術師激突・後編
ノーマンが木陰から飛び出した。すでに右掌には魔方陣を展開している。
掌を日向へ向かって突き出すと、魔方陣から炎が吹き上げる。弾丸状の攻撃ではない、掌の魔方陣から途切れなく流れる、炎の丸太だ。
その直径は人一人を飲み込むのに十分なものがある。日向は飛べない以上、横に避けるしかない。射線上に立たなければ、なんてことは無い攻撃だ。それで終わりならば、だが。
ノーマンは逃げる日向を追って腕を振る。腕の動きに合わせて炎の丸太が振り回され、扇を開く様に焼き払われて行く。
魔力を強化する魔法薬の効力が残っているうちに、これを使えば良かったと後悔した。効力が残っていれば、左右それぞれの手で火炎噴流を使う事も出来たはずだ。
左右で同時に使えれば、挟み込んでしまえば逃がさずに仕留められたものを、気付くのが遅かった。いや、相手は空間転移を使える。それで逃げられるから、結局は同じ事か。
逃げる日向が川の中で転んだ。すぐに起き上ったが、今のは致命的だ。炎の丸太が日向を押し潰し、焼き殺さんと迫る。
日向は、逃げるどころか炎の丸太へ向かって突っ込んだ。炎に飛び込む直前、淡い光が彼の体を包んだ。炎を突っ切った日向が、川の浅瀬を転げまわる。
「あっちち!」
むしろ余裕すら感じさせる声を上げた日向は、火傷一つしていなかった。日向がすかさず呪符を発動する。球体に目と口の穴を開けた、カボチャのランタンの様なものがノーマンに襲い掛かる。
掌から噴き出す炎で迎撃するのは間に合わない。射程も威力もある魔法だが、制御が少々難しく、素早く動かせない。感覚的に言えば『重い』のだ。
魔法を終了し、逃げる。十分にその余裕はあった。そして実際、ノーマンは攻撃が到達する前に、その場を離れる事が出来た。
ところが日向の放った攻撃は方向を変え、ノーマンを追って来た。
「なんだと!?」
球体が裂けた口を大きく開け、ノーマンを飲み込んだ。その直後、球体が爆発し、炸裂したエネルギーが、全方位から逃げ場無くノーマンを叩く。
「ぐあぁっ……!」
全方位から魔力の爆発に押しつぶされたノーマンだが、それ程致命的なダメージは受けなかった。普段からの修行の成果による、耐性の高さのおかげだ。しかし、先にまともなダメージを受けてしまった事は大きい。
自分が相対している日向と言う男は、全く持って油断がならない。それは嫌と言うほど見たはずなのに、またしても欺かれた。
最初に川の中で転んだ事からすでに、作戦の内だったのだ。水を被り、ノーマンの炎を突っ切るダメージを少しでも軽減するために。
いや、それ以前に、逃げた事からして策なのだろう。おそらく本当は、ただ炎を突っ切るだけならばすぐにでもできた。しかしそこから反撃するために、逃げながら策を練り、術式の用意をしていたのだろう。
結界でガードしながら、炎を突っ切る。その後に川の中を転がったのも、熱を少しでも防ぐためだ。
炎を突っ切り、こちらがそれに対応するまでの僅かな隙に、反撃。あの球体は、半自立型の式神だろう。
こちらを追尾してくる攻撃。それ自体は奇策でも何でもない、ごくありふれたものだ。しかしこれまでの日向の攻撃は、全て直線的な攻撃だった。
だからつい無意識に、この攻撃も直進しかしない様に思ってしまった。その結果がこの様だ。おそらく、最初からそれを狙って直線的な攻撃しか使わなかったのだろう。
翻弄されている。地力では勝っているはずなのに。しかし、奇策の種はいずれ尽きる。一度使った奇策は、同じ手どころか似た様な手ももう使えない。
それに対してこちらは、同じ攻撃を何度使ったところで不都合は無い。何度見られたところで、正面からの力勝負をするしかなくなってしまえば、こちらの勝ちなのだ。
それにダメージも、大した事は無い。もう一・二発は十分に耐えられるはずだ。こちらが倒れるより先に、向こうの手品が底を着くはずだ。
勝てる。その思いは、未だ変わらない。
魔法炉をかざして魔弾を放つ。着弾した魔弾が地面に穴を穿ち、破壊された石片が飛び散って、日向に襲い掛かる。日向は結界を盾にしながら逃げ回る。
逃げる日向を追って、次々と魔弾を放つ。地面、岩、木立、魔弾が着弾した物は全て、粉々に粉砕される。
術式そのものを魔弾にして発射する。魔法によって生じた効果ではなく、破壊すると言う魔法の術式そのものを魔弾にして撃ち出す。
