第6節:ハメ殺し
「何を言ってる?」
グラスを手にしたまま、器用にタバコに火をつけようとしていた順次は、動きを止めた。
「俺を騙し切れる、と思っとったんか? ナメられたもんやなぁ」
春樹は、とん、とオセロ盤を指で叩いた。
「順次。お前、なんでタバコ吸おうとしてるんや? トーコも、まといもおるこの場で」
冬子は気付いた。
タバコのにおいは感じていたが、春樹や順次がタバコに火をつけるのを見たのは、サエの件で数回と……今回の、まといを連れて来てからだ、ということに。
「なぁ、トーコ。順次はな、ルールを破るのが嫌いな人間やねん」
春樹は不意に、冬子に話しかけた。
「酒も飲めへん。学校もサボれへん。多分学校では、ずっとネクタイ付けて、ワイシャツはスラックスの中や。ちゃうか?」
言われて、冬子はうなずいた。
順次は、冬子と同じ学校に通っている。
今まで気付かなかったのは、『UteLs』に居る時と全く感じが違ったからだ。
「でも、タバコは吸う。なんでやと思う?」
冬子は、分からない、と首をかしげた。
春樹は、八重歯を見せて笑み、続ける。
「それはな、タバコが、手軽で安価な『毒』やからや」
春樹の話は続く。
「《異界》は、《死界》。生者がソッチ側に触れようと思えば、媒介が必要になるんや。より、『死』に近づく為にな」
それがタバコや、と言いながら、春樹は。
ピンと張りつめた空気の中、オセロ盤の中央四マスの一つに、黒石を打った。
「俺な、おかしいと思っててん」
次に、その横に白石を。
「順次が、この話に興味を持ったんは、なんでなんか」
続いて、白石の下に黒石。
「まといがストーカーに付きまとわれてる話を気にする理由は、何なんやろ、ってな」
最後の白石を打って一度手を止め、春樹はオセロ盤を指先でとん、と叩いた。
「でもな、さっきまで絵が繋がらんかった」
順次は、黙って春樹の話を聞いている。
火をつけたままのジッポが、ジジ、と音を立てた。
「まといがストーカーにつけられたなんちゅー嘘をついた理由は、まぁ、ただの保身やろ」
春樹が白石の一つを指差して言い、言われたまといが、大きく目を見開く。
まさか、バレているとは思わなかったのだろう。
「でもまといに疑いを向けたんも、じっちゃんの話を聞いてからや」
春樹は、指差した白石の横に黒石を打って、裏返した。
順次、まとい、じっちゃんの黒石が横に並ぶ。
「その後、リョウの話を聞いて、ノブの性格も理解したとこで……分かった」
まといの黒石を挟むように、リョウの白石を打ち、まといの石を白に返す。
「ほんで、さっきで確信した。逆やったんや、ってな。まといとナグ、ノブと順次。これが、一番最初やったんや。後から来たのは、俺や」
春樹は最初に配置した白と黒を指差して、二人の名を口にした。
「まといの話が一番最後で……ノブの話が、一番最初や。奴が死霊やった」
フミの名の黒石を盤面に打ち、ノブが黒に裏返る。
盤上の配置は。
リョウ、まといに見立てた石が、白。
順次、じっちゃん、ノブ、フミに見立てた石が、黒。
「順次。自分、ノブのこと元々知っとったんやろ? ほんでノブに何か聞かされて、フミちゃんに話を聞きに行ったんや。じっちゃんにもな。そしたらタイミング良く……いや、悪く、か? トーコが、まといを連れて来た。じっちゃんとフミは、実は最初から事情を知っとったんやろ」
盤を見つめながら、春樹は言い。
「ちゃうか? 順次」
そのまま、間を置くように一度、深く息を吸った。
「お前も『クロ』や」
冬子は……意味が理解出来なかった。
今。
春樹は、何を言っているのだろう?
