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&DEAD  作者: メアリー=ドゥ
第一話:ダウト
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第9節:愚者の宴

「トーコ」


 思わず、目を閉じていたのだろう。

 春樹の声にまぶたを上げると、白い手の姿は消えていた。

 代わりに、周囲の景色が一変していた。


 血の海。


 そんな言葉が最初に思い浮かぶほど、目に映る校舎全体が、血で濡れていた。


 鉄サビのようなむせ返る血臭が。

 靴が半分以上沈むようなぬめりが。

 足下に広がっていて、冬子は思わずむせる。


 その背中を、春樹が軽くさすった。

 ようやく慣れてから周囲を見回すと、建物の構造がさっきまでと正反対になっていた。


 まるで、鏡に映したように。


 鏡を振り返ると、自分の姿が映っていない。

 そして。


 冬子は、振り返り様に見た春樹の姿に改めて目を向け、硬直した。


「どないした?」


 春樹の声音は変わらない。

 だが、その姿は。




 ―――黒い、『骨』……。




「ああ、せやな。こっちに来ると、こうなるんや」


 春樹は、何でもない事のように言う。

 彼の姿は、いつか夢で見た黒い『骨』の姿だった。


 元々だぼだぼの服装が、さらに弛んでいる。

 意識が鮮明な中で見るその姿は、衝撃的だった。


 思わず一歩後じさろうとする冬子の腕を、春樹が掴む。


「そっちはあかん。……来るで」


 言いながら冬子の手を引いて階段から離れた場所に立たせると、春樹が腰の後ろに手をやる。

 彼が取り出したのは、ナイフだった。


 鈍い光沢を放つそれは直刃で、柄に耳元を飾るのと似たような細いチェーンが長く伸びている。

 チェーンの後端には、指輪があり、春樹は中指を入れてナイフを垂らす。


 ――――それは。


「〝銀〟や。綺麗やろ? 魔を払う金属……って言うても、『あっち側』でただ持ってても無意味やねんけどな。銀は本来『こっち側』に近いモンやから」


 ――――?


 よく意味が分からないまま、チェーンの先でゆらゆらと、揺れるナイフを凝視していると。

 音が、響いた。


 おおぉぉぉおおおおぉぉ……と。


 遠く、近く。

 ざわめくように。


 耳障りに恐怖を煽るような風のような、嘆きのような音と共に、それが、階段の下から姿を現した。

 

霊塊(ゴースト)。人の負の情念の塊や」


 カタカタと、愉しげに『骨』が嗤う。


「人間ってのは汚いわなぁ。どこまでも。腐れて崩れて、グズグズで。自分がどんな想いから生まれたのかも分からんような化け物を、生み出せるんやからなぁ」


 白い(もや)のような〝それ〟は。

 波のようにさざめきながら、階下を埋めて冬子らに迫ってくる。


「なら、こっちも(きたな)なるしかないわなぁ。腐ったもんには蓋をして。ズタズタに引き裂いてぶち壊してーーーサエちゃんの妊娠っちゅー汚点を、腹のガキをぶち殺す事で覆い隠そうとした、コマッチみたいや。そう思わん?」


 春樹の声が、毒のように耳に染みる。

 彼の口にした、黒い、黒い想いは。


 まるで、彼自身が悪霊そのものであるかのように、冬子には聞こえた。


 寄せては返し、満ちるように靄が階下に溜まっていく。

 その靄の中に……人の顔が見えた。


 おおぉ……と嘆く顔は、顔立ちも定かではないのに、苦しみに満ちていて。

 先程から響く音は、顔の嘆きが奏でる多重奏だ。


 血腥さよりも強い腐臭が、冬子の鼻をつく。


「なぁ、トーコ。音を立てやんように、良い子にして――――見ときや」


 そう言って、春樹は。

 躊躇いもなくゴーストの中に飛び降りた。


「退魔っちゅーんは……綺麗なもんでも、神聖なもんでもないで」


 頭上でナイフを回転させて―――瞬転。

 鋭く振り払われたナイフが、足元に近付いたゴーストに触れると。


 ぎゅるり、とその回転に巻き込まれるように、ゴーストの一角に渦が巻く。


 ギュキリキィキキキキ――――――ッ!


