第7節:禍々しき祝福
「こらマズいわ」
フミは、冬子の居る部屋のドアを開けるなり呻いた。
部屋の中はまだ昼間だと言うのに何故か薄暗い。
部屋の中からドアを抜けて吹き付ける瘴気は異様な冷たさ伴って、吸い込むだけで魂を削るような怨嗟に満ちていた。
完全に《異界》の領域と化している。
部屋の中央では、冬子が死んだような目で魔方陣に膝をつき。
その前に、まるで威嚇するかのように、黒く巨大な死霊が立ちはだかってフミ達の方を見ていた。
いや、化け物が見ているのは、正確にはフミの方ではなく、フミらと死霊の間に立っている駒道だ。
「化け物……!」
フミの隣でリョウが目を見開くのに、駒道の姿をした誰かが振り向いて、フミの能力で見たのと同じ、透明な笑みを浮かべた。
「ようこそ、招かれざる客よ。しかし、可哀想な言い草だな、亮くん。君自身の妹に向かって」
そう言って、駒道の姿をした誰かは化け物を指し示した。
フミは瞬時に彼の言葉の意味を理解する。
死霊化能力。
それは、春樹らにちょっかいを掛けた&Dが持っていた能力だ。
「あれ、サエかい……流石悪魔やな。やる事がエゲツなさ過ぎるわ」
「おや、私の事を知ったか」
「あんだけ派手に動いて、バレへんと思っとったんか? アスモデウス」
フミの言葉に軽く肩を竦めて、駒道―――アスモデウスが事もなげに答える。
「いいや。どうでもいいと思っていただけだ」
「あれが、サエ……?」
信じられないのか、それとも信じたくないのか。
リョウは、化け物に食い入るように視線を据えたまま、首を横に振った。
「嘘だ……」
「おやおや。実の兄に信じて貰えないとは、報われないな」
アスモデウスが、楽しげに化け物に語りかけて、腕に嵌めた時計を見る。
「時間だ。では、出会ったばかりだが、御機嫌よう」
無造作に冬子に近づこうとしたアスモデウスに対して、死霊と化したサエが身をたわめる。
巣の近くに近づいた敵を威嚇する肉食獣のような所作。
しかしアスモデウスは、歩みを止めなかった。
その、アスモデウスに対して。
サエが背中に生えた尾を、ゆらり、と持ち上げ。
次の瞬間には、ドン、と重い音を立てて、アスモデウスの胸を刺し貫いた。
「え?」
フミは一瞬状況が理解出来なかったが。
「くはは。―――成就せり」
アスモデウスの言葉と共に、それまでとは比較にならない瘴気が部屋の中を満たして、フミは全身を怖気立たせながら、全てを見る。
胸板を貫かれながら嗤う駒道から、濃厚な瘴気を放っている『何か』が抜け出し、ゆっくりと冬子の体を覆うように移動を始める。
それがアスモデウスだと、フミは直感した。
アスモデウスが抜け出た駒道の体は、瘴気に当てられ続けた影響か、溶け崩れるように黒い粒子と化して消滅していく。
我に返ったフミは、怒鳴った。
「冬子! その場から離れんかい!」
しかし、フミの呼び掛けは冬子に届いていないようだった。
この場に留まり続けるのはマズい、とフミの冷静な部分が警告している。
しかもこの場で、フミに出来る事は、もう何もなかった。
儀式は、完成したのだ。
フミが、逃げるためにリョウに声を掛けようとした時。
不意に、ふらっと。
リョウが、部屋の中に足を踏み入れた。
※※※
「あかん、戻れリョウ!」
そう掛けられるフミの声は。
リョウの耳には、ひどく遠かった。
寒い。
寒い。
そう思いながらも、リョウは足を踏み出す。
彼は瘴気に当てられていた。
リョウは、&Dでも何でもない、普通の人間だ。
この場に満ちる瘴気の浸食に抗う術など、まるで持ち合わせていなかった。
彼の脳裏を支配しているのは、疑問だった。
何故、と。
何故こんな事になってしまったのか。
父親に反発し、ゲーセンに入り浸ったからか。
そこで、駒道やまといに出会ったからか。
出会った事で、父親の介入を受けたからか。
全ての歯車は、一体どの時点で狂い出していた?
部屋に踏み込んだ事で、完全に異界の気に呑まれ、リョウは正気を失っていた。
駒道の次に近づいてきた自分を狙い、彼を見据える化け物の姿に。
生きていた頃のサエの姿が重なる。
サエ。
俺の妹。
母親もいない、父親も帰らない家で、一緒に生きてきた。
大事な。
「何でお前が……死んでまで、そんな」
孕まされて。
捨てるように殺されかけ。
生きて戻ったと思ったら、今度こそ本当に殺されて。
「お前が、何でそんな目に遭わなきゃならなかったんだ……サエ」
気の強い妹だった。
喧嘩だってたくさんした。
でも。
殺されて、魂まで凌辱されるような事を、サエは決してしていなかった筈だ。
「サエ……」
抱き締めるように両手を広げて。
リョウは、涙を流して異形となった妹を見上げる。
彼女は、大きく下顎を開けていた。
紫色にぬるぬると粘る舌が、凶悪な牙が見える。
「リョウ―――!!」
フミの遠い叫びと共に。
リョウは、頭からサエに喰い呑まれた。
※※※
「くそ……!」
フミは吐き捨てた。
リョウを呑んだサエは、そのままの姿勢で固まっている。
―――ニイサン?
そんな幻聴が聞こえた気がしたが、ますます濃度を増す瘴気に耐えきれなくなり、フミは思いっきりドアを蹴り閉めた。
ドアは、その存在概念だけで『塞』の力を持つ。
長くは保たないだろうが、少しの時間稼ぎにはなるだろう。
緩んだ瘴気に大きく息を吐いてから、フミは眉根を寄せた。
「これ以上は……俺もあかんか……!」
フミは、全てを見捨ててその場から逃げた。
戻る途中に、さらに異形さを増した順次が歩いてくるのを見つける。
「もうあかん! 儀式は終わった! 逃げんと俺らまで《異界》に呑まれるで!」
フミの判断に、順次は即座に従った。
一緒に走りながら、順次が問いかける。
「リョウは?」
「冬子の死霊に喰われた。アスモデウスの目的は、ハナっからそれやったんや。サエを冬子の死霊にして&D化した後、自分を受胎させた。……あんな大物が転生で放つ瘴気に、人間じゃ耐えれんわ。受胎が終わるまで手ぇ出されへん」
「ちっ……」
背後で、炸裂音と共に瘴気が溢れ出す気配。
凄まじい速度で迫り来るそれに、フミは逃げ切れないと判断して顔を青ざめさせる。
しかし。
「跳ぶぞ。キツいが我慢しろ」
順次がフミの体を抱えて、斜め上に跳躍した。
家屋を砕き、二階の屋根すらも突き抜けて上空へ達した順次に抱えられたフミは、悲鳴を上げた。
順次が着地する。
破壊や着地の度重なる衝撃にフミは吐きそうになるが、瘴気は屋敷の外に到達する程には広がらなかった。
ノーヘルでフミのバイクに跨り、タンデムにフミを座らせた順次は鍵を要求する。
渡すと、順次はバイクを走らせた。
後日、フミはつぶさに情報をチェックしたが。
新聞テレビ雑誌ネット、どの媒体でもこの事件に関する話題は見当たらなかった。




