第6節:三途の川
「夏美の真似をやめろ。不愉快だ」
順次の言葉に、夏美は舌をちちち、と鳴らしながら指を振る。
「真似とは心外ですねぇ。この体は本人のものですよぅ?」
順次が息を吐いて拳を握ると、夏美は両手を上げた。
「はいはい。……なんで分かったのかしら?」
「俺のこの〝目〟は、魂の色を見通す」
順次が金に変わった瞳を夏美に……夏美の姿をしたまといの死霊に向けた。
「お前の色は見覚えがある。利己的で傲慢な、その色にはな」
「なるほど、それは、読めないわね。まぁ、騙せなかったところで支障はないけれど」
「……ノブを殺したのは、お前か」
「ええ。正確には、ナグに殺させたわ。ちょうど良かったから」
つまらなそうに、まといは答える。
丁度良かった。
都合が良かった。
まといにとっても、順次にとっても『その程度』の理由で、ノブは殺された。
「駒道を焚きつけたのも、お前か」
「あら、質問は交互にしましょ。あれは何?」
まといは、薄く煙の上がる死骸のあった場所を指差した。
「あんな力、見たことがないわ」
「……断罪の炎。地獄の業火だ。駒道を焚きつけたのは、お前なんだな?」
「死霊を焼く炎、ね。話には聞いた事があるけど見たのは初めてだわ。……コマを使ったのはね、サエを死霊にする為よ。でも、春樹に邪魔されたわ。それで教主様が春樹に興味を持たれたの。彼を探る為に、あなた達を利用させて貰った」
「何の為に」
「私の番よ。あなたの死霊は?」
「……鬼だ」
「ただの鬼じゃないわよね?」
「質問には答えた。何の為だ」
「我儘な人ねぇ。春樹はね、冬子に付く悪い虫だった。【聖母】は純潔であらねばならないの。春樹は害になると、そう思ったから始末した。それだけよ。受胎の時期も迫っていたし……良識通の社長からの依頼もあったしね?」
含み笑いを浮かべるまといに、順次は、深く息を吐いた。
「つまり、善行寺子飼いの&Dも、お前だった訳だ」
「そう。罠にかけたつもりで罠に嵌った気分はどう? あなたたちは、最初から最後まで私の掌の上で踊ったのよ」
まといは顎を上げると、傲然と順次を見下ろした。
虫けらを見るような目で、相手の心を痛めつける事が楽しくてたまらない、とでも言うように。
狂気に染まった本性を現し、一気に喋り始める。
「あは! 私が全部、タネを撒いた! ナグにクスリを売らせたのも、それを良識通の奴に知らせたのも、サエを生霊にしたのも、ノブを死霊にしたのも、春樹を殺したのも! 全部全部、私がやったんだよぉ! きゃは、そんで、冬子を拐うのを手伝った功績で、やっとアスモデウス様に眷属にしていただいたの! ふふ、この体、強いよねぇ! こんな強い&Dの体を手に入れて、私、とっても幸せ! アスモデウス様を宿した冬子は全て終わったら始末するわ。ふふ、愉しみねぇ!」
狂った愛が、歪んだ悦びが、順次の耳に不愉快に絡み付く。
まといは胸に手を当てて。
真っ赤な舌で、唇を舐めた。
「冬子を殺した後に、赤子のアスモデウス様を、育てるのは私。舐めるように、愛おしんで、抵抗出来ないアスモデウス様をゆっくり、ゆっくり、私無しでは生きられないように染め上げて行くの。ふふ。どう? 良いでしょ? 凄く良いと思わない!? うふ、うふふ! キャハハハハハッ!」
そんなまといを見ながら。
順次は、静かに、自分の友人の心を悼む。
「ノブ……お前は、女を見る目がない。お前が愛した女は心の底から、外道だ」
順次は右の拳を握りしめ、体の横に横に真っすぐ伸ばす。
