第1節:CLUB『UteLs』
『あんたはさ、ホント危なっかしいよね』
彼女はいつも。
冬子を呆れたように見ては、そう言って明るく笑った。
『だからさ、あんたは人一倍気をつけなくちゃ。あたしみたいに、なんないように』
彼女は、自分のお腹を撫でる。
『余計なお世話かも知れないけどさ。あんた、私より芯は強いから。……でも、気を付けてね?』
それが、冬子が彼女の笑顔を見た最後だった。
※※※
その日。
『closed』と書かれた看板のかかる樫のドアを冬子が開くと、店内は静まり返っていた。
品の良い木造の内装は、光量を抑えられた壁吊りの照明で照らされている。
日も陰るにはまだ少し早い時間帯ではあるが、天窓しかない半地下の店だからだろう。
冬子は、そっとドアを閉めて短い階段を下りると、誰かいないかと店の中を見回した。
まず目に入るのは、重厚な一枚板のカウンター。
中には冬子では名前も分からない酒瓶が美しく奥の棚に並べられ、カウンターに一段高く設置された板の上には磨かれたグラスが整然と並んでいる。
店内は広く、どっしりと柔らかそうな四人用ソファ席が四つ。
皮張りの椅子が二人で対面で座るように置かれた、ガラステーブル席が二つ。
人の姿はない。
冬子が、棚の横と店の奥にそれぞれドアがあるのを見て、店内へとさらに足を踏み出しかけたところで。
耳をつんざく爆音が突然響き渡り、思わず身を強張らせた。
爆音は、店の奥にあるドアから聞こえて来る。
そこに、誰かがいるのだ。
その爆音の正体は、ドラムだった。
そこに、耳を引き裂く高音のシャウトが重なる。
超高速の短いドラムソロから、流れるように繋がるギターリフ。
ドラムロールがリフに混じり、ツインバスによる一定のリズムを刻む16ビートのベースラインが腹に重く響く音を叩き出していた。
冬子は、その曲に聞き覚えがあった。
題名は『No,more Bet』。
〝Salvaly Scaelet〟というスラッシュメタルバンドの曲だ。
『Soul bet,yourself! 』
(魂を賭せ。たった一つの魂を!)
マイクを通した二人の男性の声が、歌詞が乗せる。
『Mad-am-Munition challengeing call-Cross your fingers?』
(ここは戦場 狂気が囁く 取るべき手を違えるなよ?)
素晴らしく流暢な英語。
その声に惹かれるように、冬子はドアへと向かった。
ベースやキーボードの音は聞こえない。
たった二人で奏でているのに、その音は冬子の耳には素晴らしいものに聞こえていた。
『Deal for abuser,for exploiter,for raper-&!? (for you!?)』
(罵倒と搾取と陵辱の果て 引き金を前に、見苦しく祈るのは誰だ? お前か!?)
冬子は、思わず歌を共に口ずさむ。
「Raise……This Faith is which sevens vision……」
(貪欲に望め 罪深い未来を勝ち取れなければ お前はここで)
『Drop out!?』
(消える!)
ハモるタイミングも完璧だった。
冬子がそろそろとドアノブに手を掛けると、歌詞はサビ前の盛り上がりに入る。
『She Whisperd-Non-non,Don’t worry. however soul being -No risk, Trigger Happy- No more call!!』
(『意志以外の全てを売り渡す事になろうとも』 そう思う程に 勝ち取る事を願うのなら!!)
最高潮の盛り上がり直前のシャウトに合わせて、冬子はドアを開いた。
『Open! your everything, All XXXXXXX Freeーーー!!』
(さぁ、お前の全てを曝け出せ!!)
それまで漏れ聞こえていた音など、所詮は盗み聞きの音漏れに過ぎなかった、と冬子は思った。
超高音のシャウトが、耳朶を叩くギターの音弾が、子宮に直接響くようなドラム音が。
体の芯を貫いて、冬子はぞくぞくと背筋を震わせる。
『Re:sultry mis-fortuner,mis-ery. Night on Fire!! Fire!! &Fire!!! (Soul bet, yourself!!)』
(逆境を、苦難を、敵を捻じ伏せろ! さぁ、燃やせ燃やせ照らせ! お前の唯一つの魂を!!)
視界に映るのは、美しくギターを引き奏でる大柄な少年と、パワードラムを打ち鳴らす小柄な少年。
二人のセッションは、汗を振り乱しながら極限まで登り詰めて。
『Mad-am-Munition next challenge call-Reload!? give me!! (Target insight)Honey trap!! Neck or ーーNotting!!』
(狂気の囁きに耳を貸せ! 全てを失う恐怖に嗤え! さぁ、全てはここからだ!)
唐突に、終わった。
体の内から弾けるような高揚に、浅い呼吸を繰り返す冬子を二人は見て。
小柄な少年が、ドラムスティックを手に立ち上がる。
彼は、あれほど激しく力強いドラムプレイをしていたとは思えないほどに、幼く細い。
中学生くらいだろうか。
金髪で、左耳にはチェーンピアス。
ダボダボの、趣味の良くない服装をしていて。
左頬には朱色のタトゥ。
幼さを残した顔は、猫のようで青白い。
楽しげに細まった目はたれ目気味で、笑んだ口元からは八重歯が覗いている。
顔立ちそのものは、不細工ではないが平凡。
しかし、その立ち姿から放たれる印象はどうだろう。
どこまでも全ての要素がそぐわないのに、こうある以外にない、と思わせるほど調和の取れた外見。
悪戯な光を秘めた目は、爛々と生気に満ち満ちて。
冬子を、一瞬で惹きつけた。
「よぉ、また会ったなぁ」
目の前に来た彼の、その軽い口調に。
気負わない声音に。
冬子は、聞き覚えがあった。
ーーー黒い『骨』の人……?
「正解や」
あの夢のように、冬子の心の声に応えた少年は。
嬉しそうに、笑った。
「改めまして、トーコ。俺が、春樹や」
冬子は。
その蕩けそうな程に、笑みを含んだ声音に。
こう、言い返した。
ーーートーコじゃなくて、ふゆこ、です。
と。