魔弾として飛んでいる間は、まだ破壊する対象を得ていないため、魔法は発動していない。着弾した時に初めて、破壊する対象を得て魔法が起動し、破壊の効果を発揮する。
力任せに壊すのではなく、触れた対象に合わせた破壊を起こすのが利点だ。岩を破壊するのと、生きている木を破壊するのでは、必要とされる力の掛け方が違う。だがこの方法は、破壊対象に合わせた破壊の仕方を自動的に構築する。
それは常に最大の威力を発揮するという事。加えてこの術式一つで、何でも破壊できるという事だ。つまり、物体で無い物も破壊できる。
結界の破壊。それが狙いだ。その後、間髪入れずに同じ攻撃をもう一発。同じ魔法の連打ならば、別の魔法に切り替えて攻撃するよりも早い。
それでいて、当たれば確実に結界を破壊し、全く同じ攻撃で致死の一撃を与えられる。結界を再構築するよりも、確実に早い。
日向が岩陰に隠れる。無駄だ。魔弾は岩を砂粒ほどにまで打ち砕いた。逃げる日向が今度は草むらに飛び込む。飛び込んだのが見え見えで、隠れてすらいない。草むらがまとめて消滅した。
たまりかねたように、日向が背を向けて逃げる。森の中に入り、木立の間を不規則に走ってノーマンから距離を取る。
逃がすものか。魔弾を撃ち続けながら、追いかけた。魔弾が当たった木が消し飛ぶ。日向は時々魔弾に当たりそうになりながら、逃げ惑う。
本当に逃げているのか? これまでの奴の行動からすれば、罠に誘い込もうとしている事は十分に考えられる。しかし、罠を張るような余裕は無かったはずだ。
それに、奴の動きが鈍い。森の中で走りにくいという事もあるだろうが、明らかに息が上がっている。荒い息遣いがこちらまで聞こえてくる。
体力の限界。あり得る事だ。ノーマンと違って、日向は終始逃げながらの反撃をしてきた。当然、体力の消耗は大きいはずだ。体力の方が先に限界と感じて逃げた。
周囲に意識を向けて警戒する。魔法の痕跡は感じられない。設置型の術式は、近くには無いはずだ。
これ以上余計な事をされる前に決める。魔弾の連打を止め、一撃を確実に当てるために、狙いを付ける。
日向が膝を着いた。何かに躓いたのか、こちらに背を向けて片膝立ちの姿勢だ。もらった。放たれた魔弾は、日向の背中に直撃した。
日向の体がはじけ飛ぶ。いや、違う。大量の呪符が舞い上がり、分解されて行く。
「ダミーか!?」
ノーマンは周囲に最大限意識を向けて警戒した。おそらく木立の間を走り回っているうちに、ダミーと入れ替わったのだろう。ならば、日向はこの時を待っていたはずだ。
どこから来る? 左右か、後ろか、頭上か、はたまた足元か。森の中ではどこからでも襲い掛かれる。つばを飲み込む事も出来ない緊張の時間が、ノーマンをじりじりと追い詰める。
「……なぜ、来ない?」
来ない。当然来るべきはずの攻撃が、来ない。いくら待ってもだ。それともこちらが油断するまで待つつもりなのか。
逃げた、と言う可能性もある。元々奴は劣勢で、奇策を駆使して渡り合ってはいたが、決着が着くまで戦い合う理由は無い。無理をして不利な戦いで勝利を得ようとはせず、逃げられれば逃げた方が良い。
こちらの隙をうかがっているのか、それとも逃げたのか。確かめる必要がある。
「まとめて焼き払えば分かる事!」
魔法炉に薬を入れて魔力を充填し、天に掲げた。範囲攻撃で辺り一面焼き尽くせば、日向が逃げたかどうかすぐに分かる。
「隙有り!」
声。日向の声。声のした方から、微かな風切り音を立てて刃物が飛来する。やはり居たのか。だが避ける事は容易だった。追い詰められたせいか、愚かな攻撃だ。
避けた刃物が後ろで木の幹に刺さる。残念だったな。そう思った直後、金属音と、腕に痺れるような感覚がして、魔法炉を取り落した。
腕から落ちる魔法炉に、刃物が突き刺さっていた。訳が分からなかった。ノーマンの目の前で、魔法発動の直前に破損した魔法炉は、充填された魔力に耐え切れずに砕け散った。
「俺の、魔法炉がっ……!」
声を絞り出すように呻いた。最初から、狙いは魔法炉だったのか。わざわざ声を上げて攻撃してきたのも、注意を手元から逸らすためだったのか。
「おのれ。おのれぇ!」
魔法炉が破壊された。それは深刻な事態だが、湧き上がってきた怒りの前にはどうでも良い事だった。
魔法炉が壊された事に対する怒りではない。翻弄され続けている事への。そしてそれに振り回され続けている自分への、抑え様の無い怒りだった。
