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&DEAD  作者: メアリー=ドゥ
最終話:狼ゲーム
36/41

第8節:盲目な対話


 冬子は、気がつくと見知らぬ場所にいた。


 どこまでも深く闇が広がっているような、しかし空気が赤く滑り気を帯びているような、奇妙な場所。

 《異界》の中に似ているが、冬子は違うと感じていた。


 そこでの冬子は、自身と外の境界が希薄だった。

 体は意識すれば在ると感じるが、周囲を眺めていると感覚だけが広がり、気付けばたゆたうように浮かんでいる。


「ここは、そなたの魂の内側だ。【聖母】よ」


 声とともに。

 冬子は、ぬるりと何かが体の中に入り込むようなおぞましい感覚を覚えた。

 周囲と同程度か、それ以上に(くら)い何か。


 ぽつんと現れた〝それ〟は、見知らぬ姿をしていた。

 様々な動物の皮膚を、体のパーツをでたらめに人体に張り付けたような姿をした奇怪なそれは、頭だけが見惚れるように整った化け物。


 冬子は、ぼんやりと現れたそれを眺める。


「この姿で対するのは初めてだな、我が母君。私はアスモデウス。そなたの子にして、死霊の王である」


 脳にべったりと快楽を塗り込めるような甘い声でアスモデウスは囁き、顔の皮が引き攣れるような笑みを浮かべた。

 笑みが頬まで切れ上がったような顔で、それは冬子の頬に手を伸ばす。


「【聖母】よ。そなたの魂は、今すぐ喰らい尽くして我がものとしたい程に美しい。無垢にして、慎ましく、可憐で―――目を見張るような、執着と愛情に満ちている。その魂は、この世の何よりも愛しい」


 頬を撫でるアスモデウスの指の感触は羽毛のようだが。

 そこから感じる、縛り付けるような欲望は、タールのような粘着を伴っていた。


「ずっと探し続けていたのだ、そなたを。私にひけを取らぬ、愛情という名の色欲に満ちた魂を。私を産み落とすに足る月齢に至るまで、どれほど待ち遠しかった事か。月の巡りが合わぬのではと、どれほどに焦れたか。そなやを得るまで、幾年月を待ち侘びたか」