 金切声に似た不愉快な軋みが響き、渦を巻いたゴーストたちが消滅した。

それは、救い、などという生易しい消し方ではなかった。


 苦痛を与えて……殺すが如き所業。


 ぁがううるぐぁッ!


 ゴーストの歪んだ声音が、怒りを含んで周囲に響く。

 自らの一部を吹き散らされた事で、春樹が獲物ではなく敵だと認識したのだろう。


「来いや、化け物。ぶち壊して吹き散らして、お前らの下らん感情、全部無かった事にしたるわ!」


 幾多の方角に散っていたゴーストの意識が、自身への悪意を叫ぶ『骨』―――春樹ただ一人に向けて収束し。


 ゴーストは。

 無数の腕を持ち、全身に人の顔を張り付けた、醜悪な首無しの化け物になった。


 優に二メートルはある体躯。

 対する春樹はあまりにも小さいのに、彼はまるで臆した様子もない。


 ごぉるぅぐるぁあ‼


 靄のような体はそのままに密度を増したゴーストは、腕の一本を振り上げて叩き下ろす。


 春樹は、横に跳んでその一撃を避けると。


「まず一本、や」


 再び回転させたナイフを鮮やかに縦に振るい、ゴーストの腕を切断した。

 回転に巻き込まれた腕の残骸が、金切声に似た音を再度立てて、吹き散らされて消える。


 数度、それを繰り返した後。


 時間差で横薙ぎに払われたゴーストの腕が、春樹を捉えた。

 そのまま、軽く宙を舞って壁に叩き付けられる春樹に。


 ――――春樹!


