から授業サボって俺とデートやねん。ほら、目を離してる隙に悪い虫にイタズラされたら困るやろ? ……人質とか、なぁ?」
と、春樹は振り向いて冬子を見た。
春樹は。
最初会った時とぜんぜん変わらない、茶目っ気のある笑みを浮かべていた。
冬子はそれが、少し怖くて。
同時に、とても安心した。
「さ、行くでトーコ」
差し伸べられた手を、冬子は迷いなく掴む。
「ああ、最後に一つだけ忠告しといたるわ」
忌々しげにこちらを睨む駒道に、春樹は言う。
「お前の持ってる手札は、何者でもないカード……ジョーカーや」
そう、告げた春樹の目は。
全てを見透かすように、遠い色を浮かべていた。
「札を捨てる時は、きっちり、ハートのKを宣言しいや?」
「あ?」
「でなきゃ、『ダウト』を宣言されて捲られた札の柄がーーー不吉の象徴に、なってまうからなぁ」
意味のわからない言葉に、ぽかんとする駒道を置いて。
春樹は、冬子を連れて学校を出た。
校門を見張っている教諭に堂々と『早退です。兄の梅咲春樹です』と嘘をついて。
しかも納得させてしまった春樹に、ちょっとだけ呆れながら。
偽造の早退届なんか、いつの間に手に入れていたのか。