 それは愛の囁きに似ていた。

 慈しむような、親しみに満ちていた。


 しかしその囁きは、少しも冬子の心に届かない。


 何故なら。

 冬子が共に蜜月を過ごしたかった少年は、既に死んだのだから。


 彼女が、彼の言う無垢な愛を捧げた相手は、もうこの世に居ない。


「【聖母】よ。今度は私を愛すのだ」


 そんな冬子の心を見透かしたかのように、アスモデウスは僅かな嘲りを瞳に浮かべて。


「私は、そなたと一つになるこの時を」


 陶酔するように謳う彼は、一つ、勘違いをしている。


「この瞬間を―――!」




「―――俺も待っとったで、アスモデウス」




 彼女の愛した少年は、既にこの世にいないが。


「何!?」


 冬子の頬から咄嗟に手を離すアスモデウス。

 しかし、もう遅い。


 彼の指先に、しゅるりと、冬子から這い出した黒い魂の尾が絡み付いた。

 それは冬子からアスモデウスに乗り移ると、彼を喰らうように全身に広がっていく。


「ぐぅ……!? 貴様は……!」


 顔を歪めるアスモデウスの肩の上に形成されたのは、一人の少年の上半身。


 金色の髪に、タレ目気味の目。

 ニィ、と笑んだ口元には、八重歯。

 耳にはピアス、右頬には朱いタトゥ。


 平凡な顔立ちなのに、妙に人を惹きつける雰囲気を持つ、彼は。




 ―――あなたは、必要ありません。


 冬子はアスモデウスに告げる。


 ――――私の春樹は。死んだその瞬間から、ずっと。魂となって私の中に居てくれました。


 冬子は、小首を傾げた。


 ―――春樹がちゃんと〝居る〟のに、代わりはいりません。


 冬子の宣言と共に。

 嬉しそうに、本当に嬉しそうに笑みを浮かべた春樹が、アスモデウスを締め上げた。


※※※


「桜散、春樹ィ……ッ!」

「せやで。お久しぶりの春樹サンや、クソ悪魔」


 心の底から忌々しそうに呟いたアスモデウスに、相手を嵌めた事を心の底から楽しんでいるような様子の春樹が応える。


「残念やったなぁ。せっかく邪魔モンを排除したんやったら、きっちり魂の行方まで追っとけや。……自分が出来る事は、相手も出来る。そう思っとかんと足元掬われんねん。こんな風に、や」

「が、ぁあああッ!」


 アスモデウスの全身を春樹の黒い魂の尾がさらに喰らい付き、彼は苦鳴を上げた。


「貴様ァ、まさか、死霊に……!?」


 アスモデウスの言葉に、春樹は腕を生やして手を開いた春樹は、手品のように幾つかの二頭身人形を出現させて、宙に浮かべた。


 それは、羊の頭をした人形が9体と、狼の頭をした人形が2体。

 背景まで用意されており、そこには太陽が照っている。


 羊も人狼も、それぞれにイニシャルを付けたシャツを着ていた。


 フミ、順次、コマ、リョウ、冬子、紅葉、じっちゃん、春樹、夏美の羊と。

 アスモデウス、まといの人狼。


「流石にヤバかったで。最初に夏美を盗られたんはホンマ、予想外もえーとこやった。逆に褒めたるわ。まさかゲームが始まった直後に、夜でもないのに羊が一匹喰われてもーたんやからな」


