第2節:地獄の主
その日、春樹が『UteLs』に戻って来た時、冬子は奥にいた。
「やっほー、春兄ぃ」
「夏美?」
春樹が、『UteLs』に居た少女と言葉を交わすのが聞こえる。
「久しぶりですねぇ」
「何でおるん?」
時計を見ると、午後1時を指している。
冬子が、開店前の『UteLs』に、ひょい、と顔を覗かせると、春樹が驚いた顔で冬子を見た。
「ちょ、何やねんその恰好!?」
冬子は自分の体を見下ろした。
少し大きめのシャツとジャージは春樹のもの。
春樹は体を締め付けるタイプの服が嫌いらしく、サイズは基本大きめだ。
———着たら駄目でしたか?
「そういう問題ちゃうやろ! ……下着!」
言われて、冬子は小首を傾げた。
———濡れたので。
「せめて何か上着羽織れ!」
真っ赤になった春樹も、雨に濡れている。
学校からここへ向かう途中で降り出し、ずぶ濡れになった冬子を出迎えたのが、夏美だった。
『はじめましてー。春兄ぃ、まだ帰ってないですから、あそこのシャワー使って良いですよぅ』
そう言われて指差されたのは、カウンターの後ろにあるドアだった。
春樹の住まいであるというそこに勝手に入るのは気が引けたが、風邪を引くから、という夏美の言葉に従い、冬子はシャワーを浴びた。
頭に巻いていたバスタオルを首にかけて胸元を隠すように裾を垂らすと、春樹は溜息を吐いた。
「トーコは、たまに無防備過ぎるわ……」
「焦る春兄ぃとか、貴重過ぎて笑えます。冬姉ぇは良いモノを見せてくれました」
「シバくで」
「勘弁して下さいよぅ」
———仲が良いですね。
「どこが!」
「ですです!」
二人の反応は、まるで正反対だった。
「て、夏美。お前トーコの声聞こえるん?」
「ウチを誰だと思ってるんですか? これでも春兄ぃの弟ですよぅ!」
えっへん、と胸を張る夏美に。
―――弟?
冬子は首を傾げた。
春樹に似たタレ目に泣きぼくろ、春樹よりはるかに整った可愛らしい顔立ち。
細身の体は、真っ白な女もののタートルネックセーターで、スリムパンツも女性ものだ。
上手に化粧までしており、胸は確かに慎ましやかだが、少女にしか見えなかった。
「ふふ、ウチ、女装が趣味なのですよぅ! 可愛いでしょう?」
「おどれで言うなや」
ぺしっと夏美の頭を叩く春樹に、冬子が自分が使っているのとは別のタオルを差し出すと。
「お、ありがと」
「冬姉ぇは優しいですねぇ」
受け取って嬉しそうな顔をした春樹が頭を拭く。
二人の笑った顔は、兄弟と言われれば納得できる程度には、よく似ていた。
「で、何しに来たんよ?」
「実はですねぇ、春兄ぃに頼まれていた調査が終わりまして」
「なるほど。んで?」
「動いていた&Dが善行寺系列の請負屋だったのは間違いないんですが、どうも後ろにいるの、回帰教みたいなんですよねぇ」
夏美の言葉に、春樹の顔が引き締まる。
回帰教。
それは、表向きは戦後に仏教より分派した新興宗教と言われている。
冬子でも名前を聞いたことがある巨大な宗教組織だが、春樹の説明によるとその実態は、&Dではなく、死霊そのものを教祖とする、魔の集団らしい。
「力を持ち、人を渡り歩いた死霊は、この間のノブなんかとは比べ物にならん。あそこの主は、えらい古くから在る死霊やと言われとる。トーコも名前を聞いた事があるくらい、超有名な死霊や。奴らを狩る事を生業としてる連中でもそうそう手が出せん程の大物やで」
そう言って、春樹は嗤った。
「オモロなって来たやんけ」
「……その好戦的な性格、なんとかなりません? ウチ、争い事嫌いなんですけど」
「やかましいわ。先に喧嘩売って来たんは向こうやろ」
「それはそうかも知れませんけど、ホントにやるんですかぁ……?」
情けない顔をする夏美に、冬子は問いかける。
―――そんなに、危ない相手なんですか?
「危ないで。女の子にとっちゃ、二重の意味で〝死ぬほど〟危ない連中や」
春樹の表情が、普段のおどけた顔から、死霊に対峙する時に見せる冷たく酷薄なものに変わっていた。
「なんせあっこの教祖は、地獄の王とか言われとる七つの大罪の一柱ーーー〝色欲の悪魔〟やからなぁ」