平たく言えば、コケにされて黙って居られないのだ。
「潰す! ぶっ潰す! 行けっ!」
周囲の石を魔力で浮き上がらせ、飛礫として撃ち出す。
「おっと、危ない」
日向が結界を盾にして防ぐ。余裕に満ちた声だ。飛礫が全弾弾かれる。数も威力も足りない。
「なら、これだ!」
掌に魔方陣を展開して、吹き上がる炎を日向に向けて放つ。さっきは突っ切られたが、あれは一瞬の事。まともに当たれば、結界を貫通できるはずだ。現に、突っ切った時も熱を受けてはいた。
日向が逃げる。しかし森の中では、先程の様には逃げ回れないはずだ。疲労だってある。
ノーマンの炎を突っ切って、赤く焼けた刃物が飛んできた。回避。間に合わない。肩口をかすめ、切り傷と火傷ができる。こちらの攻撃を逆用された。
「まだだ!」
炎が駄目ならと、魔力を電気に変換する。手から放電が走り、日向に襲い掛かる。森の中は障害物が多いので、やはりなかなか当たらない。しかし、攻撃速度ならばまさしく一瞬だ。僅かな隙さえあれば、当てられる。
日向は決して姿を晒さないように立ち回る。流石に電撃の速度から逃げる手段は、持ち合わせていない様だ。
木陰から何かが飛び出してきた。日向ではない。もっと小さくて、二体いる。式神だ。半自動の式神による攻撃。姿を晒さなくても、障害物を避けて敵を襲う。
左右から挟み撃ちにする様に式神が襲ってくる。だが一体ずつだ、片方ずつ確実に電撃で焼き払った。
しかし、これで終わりではあるまい。式神を始末すると、すかさず日向の潜んでいたはずの方へ、めくら撃ちに電撃を放った。
「うおっ!?」
日向の攻撃が、ずれた方向に飛んでいく。思った通り、式神を囮にしてからの正面攻撃だった。これだけしてやられれば、予想くらいつく。
式神がもっとたくさんいれば、対応が遅れて喰らっていただろう。この状況でそれをしないのは、できないから以外の理由が無い。地力の無さが、明暗を分けたのだ。
「これならどうだ!」
魔方陣を展開し、炎を噴射する。何の特殊効果も無い、ただ単純な炎の噴射だ。今の魔力では、劇的に威力が有る訳でも無い。
だがそれでも、いやだからこそ、正面から愚直に押す。日向の様な搦め手の手段は持っていないし、魔法薬も魔法炉も失った今では、その余裕も無い。
余裕が無いからこそ、正面だ。全力を正面から殴る事に費やす。正面から、相手の防御も策も打ち破る。
日向が炎に飲み込まれる。いや、まだ結界で防いではいた。しかし、不意打ちに失敗して体勢を崩していた日向は、初めて真正面から攻撃を受け止め、耐える形になった。
「ぐっ……くそっ……」
日向の額に大粒の汗が浮かぶ。炎の熱さだけではない。これまでの消耗が大きく、いつまで結界を保てるか分からない。
余力が乏しいのはノーマンも同じだった。ノーマンはこの攻撃に、残った魔力の全てをつぎ込む覚悟を決めた。
炎の上げる唸りがより一層大きくなる。耐えかねた日向が、左右に飛び出した。二人いる。日向が二人、ノーマンに向かってくる。
片方はダミー。迎撃は、どちらか片方が精一杯。両方ともダミーと言う余裕は、無いはずだ。賭けだ、どちらにとっても。賭けに負けた方が、死ぬ。
「うおおおおおおおおぉ!」
ノーマンは左から迫る日向に対して、渾身の猛火を浴びせた。日向が悲鳴を上げる。しかしすぐに声は聞こえなくなり、のたうちながら燃え上がる影になった。
もう一人の日向は、呪符へと還り、風に流れて行った。
「勝った……のか……」
肉の焼ける嫌な臭いが辺りに立ち込める。ノーマンは木に寄りかかり、目を閉じた。疲れ切っていて、このまま眠ってしまいそうだった。
ブゥンと小さな唸りが聞こえた気がした。ノーマンの中で、何かがはじけた。森の中に、銃声が響く。ノーマンの耳にはもう、その音は届いていなかった。
「日向も不運な奴じゃ。せっかく救援を要請する式神を飛ばし、こうして儂が来たと言うのに、後ほんのちょっとの差で間に合わぬとは」
森の中で、周囲に完全に同化していた姿が立ち上がる。
「リュウがやられたと聞き、駆け付けてみれば日向も死んだ。しかし相手側の、チョウとノーマンか。彼らも死んだ。相打ちのようなものじゃな」
そのつぶやきは小さく、誰の耳にも届かない。
「ともかく役目は果たした。一度戻って報告、じゃな」
草の生い茂る森の中を、音も無く二瓶は立ち去って行った。