 ナツミの文字を刻んだ羊がマトイの人狼にがぶりと喰われて消えると、Mの人狼は残った羊の頭とNのシャツを被った。 


「人狼ゲームは、羊の中にまぎれた狼を探して追放するゲームや。俺はどーも基本のルールを忘れとったみたいでなぁ。……人狼は、人狼のまんまで居らんねや。せやろ?」


 春樹が言う傍から、アスモデウスのイニシャルを刻んだ狼がコマミチのイニシャルの羊を喰らい、皮を被る。


「しかも、何匹人狼がおるか分からん。……今回は、多分2匹やろ? 別の人狼ゲームに参加してる奴はおるかも知れんけど」


 背景が夜になり、2体の人狼がハルキの羊とフユコの羊をそれぞれに喰った。

 Hの羊は血を流して死にかけ、Fの羊はKの人狼の足元に倒れる。


「さて、俺は退場させられかけとる。この状況で、他の舞台に上がっとる羊には何も伝えられん。それが、ルールやからな。で、俺は考えた訳や」


 不意に縦半分に裂けたHの羊は、右の半身が背景の裏へと周り、こっそりとFの羊の傍に寄り添う。

 その光景に、冬子は思わず微笑みを浮かべた。


 春樹が傍に寄り添ってくれる景色は、例えそれが人形であっても、冬子の心を暖かく満たしてくれる。


「じゃ、別に退場させられた羊同士は、喋ってもえーんちゃうんか、ってな」

「自ら……死霊と化したというのか……だが、何の為に……!」

「そんなん、決まってるやろ」


 春樹は平然といつもの八重歯を剥く笑みを浮かべたまま、応えた。




「トーコと一緒におる為や。他になんか、理由があるん?」




「……ッ! 肉体を失って、そんな状態で一人の女に執着する事に、なんの意味がある!?」

「は?」


 春樹は、心底不思議そうに、首を傾げた。


「だってトーコ、俺のんやし。体があるとかないとか、何か関係あるん?」


 冬子は、思う。

 アスモデウスは、勘違いをしていたのだ。


 春樹の目的が、冬子と共に生きる事にある、と。


 だから、春樹が生きたがっていると。

 生きて冬子と添い遂げたいと思っていると、そう、勘違いをしていた。


 でも、真実はそうではない。

 春樹は、冬子が春樹を想い、自分が傍でそれを眺めるーーーただそれだけの為に、生きていたのだ。


 彼の魂に直に触れて、冬子はそれを知った。


 はっきり言えば。

 アスモデウスは、春樹の狂気をナメていた。




 春樹の、冬子に対する執着(あい)を、ナメたのだ。




 彼は、冬子を愛してくれている。

 他の誰にも渡したくないと、そう思ってくれていた。


 そして〝それしか〟考えていないかった。


 縛るように、閉じ込めるように。

 自分に体する蕩けるような愛情を、他の誰一人として、冬子の視界には入れさせたくない程に求めていた。


 だから。

 冬子を誰にも渡さない為に、自分の命を捨てなければならないなら。

 それをあっさりと実行し、〝次〟の機会を狙ったのだ。


 春樹を愛する冬子を、すぐ傍で眺められれば、彼にとっては自分の生も死もどうでもいい。


 それが、桜散春樹という存在なのだ。


「確かに、賭けやったで。俺が死霊になれるんかどうか、お前が気付くんかどうか、冬子の中に入れるんかどうか。全部賭けやった。でもな―――」


 舐めるようにアスモデウスの耳元に口を寄せ、春樹が囁く。


「俺はな、ギャンブルに負けた事は、一回もない。そういう風にな、生まれついてんねん」


 アスモデウスは、彼に対して嫌悪を浮かべた。

 

 冬子は思う。

 ああ、やはり、この死霊はその程度なのだと。


 ーーー理解出来ないのですね。


「何?」


 冬子が心の声を漏らすと、それを聞きとがめたアスモデウスが冬子を見る。


 彼女は嗤う。

 所詮、滑稽な道化に過ぎない、ただ旧くから在るだけの死霊アスモデウスを。


 ーーー春樹を嫌悪する。それは貴方が、春樹を理解出来ないという事です。


 嫌悪、という感情は、理解し難いものに対して抱く感情だ。

 理解出来ず、おぞましいと感じるものに対して抱くもの。


 春樹の執着を理解出来ない、おぞましいと思う、そんな程度の狂気で。


 ーーー貴方程度が、私を我がものにしようなんて。身の程を知って下さい。


 小首を傾げた冬子は、自分の髪がさらりと首筋を撫でるのを感じた。


 ーーー貴方に、ひけを取らない? ……その程度だと思われていたなんて、侮辱です。


「全くやで。トーコ。ホンマ、お前は俺には勿体ないくらいの美人さんや」


 アスモデウスを喰らおうとしながら、その同じ魂で、優しく冬子に微笑みかける春樹は。

 

 ーーーいいえ。私は春樹のものです。魂の底から、全て、春樹のものですよ。


「嬉しいなぁ」

「何なのだ、何なのだ、貴様らはァアアアアッ!!」


 アスモデウスが、ついに絶叫した。


「理解出来ん……この力も、貴様らの在り様も、全く気色が悪いッ! そんな理由で始祖となったというのか!? だが、たかが人間の死霊ごときが、親和もせぬまま始祖となったところで、これほどの力は得られんだろうがっ! 自身の肉体も喰らわず、この私に対抗出来るほどの力を、どうやって……!?」

