第5節:現れた元凶
翌日の放課後。
冬子は、まといと一緒に『UteLs』に向かう道を歩いていた。
その道すがら、まといは予想外の質問を投げかけて来た。
「ね、桜散さんって冬子ちゃんの彼氏?」
冬子は、静かに首を横に振った。
キスはされたが、その後春樹に告白をされた訳でも、それ以上の事を迫って来る訳でもなかった。
「なんだ、違うんだ」
まといは拍子抜けしたように呟いた。
「わたしのカレはね、最初すごく優しかった。でも、その優しさに甘えたのがいけなかったのかなぁ。最近は……今みたいになる前も、ちょっと変だった」
まといは少し暗い顔になり、肩を落とす。
「どうして、こんな事になっちゃったのかな……」
まといが呟くのと同時に。
冬子の背筋を、怖気が這った。
突然立ち止まった冬子に釣られるように、足を止めたまといは。
冬子の視線を辿って、短く悲鳴を上げる。
そこに、昨日映像で見た少年が立っていた。
名具屋サツヤ。
虚ろな目で両肩をだらりと落とし、ふらつくように一歩、こちらに足を踏み出す。
「マぁ……ト、イ」
慣れない言葉を口にするような、ぎこちない呼びかけ。
「マぁ……ト、イィ……」
まといが後じさる。
ナグの声が、音として吐き出されるたびに。
白いケムリが、彼の口から漏れ出して。
周囲の温度を下げて行くような錯覚を、冬子は覚えた。
「あ……ぁ……」
恐怖に引きつって口許を覆うまといの声に。
冬子は、我に返る。
まといをかばうように立ち、ナグを睨んだ。
ナグは緩慢な動作でそれを確認したが、ふい、と目を反らして、まといに焦点を合わせようとする。
「こっ、ち、へ……マト、イィ……」
地獄の底から誘うような、冷たく響く声。
だが。
その声に引き込まれそうになる冬子の目線を、二つの背中が遮った。
「そこまでや」
順次と、春樹だ。
二人はタバコをくわえていた。
「狙うと思っとったで、この時間帯」
春樹は、いつもと変わらない笑みのままタバコを指ではさみ、ケムリを吐く。
「なぁ死霊。―――お前、誰や?」
順次は何も言わない。
ただ、黙ってナグを……正確には、その体を乗っ取った死霊を見ている。
死霊は、のろのろと首を巡らし。
唐突に、鬼のような形相で歯を剥いた。
「うおっと。答える気なしやなぁ」
春樹が例のナイフを取り出しながら、腕を横に広げて腰を落とし。
順次が、一歩前に出る。
「邪ァ、魔、ヲ、スル、ナ……!」
順次は。
気圧される事なく手にタバコの煙を吹き付けて、低く唸る。
「〝顕現〟」
古ぼけた一枚の紙片が、煙の中から染み出すように順次の指の隙間に挟まれた。
描かれた文字が、薄青く発光する。
すると、その様子を見たナグは。
ビク、と震えて二、三歩後ずさった。
それを見て取り、順次がさらに一歩足を踏み出すと。
ナグは、背を向けて逃げ出した。
「追う。春樹。そいつらを『UteLs』に連れて行け」
順次はそれだけ呟いて駆け出す。
「深追いしたあかんで!」
春樹の声を背に受けながら、順次は路地を折れて姿を消した。
※※※
「取り逃がした」
戻って来た順次は、そう言って春樹が座るソファの背もたれに腰を預けた。
まといと冬子は、テーブルを挟んだ向かい側に並んで掛けている。
紅葉は、買い物に出掛けているらしい。
冬子らの座るテーブルには、三つのグラスとオセロ盤が置かれていた。
「ナグに憑いとるんは、死霊や。成り立てやから結構な力を持っとる」
春樹は順次にグラスを渡すと、一人オセロを再開しながら、まといと冬子に向かって生霊と死霊について説明していた。
両者は本質的に同じだが、肉体が生きているか死んでいるか、ということ以外の違いが幾つかあるという。
「生霊は誰かに強い執着を持った人間が成るもんやけど、まだその段階では、望みを叶えて、自分が生きていることを思い出せば、元に戻れる可能性があるんや」
冬子はうなずいた。
自分の親友だった少女は、記憶こそなくしていたものの、その例だ。
「ここで元に戻れなかった奴が、完全に《異界》の住人になる」
それを、死霊と呼ぶのだという。
「死霊は大きく分けて二種類。実体と、非実体や」
リビングデッドは、精神が《異界》に染まることで、死亡した自分自身の肉体に取り憑いて操れるようになった死霊。
大きな力を持たない代わりに現世での活動に制限がなく、近しい人から少しずつ生気を吸い取ることで気付かれないまま力をつけていくのだそうだ。
だが、最初は力が弱いので初期に見つければ退治はたやすい。
それすら出来ない死霊は、少しずつ肉体が腐り、いわゆるゾンビになる。
おおよそそんなことを、春樹は語った。
「問題は、今回の死霊や。スペクターはリビングデッドと違って、最初から強い力を持っとる」
その理由は、死霊が最も大きな活力を得られる〝自身の肉体〟を『喰った』死霊だからだという。
「ただ《異界》から肉体もなしにこっち側に干渉するのは、力の消費が激し過ぎるねん。やから奴らは誰かに憑いて、その相手を依代にする」
順次が手に持ったグラスにを煽り、中の氷がカラン、と音を立てた。
「ナグが、今、死霊に依代にされた状態や。最後は憑き殺されて死ぬ」
その春樹の言葉にまといが息を呑むが、何かを言う前に春樹は続けた。
「まぁ、死霊を退治してまえば助けられるから、安心しぃ」
まといが、ほっと息を吐いた。
そのまといを見る春樹の目に、冷徹な光を見て。
冬子は、昨日の言葉を思い出した。
『まといも『クロ』や』
春樹は、彼女も嘘をついている、と言っていた。
どんな嘘なのかは、冬子には分からない。
「あの……死霊を、探さなくていいんですか?」
遠慮がちだが、はっきりとした言葉に、春樹はあっさりうなずく。
「死霊が狙ってるんは、マトイやからな。手ぇ出さんでも、待ってたら勝手に来るわ」
と、春樹は並べたオセロを再び手に取り、それをゴリ、と鳴らしながら、順次の顔を見上げた。
「なぁ、順次?」
そこで、冬子は気付く。
春樹が身に纏う空気が、あの日のように、一変していることに。




