終節3:弱い狼、強い羊
「随分と派手な仮装やなぁ。変わるたびに酷なってんちゃうん?」
順次が『UteLs』に帰ってくるなり軽口を叩いたその少年に、彼は鼻を鳴らした。
カウンターの中では、いつも通り紅葉がグラスを磨いている。
「癪だガ、奴らハ厄介な相手ダ」
喋りにくさを我慢して順次は言い返し、ソファに腰を下ろして目を閉じた。
活力を抜く為に、しばらくじっとしていなければならない。
順次は、通常の&Dとは違い、瘴気や活力を吸う事でより強靭な肉体を得る。
力を振るうたびに死へと近づく筈の&Dでありながら、彼は力を使えば使うほど、人からかけ離れた不死者となっていく。
今は肉体から活力を抜けば人の姿に戻るが、いずれ異形の化け物となったまま戻れず、自我を保った鬼と化す。
それが順次だった。
彼は鼻からの深呼吸を繰り返し、高ぶる気持ちを押さえつける。
「奴ら、まるで、こっちの打つ手がバレてるような動きをしよる。やりづらーてしゃーないわ。裏切り者がおるんちゃうか?」
しばらく待って、順次は再び口を開く。
「どうだロウな。……確かニ相手の手際ノ良さハ、本物の夏美かト疑う程だガ、結果とシテ、相手は徐々に潰れテいる」
「さよけ」
「それに裏切り者ガ居てモ関係なイ。最後ニやるのハ、俺だかラな」
「まぁ、せやなぁ」
順次は、少し体内に満ちていた活力が落ち着いたと感じて目を開けた。
顎を触ってみると、牙が引っ込み、顎の太さも元に戻りかけている。
確認を終えた順次は、改めて会話の相手を見た。
床に描いた結界の中で、車椅子に座って首に包帯を巻いた少年。
垂れ目気味の平凡な顔立ちに金髪、そして左頬の朱いタトゥ。
八重歯を覗かせた、どこか愛嬌のある笑顔。
しかし。
「何や?」
「いや」
不思議そうに首を傾げる少年に、順次は首を振って話題を変えた。
「聞かないんだな」
「何を?」
「梅咲の様子を、だ」
「ああ」
まるで今気付いたかのような態度で、少年は、ぽん、と手を打つ。
「健康そうやった?」
「元気そうだったが、こちらには戻らんそうだ」
「さよけ。そら残念やなぁ」
「本当に残念だと思ってるのか?」
「もちろんや。この両足が動かないのと同じくらい残念やと思っとるよ」
車椅子に乗った少年は、ぽんぽんと自分の太ももを叩いた。
体を離れていた時間が長かった為、足が動かなくなっているらしい。
順次が作った組織の矢面に立つ事になった最大の理由だ。
少年の足に目を向けながら、順次は思う。
自分の身を自分で守れない人間を一番目立つ地位には置けない。
故に合理的に考えれば、現在の形が最良なのは事実だ。
だがそれでも、順次のよく知る彼なら『自分がやる』と言い出す気がした。
故に、順次は図りあぐねていた。
どこか違うと感じるが、結果として的確な選択をする、この死霊が誰なのか。
「聞きたい事がある」
「なんや?」
「お前、本当に春樹か?」
漫画のように、一瞬にして緊張感が張りつめる、などという事は無かった。
少年は、きょとんと不思議そうな顔をして問い返す。
「他に誰に見えんねん?」
「色々可能性はある」
順次がまっすぐに見据えるのに、少年が面白そうな顔をして目を輝かせる。
見抜けるなら見抜いてみろ、とでも言いたげな顔。
しかし仮にニセモノではない春樹だったとしても、この状況ならその表情だろう。
絶対に、順次の発言を面白がる。
それが演技か、本当なのか。
「聞こか。どんな可能性や?」
「まず可能性①。お前が本物の春樹である可能性」
「いや、話進まんやん。それお前が勝手に疑ってるだけやん」
「そうだな。だが一番可能性が低いと思ってるから、最初に言ってみた」
「めっちゃ信用ないなぁ。まぁええわ。次は?」
「可能性②。お前が、春樹の真似をしている夏美である可能性」
「ほーほー。理由は?」
「夏美は、春樹を慕っている。もし死霊になったなら、春樹が大切にしていた梅咲を取り戻すために、利用出来るものをなんでも利用するだろう。まして今はどうにも身動き出来ない」
「守るて、守ろうとしたトーコ、今は敵やん」
「そうだな。が、フミと共に実際の作戦を立てているのはお前だ。梅咲が王を産み落として自由になるのを待っている可能性がある」
「なるほど。俺が夏美なら、トーコを殺させへんやろって事やな。でもそれ、あえて俺の真似する必要あるん? 正直に夏美やゆーて、順次に協力したらえーやん」
「そうだな。まぁそれでも、お前が春樹本人である可能性よりは高いと思っているが」
「いちいち言わんで良くない? ニセモノ扱いって結構傷つくんやけど」
「さて、可能性③だが」
「シカト!? ちょ、ヒドない!?」
「ヒドくない。可能性③だが。これが一番信憑性がありそうな説だ」
「ないない。ないわー。その可能性が一番無いわー」
「まだ何も言ってないが」
「当ててみせよか?」
「言わせろ」
「ならどうぞ」
順次は少年の顔を正面から見据えて、言った。
「お前、アスモデウスだろ?」
少年は、真顔で順次を見返して来た。