「言うたやろ」


 まるで出来の悪い教え子を諭すような口調で、春樹が真横にあるアスモデウスの顔にまた、囁く。


「俺は、特別なんや。順次と同じでな。俺は&D(アンデッド)やけど、親和する死霊はおらん。それがどういう意味か、お前なら分かるやろ?」


 春樹の言葉に、アスモデウスの顔が強張る。


「貴様……死の獣、か。〝概念死〟の体現者……!」

「ご明察。そう、〝概念死〟の神話篇が、俺の持つ力や」


 ますます締め付ける力が強くなるのに、必死に抵抗するアスモデウス。

 小物だが、地獄の主と呼ばれる程に力を高めただけあって、その力は死霊となった春樹とも拮抗する位の瘴気を放っている。

 決着には、まだ時間が掛かりそうだった。


「貴様は、危険過ぎる……!」

「死が危険じゃない訳ないやん。俺は、短命にして、悪運に座し、与えられたのと同じ苦しみを相手に与え、在るだけで瘴気を生み続ける存在や。自分で瘴気も生み出せず、喰って溜め込むしか能のない他の死霊如きとは一緒にして欲しないわ」


 言って、春樹は人形に目を戻した。


「さ、続けよか。人狼ゲームはまだ終わっとらんで」


 半分に別れた春樹と冬子を舞台の脇に移動させ、春樹は、再び背景を昼に戻した。


「ここまでで、仲間の羊を殺された奴らは考えた。『人狼なんかまだ居らんかった筈やのに、何でゲームが始まった? これは、ルール違反ちゃうやろか』」


 人狼羊以外の5匹の羊達がより集まり、夜の景色が、彼らの前に現れたテレビに映る。


「『始まる前に羊の皮を奪うような奴らに、遠慮したる必要ないなぁ』」


 そして羊達は皮を脱ぎ捨てた。

 1匹は鬼に。

 1匹は眼球に。

 3匹は黒いスーツの極道に。

 

「そうして、お前を狙いに来とった。会ったやろ? 上手い事トーコの中に逃げ込んだけど、さて、これから先も逃げ切れるんかな、お前は。まず、俺から逃げんとなぁ」

「ほざけ! 私は、アスモデウス……! 七つの大罪が一人である!」

「肉欲まみれの色欲如きで、俺のトーコに対する愛は超えれんよ。な、大人しく喰われよや?」


 必死で抵抗するアスモデウスと春樹の姿が、少しずつ遠ざかる。


「んじゃ、トーコ。ちょっとの間、お別れや」


 いつも通りの、悪戯っぽい笑顔で。

 春樹は、アスモデウスよりなお強い、愛おしむような執着を秘めた目を冬子に向ける。


「なぁ、愛してるで、トーコ」


 春樹は言う。


「良かったなぁ。親友のサエは、死ぬまでお前と一緒や。そんな俺は、お前からもう一度産まれるんや。超ハッピーやなぁ?」


 まるで、それで当然であるかのような春樹の物言いに。

 冬子は微笑んで、うなずいた。


 ―――はい。私も、愛しています。春樹。


「巫山戯るなよ! どれだけ待ったと思っている!」


 最早なりふり構わず逆に春樹を喰らおうとする、アスモデウスが、叫ぶ。


「貴様が〝概念死〟だと言うのなら、瘴気そのものを生み出す存在だと言うのなら、その全てを喰らい尽くし我が力としてやるぞ! 死霊の王と成るのは、この私だ……ッ!」

「やかましいわ。そんなちっこい目的はどーでもえーねんて。―――トーコは、俺のモンじゃ。誰にも渡さんで」

「滅びぬ! 滅んで、たまるものかァアアアアアッ!!」


 春樹たちの姿が、さらに遠ざかる。

 いや、遠ざかっているのは、冬子の方なのだろう。


 目覚める気配。

 それを、冬子は自分の中に感じていた。


 喰らい合う死霊の姿は、もう、それぞれを識別できない一つの塊にしか見えない。


「王は私だ……! 受肉し、この世の支配者となるのは……!」

「トーコ。お前の肚は、こんなゴミにゃ渡さんで。お前から生まれるんは―――俺や」


 全てが、闇に消え。

 音も動くものもなくなった中に、ぽつんと二つ、光が灯る。


 光は、まぶたの隙間から差し込むもの。

 ゆっくりと目を開いて。


 冬子は、目を覚ました。

 


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