第4節:這い回る罠の糸
冬子には、自分が&Dであるという自覚は、話を聞かされた後にもなかった。
ただし、春樹の目の前に座る男が&Dである誰かを使い、サエに迷惑をかけた人物だ、と言うことだけは、事前に聞いている。
二人の間のテーブルでは、既にカードが開かれていた。
春樹が2ペア。
男性は、フルハウスだった。
「賭けでは負け無し、だったかな?」
「三番勝負やからなぁ。別に一回負けた所で、痛いわけでもないし」
「減らず口だな」
「事実やからなぁ」
「では、もし仮に君が勝ち、要求を口にしたとして」
男性は、新しい、使っていたものとは別の柄のカードを取り出し、デッキを繰りながら言う。
「それに、わたしが従わなければいけない理由はなんだ?」
「108億支払えるなら、別に聞かんかったらええんちゃうか?」
「もしかしたら、そちらの方が良いとわたしが判断するかもしれん。理不尽な要求を飲むよりは、とな」
「だから、そんな大層な要求はせぇへんって」
と、そこで春樹は八重歯を覗かせる。
「大体、もし理不尽な要求だったとしても、あんたは呑むやろ。―――息子の命と引き換え、やったらな」
中年男性の、デッキを繰る手が止まった。
春樹を、それまで以上に鋭い目で見据える。
「どういう意味かね?」
春樹はスマホを取り出して、時間を確認した。
「そろそろ、あんた宛に電話がかかってくる頃合や」
事情を察し、不穏な空気を醸し出しながら。
男性は、にやりと笑った。
「私が、そういう事態に対してなんの手も打っていないと思うかね?」
しかし、春樹の表情は変わらない。
「さーなぁ。ま、電話があれば分かるやろ」
その言葉を最後に、二人の会話が途切れた。
春樹がデッキをカットし、二人はカードを交互に一枚づつ取って、伏せたままテーブルに並べる。
中年男性も、春樹も、それ以上カードには手を触れない。
別室から、黒服が入室して男性にスマホを差し出した。
彼はスピーカーモードをオンにしてから、スマホに語りかける。
「私だ」
『あ、父さん?』
「亮か。どうした?」
『あ、うん。さっき変なヤツに襲われてさ』
電話口で、男性の息子は淡々と喋っている。
中年男性がちらっと春樹を見ると、彼は無表情にその会話を聞いていた。
余裕のある笑みを浮かべて、男性は会話を続ける。
「そうか。ケガはないか?」
『ああ、うん。ケガはないんだけどさ……』
と、亮は言葉を濁し。
次の瞬間、男性の表情が固まった。
『ゴメン。その変なヤツに、拉致られた』
※※※
少し時間は遡り、ある病院の廊下の隅で。
少年は、首元に鋭く冷たいナイフの刃を向けられていた。
ナイフを握っているのは、フミだ。
「どういうつもり?」
少年は両手を上げた姿勢のまま、険しい顔でフミを見る。
「悪いとは思ってんねんけど、事情があってなぁ」
と、悪びれた様子もなくフミはくちびるを曲げる。
「ちょっと、協力して欲しいねん」
「嫌だ、と言ったら?」
フミは、上に目を向けた。
「もしかしたら、入院患者の一人に不幸が起こるかもしれんなぁ」
不快感を浮かべていた少年の目に、怒気が宿る。
「お前……もしアイツに何かしたら……」
「アンタが協力的やったら、そんなことにはなれへんよ」
言いながら、鮮やかな手際でフミはナイフを仕舞う。
「ま、話だけでも聞いてや」
彼は元々細い目をさらに細めて、にっこりと笑った。
※※※
「スリーカードや」
「……ツーペア」
満足そうにうなずく春樹と、険しい目で春樹を睨む中年男性。
冬子には、二人の抱く感情と現在の状況が、そのままカードに出ているように見えた。
「ボディガードは、どうした?」
中年男性が、部下に聞く。
「それが、現在連絡が取れません」
男性は舌打ちし、春樹に目を戻した。
「どんな手を使った」
「さぁ。ま、息子さんトコに行かせたヤツは、人の裏を掻くのが得意なヤツやけども」
「ふん。この程度のことで優位に立ったつもりか?」
「まさか」
春樹は、醜悪なほどに口許を吊り上げた。
「あんたみたいな大物脅すのに―――人質が、たった一人のわけないやろ?」
「なんだと?」
春樹の言葉に、男性は初めて狼狽した。
「貴様、まさか―――!」
カードを配っている間に、再びの電話。
「どうぞ、遠慮せずに出てや」
余裕に満ちた春樹の顔に、男性は険しい視線を投げて電話を取った。
『……お父さん』
その電話から聞こえたのは、
まぎれもなく、彼の娘の声だった。
※※※
順次は、病院の廊下から窓の外を見下ろしていた。
フミが自分のバイクに少年を乗せて、連れて行くのが見える。
それを見送ってから、順次はある病室に向かった。
個室だ。
そこには、一人の少女がいた。
体を起こして開いた窓に目を向けていたが、順次の気配を感じて振り向く。
順次は、彼女に黙ってケータイを差し出した。
彼女は、順次の差し出したケータイを耳に当てる。
何度かのやり取りを得て、ようやく目的の人物が電話口に出た。
「……お父さん」
そのたった一言だけをつぶやいて、彼女は通話を切った。
順次はうなずいて手を差し出す。
少女は、順次の手に黙ってケータイを乗せた。
順次は、そのまま少女に背を向けて、振り向きもせず姿を消す。
病室の床には、黒服の男達が四人、気絶させられて転がっていた。




