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&DEAD  作者: メアリー=ドゥ
最終話:狼ゲーム
37/41

終節1:狼の皮を被った狼


「足下にお気をつけ下さい」


 屋敷に着くと、雨が降り出していた。


 傘を差し掛け、車から降りる冬子に夏美が手を差し伸べると、冬子は軽く自分の手を乗せた。

 ひんやりとした柔らかい感触。


 今の彼女を見たら、大半の人間がその美貌に見蕩れるだろう。

 出会った時の人間味など、どこにも見えない横顔。


 氷のようなその顔は、元の顔立ちと相まって本物の人形のように見える。


 部屋まで従う間に、数人の信者が彼女に頭を下げて道を譲るが、彼女は会釈や目配せの一つすら返さない。


 当然だろう。

 彼女は、この屋敷に関わる全ての者を拒絶しているのだから。


 目覚めた日から彼女は、何を思っているのか全く表に出さなくなった。

 だがそれは、全てを諦めたような無表情ではない。


 自らの生き方に殉ずる人間の、死すら厭わない無感情だ。


 夏美は冬子が風呂へ入る手助けをし、身支度を整えた後。

 冬子は自らの足で、元は教主アスモデウスの、今は冬子の私室となった部屋に足を踏み入れてうなずいた。


 いつものように、慇懃に頭を下げて見送る。

 冬子がドアを閉めるのを見届けてから夏美がその横にある自室に戻ると、パンツスーツのタイを緩めた瞬間に腐臭を感じた。


「嫌ですねぇ」


 思わず顔をしかめるが、同時に、仕方のない事だ、という想いも頭をよぎる。


「どうかしたんか?」


 奥のベッドルームから聞こえた声に、眉をしかめる。


「フミ。勝手に人の部屋に入らないで下さいと、何度言わせるんですかぁ?」

「ここで待つのが一番安全なんやからしゃーないやろ。監視カメラのついた応接室とか落ち着かんしや」

「見つかったら殺されますよぅ?」

「そん時は、お前とおんなじになったらえーやん?」


 言いながら、フミがニヤニヤと現れた。


「そんな気はさらさらないでしょう?」

「まぁな」


 気を緩めた呟きを聞かれたかもしれない。

 再び意識を張りつめさせながら、フミを見る。


 しかし彼は、違和感を覚えた様子はなかった。


「ほい、今週の分や」


 フミがテーブルに置いたのは、ネクロというドラッグだった。

 思わず、ため息が漏れる。


「まさか、自分がクスリやるようになるとは思いませんでしたよぅ」

「立派なジャンキーやなぁ。でも、そうしてられるのもそろそろ終わりかもせーへんで?」


 椅子に座って、からからと笑うフミを、夏美はわざとらしく睨みつける。


「どういう意味ですかぁ?」

「じっちゃんが動いた。ネクロはもうすぐ違法の品や。俺は運び屋で、金さえ払えば誰にでも色んなもんを運んどるけど……違法厳禁、や。順次に殺されたないしなぁ」


 今や順次がアタマを張る組織のサブを勤めるフミは、意味ありげに夏美に目を向けた。


「まぁ、あいつもそろそろ動く気や。お前の依頼で周りから潰すように仕向けたけどな、それも終わった。そろそろ限界やろ」

「今、【聖母】は臨月……まぁ、よく保った方ですかね。ついさっき、挨拶に来られてましたよ。まずは【聖母】と私から殺されるそうです」

「さよけ。まぁ、良い気味やとゆーとくわ。順次の言う通り、どうやって生き残ったか知らんけど、お前、夏美ちゃうねんやろ?」


 ネクロは、死霊化を誘発する薬物だ。

 それと同時に、死霊が人を襲わずに生命力を維持する、呪術によって作られた秘薬でもある。


「何でお前が人を襲わんようになったんかは知らんけど、クスリなしじゃもう保たんやろ、その体は」

「【聖母】に禁じられたものでね。人を襲うのも、乗り換えるのも。殉じるかどうかは、ま、その時に決めますよ」

「どこまでも腐れ外道やな。せいぜい頑張れや」


 フミはそう言って、部屋から堂々と出て行った。

 夏美は溜息を吐いて、フミを襲わないように連絡を入れる。


「やれやれ、ウチも損な役回りですよ。殺された上に、昔の友達からも嫌われて」


 そう呟き、夏美はテーブルに置かれたクスリを手に取ると、寝室に向かった。


 今日、順次に会ったのは余計だった。

 腐臭が増したのもそのせいだろう。


 死霊と化した身では、順次の近くにいるだけで活力を吸われてしまう。

 そして減った活力を補給する方法は二つだけ。


 他人を喰うか、クスリを呑むかだ。

 この体を使い続けたいならクスリを呑むしかない。


 自分は死体なのだ。

 減り続ける活力をこの特殊なクスリで少しでも補わなければ、フミの言う通り、とっくに腐り落ちているだろう。


 あの日。

 死霊として残れたのは、幸運か不運、どちらかの積み重ねだったのだろう。


※※※


「やれやれ。これは上手く行った、と言えますかねぇ?」


 順次が儀式を行われる冬子の元へと去った後。

 むくりと体を起こした夏美は、首を横に振った。


「死んでしまいましたが、体が元のままだったのは僥倖ですね。あのまといとか言う死霊よりも、〝三途の川〟を受けても体にしがみついていられる時間が長かったのは、ラッキーでした」