だがやがて、堪え切れなくなったように口許が緩み、笑い声を上げ始めた。
腹を抱え、痙攣する程の笑い。
徐々に気分が悪くなって来た順次は、しかめっ面で言った。
「笑い過ぎだろう」
「いやゴメン。あまりにも予想外やったもんで」
涙を浮かべた目尻を擦り、少年が体を起こす。
「俺がアスモデウスやったら、それこそ此処に居る理由ないやろ。なんで回帰教に帰らんねや? 自分の組織やで?」
「もし五体満足なら帰ったかもな」
順次は即座に答えた。
「だが俺は、回帰教がそこまで身内に甘い組織だとは思っていない。それこそ、隙を見せたら仲間だろうと喉元喰い破るような奴らだろう。その相手がアスモデウスだろうと例外じゃないはずだ」
わざと馬鹿にしたような笑みを、順次は浮かべた。
「梅咲に宿れず、両足も動かせないような死体に住み着いたアスモデウス。殺すのに、これ以上の好機はないだろうな」
しかし嘲笑に対しても、少年の楽しげな表情は揺るがない。
「面白い話やけど。じゃあ、トーコの腹の中に居るんは誰なん?」
「さぁな。そこまでは知った事じゃない。俺が感じたのはお前に対する違和感だけだ。まぁ、梅咲の態度からして、案外本物の春樹でも中に入ってるのかもな。その位はやりかねない奴だ」
「順次は賢いなぁ。空回り気味やけど」
心底感心したように、少年はうなずいた。
「で、結局お前は何がしたいん?」
「俺はただ、お前がアスモデウスかどうかを訊きたかっただけだ」
「ちゃうよ。俺は、春樹や」
「そうか」
順次はうなずき、それ以上何をする気も起こらなくなった。
ソファに体を預けて目を閉じる。
「あれ。あっさり引き下がるやん」
「元々、お前が誰だろうと、ヘマをせずに『春樹』で居る限りは何をする気もないからな」
「あ、そうなん? もし仮に春樹ちゃうやん、って判断したらどうなるん?」
「お前が誰なのかによる。アスモデウスなら殺すし、夏美だったら、悪趣味な事した罰として生気でも吸うかな」
「怖ッ! じゃあ、俺が春樹や、ってお前の中で確定したら?」
「今まで通りだろう。俺は、ルールを破る奴が嫌いだ。死霊の王がアスモデウスだと、今までは思っていた。だから殺そうとしている。お前が春樹なら、梅咲は春樹を裏切った。だから殺す。お前が春樹だろうとアスモデウスだろうと、人を襲えば殺す。それだけだ」
「じゃあ、俺が誰でも関係ないやん。春樹のフリしてお前の言うルールを守っとったら、中身は誰でも良いって事にならん?」
「まぁな」
順次はあっさりうなずいた。
「意味分からんわ。じゃあ、何で疑ってるとか口にしたん?」
理解に苦しむような声音の春樹に、順次は未だに名残のある牙を剥いて笑みを浮かべる。
「なんとなくだ」
順次は、本当におかしくなってきて、喉を鳴らした。
後付けでもっともらしい理由を付け加えてみる。
「もし仮にお前がニセモノだったとして、俺がニセモノだと疑っていると知ったら? 何も無い時にでも、もしかしたら後ろから襲われるかも、という心配をさせられるから、とかはどうだ?」
「それでボロが出る?」
「かもな。自分らよりデカい、回帰教を相手にしながら思った。結局、俺が本気になったら、誰も俺には勝てない」
順次は言葉を切り、辛辣に言葉を投げる。
「雑魚を相手に、別に好きでもない腹芸をする必要はない。違うか?」
「……お前、とことん傲慢やなぁ」
「知ってる」
「てか、そもそもニセモノかどうか知りたいなら、俺とお前しか知らん事でも聞いたらええんちゃうん?」
「記憶は完璧だろ? 死霊は肉体を奪えば記憶も取り込む。お前がもし偽物なら、これからも死ぬ気で演技しろ。疑いが確信に変われば、殺す」
「えーなぁ、それ」
順次は、少年が楽し気な声音で言うのを聞いた。
「俺、そういうん大好きやねん」
「それも、知ってる」
順次は薄く目を開き、黙って全てを聞いている紅葉を見ながら、内心で思う。
―――これは、賭けだ。
春樹に対する疑いを、順次の耳に入れたのは紅葉だった。
何を考えているかは分からない。
彼は、春樹にこの店を与えたじっちゃん子飼いの、監視者だ。
彼の言葉は、じっちゃんの言葉に等しい。
彼らの目的は分からないが、順次はその情報を真実を見極める為に利用する。
順次は賭けを持ちかけ、少年はそれを受けた。
彼は冬子にも、先ほど会って同様の話をした。
肚の中の死霊の王も聞いていただろう。
二人に話をし、賭けだと匂わせる。
それが重要な事だった。
死霊の王を殺す賭け。
もし順次が冬子を次に襲った時、冬子と死霊の王を順次が殺せれば、この少年は本物の春樹だ。
順次が本当に冬子を殺せば怒り狂うだろうが、順次にとってはどうでもいい。
逆に殺せなければ、結界に入っているとはいえ、順次の浄化の力に拮抗出来るだけの瘴気を持ち合わせているこいつは、アスモデウスだ。
作戦が失敗し、『UteLs』に戻ったその足で殺す。
簡単な話だった。
自分で何かを判断するよりよほど確実だ。
何故なら。
桜散春樹は、ギャンブルに負けた事など、未だかつて一度もないのだから。