「今、そっちに送ってやる―――〝招来〟」
「出来るかしらァ!? 何を喚び出すのか知らないけれど、それごとあなたも殺して、食って―――何?」
まといの声音が、途中で訝し気なものに変わった。
順次の周囲で、静かに、たゆたうように。
ゆらり、と空間が揺らめいた。
それは徐々に激しさを増し、順次の拳を中心として渦を巻く。
その渦が、大きく膨れ上がりながら部屋を埋め尽くして。
順次が拳を横から前に薙ぎ払うと、指針を与えられた渦は、『北』へと向かう凄まじい勢いの透明な奔流と化した。
彼が作り出したそれは、人体には一切影響がない……魂のみでこの世に在る歪な存在のみを押し流す、流れ。
「まさか、そんな、何で……! 〝三途の川〟―――!? うぐぅぅうううううッ!!」
順次の目には、ぶち当てられ、流れ続ける奔流に抗おうとしながらも徐々に徐々に夏美の体から引き剥がされ掛けている、まといの魂が映っている。
「なぜ、こんな、ァ……こんなモノを喚べるッ!? あんた、はァ!」
まといが苦しみながら問いかける。
そして同じように奔流の中にある順次を、信じられないような目で見る。
「正気、かァ!? こ、こんな事をしたら、死霊に親和してるあんたまでェ、えええ……ッ!?」
「正気か、だと?」
順次は、必死に抗いながらもベリ、ベリ、と夏美の体から引き剥がされて行くまといを見据え。
憎悪にその瞳を染めながら、口元に凶悪な笑みを浮かべた。
「お前、正気の人間が&Dになると思うのか? 大体、俺は定まった規律を破る奴が一番嫌いなんだ。自分の命の〝分〟を超えてまで浅ましく生きようとして、他人を食い荒らす死霊なんか、殺したくて殺したくてたまらねぇんだよ。そんな俺が正気か、だと? 気が狂ってるに決まってんだろうが」
順次は奔流の中に平然と立ち、異形の手で器用にタバコに火を付けて、まといが必死に抗うのを眺めた。
「ーーーで、それがどうかしたのか? ゴミ」
「ぐぅ……がああああッ! なんでッ、なんであんたは平気なのよぉぉぉぉッ!! 炎も川も……ただの鬼に操れるようなものじゃーーーァ!」
「俺の親和する鬼の名は〝閻魔〟だ」
順次は、ふっと煙を吐き、さらに角をメキメキと伸ばした。
彼が異形に近づく度に、奔流がさらに強まっていく。
「死を司る存在に、三途の川の流れが意味あるものだと思うか?」
「閻魔!? エンマですって!? ああ、こんな、こんな事がぁあああ!! 何でそんな大物があんたなんかに!! 春樹みたいなァ、普通に死ぬ奴の仲間なんかにぃいいいいいいッ!」
「その春樹が、死んだからだ」
順次は、遂に夏美の体に指先だけでしがみつくだけになった、まといの魂を真っ直ぐに見据える。
「春樹は、俺のストッパーだった。《異界》にあってなお異質な閻魔という存在の力は、俺の意思に関係なく勝手に周囲を浄化し尽くす。いいか、全てを、だ。そこに在るだけで神域を作り出す俺の力を、その強大な死と狂気の魂から発する瘴気によって抑えていたのが、春樹だ。……俺が傍に在る限り、実体のない死霊は、この世に長く存在出来ねぇんだよ」
順次は。
タバコの赤い火をゆっくりと自分の首筋を搔き切るように、横に薙いだ。
「そろそろくたばれ、クソ女」
「が、ぁ、ゥグアア、ア、アーーーッ!!」
最早意味のある言葉すら喋れずに、まといは奔流に押し流され。
全ての死霊が消え去った後には、静かにタバコを揉み消して携帯灰皿へ落とし込む順次と、倒れ伏した夏美の肉体だけが残った。