 夏美は、不注意でまといに殺された。

 自分の存在は知られていないと油断していたのだ。


 冬子に、夢以来初めて顔を合わせて、話した日の帰り。

 夏美はまといに攫われ、殺された。


 しかし、魂までは喰われなかった。

 まといは死霊となった喜びで気付いていなかったようだが、夏美は殺された瞬間に自身も死霊と化し、喰われる前に肉体の深くに魂を潜めて隠れたのだ。


 そして、機会をうかがった。

 まといと同じ、死霊に成りたての夏美では、体を奪い返してもアスモデウスと正面から戦ったところで勝てない。


 夏美の選択は、春樹がしたのと同様の選択だった。


 春樹の魂が肉体を離れないまま、死体として運ばれ。

 そっと冬子の体に移るのを、夏美は感じていた。


 今、死霊の王は意思の疎通が出来ない。

 春樹が勝ったのか、負けたのか。


 夏美には分からなかった。

 だから。


※※※


「だからこうして、ここに居るんですけどねぇ」


 夏美はネクロを一錠、口に放りこみ。

 ベッドの脇にあるナイトテーブルの引き出しを開けて中に放り込んだ。


 代わりに、中にあったものを取り出す。


 蘇った後、まといとして振る舞う事で回帰教内部に入り込む事に成功した。


 冬子は儀式により『死霊の王』の肉体である赤子を体内に宿している。

 目を覚ました冬子は、回帰教に残る選択をした。


 アスモデウスに意識を支配されているのか、洗脳されているのか。


 どちらにせよ、彼女が目覚めれば自ら回帰教に身を置くはずがない。

 順次がそう思っていたように、夏美もそう思っていた。


 しかし話す限り、冷たくはあっても冬子はまぎれもなく冬子本人であり、彼女は自らの意思で【聖母】として回帰教に残っているように見えた。

 どういうつもりで彼女が【聖母】として振る舞っているのかは分からない。


 故にそれが分からない内は、彼女に自分の正体を明かすのは危険過ぎた。

 何が真実で、何が嘘なのか。


 それが分かるのは、死霊の王が生まれ堕ちた時だ。

 だから、夏美は待っている。


 ふと、冬子の書いた文章を思い出した。


『あなた以外の死霊が、私の自室へ近づく事を禁じます』


 【聖母】梅咲冬子は、そう望んだ。

 

『永遠の肉体を得ようとしている『王』に害を成す可能性が高いのは、実は順次たちよりも、他の死霊の方々です』


 冬子は現状を良く理解していた。

 理解した上で、なお夏美を傍に置いた。


 肉体を得たアスモデウスは、しばらく自分では動けない期間を過ごさなければならない。

 その隙にアスモデウスを喰って力を得ようとする死霊は多いだろう。


 まして、死霊の王の肉体を得たとなれば。

 その力は、どれ程増すか知れない。


 だから守り手として必要だったのが【聖母】であり、子を守る為ならば自らの犠牲も厭わない死霊だったのだ。


『私も死霊ですが、私はよろしいので?』


 問い返すと、彼女は優しく微笑んだ。


 その笑顔は。

 作り物のように、冷たかった。


「—あなたがもし『王』を殺すつもりだったなら―」


 記憶の中にある冬子の文章(ことば)を、そのまま声に出して唱える。


「—私が眠っている間に既に殺している。違いますか?—」


 冬子はそう伝えてきた。

 そう、あながちそれは間違いではない。


 夏美には、冬子を殺す気はない。

 だが、生まれ堕ちた『王』が、もしも春樹ではなくアスモデウスなら。


「その時は」


 夏美が取り出して、握り締めたのは、春樹の使っていたチェーンが付いた銀のナイフ。


「ウチは、王を殺します。春兄ぃが愛した冬姉ぇを守ることが……春兄ぃが死ぬ原因を作ったウチに出来る、唯一の償いですから……」


 そんな夏美の横顔を、激しくなった雨と共に訪れた雷鳴が照らし。

 すぐに、その表情は闇に沈んだ。


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