「来んな!」


 思わず駆け寄りかけた冬子だったが、春樹の鋭い声に足を止めた。


「やるやんけ、化け物……抵抗せんと、大人しく滅べやぁ!」


 歯を、ガチガチと鳴らしながら。

 髑髏(ドクロ)の眼窩に、尽きない闘争心を表したような赤い火を浮かべて。


 体を軽やかに跳ね起こした春樹は、低く地を這う姿勢で再びゴーストに肉薄すると、足を斬り付けるようにナイフを振るう。

 その銀色の軌跡が、ゴーストの足首を半ばえぐり抜いた。


 ぎゃがぁぉおぉろぅるぁッ‼


 ゴーストは傷ついた足を、足首が半ば取れかかった状態で上げると、春樹の背中目掛けて踏み下ろす。

 春樹は体を後ろに引き上げるようにして避けたが、その腕が逃げ切れずに踏み潰された。


「ぐっ……!」


 みし、と骨の軋む嫌な音と、春樹が痛みをこらえる声が重なる。


 銀のチェーンナイフが、彼の腕を離れた。


「げ……」


 春樹が呻くのと同時に、ゴーストの足も折れ砕け、その巨体が横倒しに倒れる。

 腕を押さえて、尻餅をついたまま離れようとする春樹に。


 未だ幾つも残る腕でズルズルと追い縋ったゴーストが、その足を握った。


「は、な、せや!」


 春樹がゴーストに逆の足で蹴りを見舞うが、それはゴーストを透過する。

 退魔の力を持つものでなければ、こちらからゴーストには触れられないのだ。


 冬子の目には。

 春樹が、全身に伸びてくる手によって、ゴーストの中に引きずり込まれようとしているように見えた。


 ―――どうすれば。


 冬子の周囲に、ゴーストの注意を引けそうなものはない。

 投げるものも、武器になりそうな何かも。


 ――――注意さえ引ければ。


 と、冬子は自分の喉に手を当てた。


 冬子は、喋ることが出来ない。

 しかしそれは、機能的な問題では、ない。


 冬子が喋れないのは。

 自身の、精神的な問題に起因している。


 音を立てるな、と春樹は言った。

 つまり、それは音を立てればゴーストに気付かれるということだ。


 声を出そうとしたが、やはり詰まったように言葉は出ない。

 冬子は唇を噛んだ。


 ――――なら。


 冬子は、両手を思いきり叩きつけて、ぱん、と音を鳴らした。


 ゴーストが、ぴくりと反応するが。

 春樹を自身の内に引きずり込もうと掴む腕を緩めない。


 もっと、大きな音を。


 どうにかして。


 音、音、音、と必死に考えた冬子の脳裏に。




 ドラムの爆音が、幻聴として響き渡る。




 ーーーあった。


 音を立てる方法。


 冬子は、すぅ、と大きく息を吸い込み。


「ーーーーーーーーーッ!!」


 脳裏に流れるメロディに合わせて、絶叫(シャウト)した。


 手を叩く音など比較にならない大音量が、空気を揺るがし。

 ゴーストの手が止まって、冬子に向けて蠢き始める。


 冬子は、歌った。

 自分の意思で喋ることは出来ないが。


 歌う時だけは。

 声を出すことそのものは、出来る。


「Soul bet,yourself! 」

(魂を賭せ。たった一つの魂を!)


 こちらへ来い、と。


「Mad-am-Munition challengeing call-Cross your fingers?」

(ここは戦場 狂気が囁く 取るべき手を違えるなよ?)


 春樹の歌った歌を、全霊を込めて紡ぐ冬子に向かって。

 ゴーストが、春樹から離れて動き出す。


 アカペラのメタル。

 それは周りから見れば、ひどく滑稽な独り舞台だろう。


「Deal for abuser,for exploiter,for raper-&!? …for you!?」

(罵倒と搾取と陵辱の果て 引き金を前に、見苦しく祈るのは誰だ? お前か!?)


 それでも冬子は、喉が潰れても構わない、と。

 息を吐き切って視界が歪むのにも構わず、叫ぶ。


「Raise! This Faith is which sevens vision! ーーーDrop out!?」

(貪欲に望め 罪深い未来を勝ち取れなければ お前はここで消える!)


 ゴーストが階段を這い上がり始めた。

 冬子は。

 間抜けなゴーストに向かって、笑みを見せる。


「She Whisperd-Non-non,Don’t worry. however soul being -No risk, Trigger Happy- No more call!!」

(『意志以外の全てを売り渡す事になろうとも』 そう思う程に 勝ち取る事を願うのなら!!)


 最高潮の盛り上がり直前のシャウトに合わせて、冬子は一際大きく息を吸い込み。


『Open! your everything, All XXXXXXX Freeーーー!!』

(さぁ、お前の全てを曝け出せ!!)


 


 ーーー気持ち良い。




 冬子は、恍惚としていた。

 日常ではない、恐怖しかないこの場で。


「Re:sultry mis-fortuner,mis-ery. Night on Fire!! Fire!! &Fire!!! …Soul bet, yourself!!」

(逆境を、苦難を、敵を捻じ伏せろ! さぁ、燃やせ燃やせ照らせ! お前の唯一つの魂を!!)


 存在するとすら思っていなかった化け物に、自分を襲わせる為に歌う事を。

 快感に感じる、自分は。


 春樹と同じか、それ以上に狂っている。


『Mad-am-Munition next challenge call-Reload!? give me!! Target insight)Honey trap!! Neck or ーーNotting!!』

(狂気の囁きに耳を貸せ! 全てを失う恐怖に嗤え! さぁ、全てはここからだ!)


 身をよじって歌い上げた冬子の目前に。


 ゴーストが、いた。


 虚脱して、伸びてくる腕を見つめる冬子の耳に。


「そう、全てはここから、や」


 春樹の声が、届いた。

 


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