言われた、順次は。
見ると、タバコに火をつけて、ジッポを閉じていた。
「薄絹は」
順次が、煙を吐きながらぽつりと語り出した。
「ノブを、殺した」
順次の瞳が、色を変えていた。
深い茶色から、暗い赤へと。
しかし順次の瞳の奥には、はっきりと理性の色があった。
凄まじい怒りを、無表情に押し込める意思の光が。
「薄絹をクスリの毒から救おうとした、ノブをな」
まといが息を呑む気配が伝わる。
「あいつは、他人を放っておけない人間だった」
順次の声は、普段通りだった。
それが、怖い。
「幼なじみが好きだと言っていた。いつもの笑顔で、真っ赤になりながらな。その女に告白も出来ない根性無しだったのに、その女が好きなことは皆にバレてた」
順次が手に握ったタバコが、不意に潰れた。
「その幼なじみの女が、ドラッグにハマったって、あいつは俺に相談して来た。どうやら女の彼氏が原因らしいと聞かされて、俺は言った。『放っておけ』とな」
順次の目が、まといを鋭く睨む。
「結果的に、あいつは俺の忠告を聞かなかった。そして死んだ。つい三週間ほど前のことだ。意識不明で病院に運び込まれて、一週間後に息を引き取った」
かすかに、順次の声が怒りに震えた。
「そのバカ女は、葬式にすらこなかった」
順次は、潰れたタバコをグラスの中に入れて火を消す。
その中に、口に溜めた煙を吹き込んだ。
「変な言いがかりつけないでよ! 私は殺してなんかないわ!」
耐えきれなくなったように、まといが金切り声を上げる。
どうしようもない動揺のにじんだ、声を。
それが合図だった。
春樹の足が跳ね上がり、ソファの上で後転倒立するように、順次に蹴りを繰り出す。
「薄絹」
紙一重で、その一撃を躱した順次は。
持っていたグラスを、手首のスナップだけで地面に叩き付けた。
「お前は社会のルールを破った上に、俺の友人を殺したんだ」
グラスが割れて、破片が同心円状に飛び散る。
「報いを受けろ」
春樹が倒立姿勢からの踵落としを、順次の肩にたたき落とす。
が。
その間に、にゅ、と杖が割り込んで、春樹の蹴りの勢いをいなした。
「よっ」
軽い声と共に、そのまま春樹を空中に跳ね飛ばしたのは、じっちゃんだった。
「悪ィな、ハル坊。ちっと大人しくしとけや」
笑みを浮かべる老人が一体どこから出て来たのか……は、愚問だった。
『じっちゃんほどの達人が本気で隠れたら、俺なんかに気付かれるヘマはせえへんよ』
春樹は、後にそう苦笑いしていた。
それでも空中で体を捻り、なんとか着地した彼は。
じっちゃんに後ろから腕を取られて、体をくの字に折る。
その隙に。
「〝顕現〟」
順次が古ぼけた紙片を虚空から取り出し、青い文字列と化して腕に巻き付けた。
「春樹」
掛けられた言葉に、春樹が順次を見る。
順次は、笑みを浮かべていた。
苛烈な程に、狂気に満ちた、理性的な笑みを。
「俺は、あいつの手助けをする。それが、ノブが死ぬまでに売人を潰せなかった、俺の責任だ」
春樹も、苦みを含んだ笑みを片頬に浮かべる。
「なんでも背負うなや。融通の利かん奴やなぁ。疲れるやろ?」
「節操なく誰でも助けようとする、お前ほどじゃない」
「きゃっ!」
あまりの急展開に、ソファから一歩も動けなかった冬子は。
まといの短い悲鳴に呪縛を解かれ、横を向く。
すると、こちらもどこから現れたのか、フミがまといの手を掴んでいた。
「すぐ終わるわ。ちっと窮屈やろけど、我慢してな」
と、フミは立ち上がらせたまといの足を払って、突き飛ばした。
彼女の体が。
無数の、飛び散ったグラスの破片の上に倒れ込む。
と。
グラスの作った同心円の内径が、ぐにゃり歪んだ。
そして破片に映っていた、無数の鏡写しの世界が一つになり。
この世ならざる者の住む、《異界》の落とし穴と化す。
そして、その底から。
死霊が腕を伸ばし、まといの体を掴んだ。
「ヒッ……」
まといが、喉の奥で悲鳴を詰まらせる。
彼女の体を掴んだ死霊の虚ろな顔は、ナグという依代の顔ではなく。
眼鏡を掛けた、大人しそうな黒髪の少年の顔をしていた。
それが、死霊としての本来の姿なのだろう。
彼が、ノブという少年なのだ。
「な、何コレ!? 嘘! は、話が違うじゃない! さ、桜散さんなら助けて、助けてくれるって言ってたのに!……いッ……」
おおおおぉぉぉぉぉ……。
幾人もの嘆きが反射したような、肌を刺すような冷気を伴う音が響く中。
「いやああああああああぁぁぁぁぁぁぁ……ッッ!」
まといが、絶叫と共に。
《異界》の穴底に、引きずり込まれた。




