大公国軍人・前編
ゼルフカントは未開の土地である。そのため自然条件は複雑に入り組んでいるが、それでも大まかな傾向はある。
南部は山また山が連なっていて険しく、北部は比較的平坦だ。東部には川が流れていて、西部には沼沢が多い。
レーン大公国の代表は、ゼルフカント東部の川を天然の堀にした砦に集結していた。領有権を主張するために突貫工事で建てた、小さな砦だ。
「この砦の存在は、王国側も知っている。また、王国側も、西の湿地帯に拠点を築いている。おそらく今は、そこに集結しているだろう」
和田が壁掛けにした地図を差しながら説明する。
「向こうがどう出るかは、この名簿の人選を見た限りでは、予想が難しい。なのでこちらもまずは堅実な手で様子を見ようと思う。
半数ほどを平地ルートで敵に拠点に向かって進め、相手の出方を見る。その際、常に二人以上の組で、行動するようにするべきだろう。まずは相手の能力の情報を得る事が、第一だと思う」
表向きの指揮官とは言え、智将として名高い和田の判断は的確だ。そうグロック大佐は思い、信頼のおける上官であると認めた。同時に、ならば自分の成すべき事は何かと考えた。
「ならば、私がまずは出よう。イワンを連れて行きたいのだが」
「イワン中尉は、グロック大佐の御弟子でしたね? ならば、組むにしても気心が知れていて、よろしいでしょう。お願いします。
できればもう一組、別に前線に出してみたいところだが、志願者は居るだろうか?」
「ならば、俺に行かせてくれないか」
リュウが名乗りを上げた。
「王国側には、高名な武僧のチョウ殿が居る。出会えるかは分からないが、格闘者としては、できれば手合せしてみたい」
「じゃ、オレがリュウさんについて行くという事で」
すかさず日向が名乗り出る。まだ異論を出せる程の材料も無く、日向がサポート系統の術の腕前で参加している事は周知なので、問題無く承認された。
「では、グロック大佐・イワン中尉の組と、リュウ殿・日向殿の組が前線に出るという事で、よろしいですね。
できれば別に、前線指揮と言うか、状況を見極める事に専念する役どころが欲しい所ですが」
和田の視線が動き、一人に目を止めた。
「シュプリンガー博士、お願いできますか?」
「おお、それはいい。博士ならば観察力には申し分ないし、私やイワンとも親しいから、協力するにもやりやすい」
グロック大佐がシュプリンガーを持ち上げる。半分は率直な感想だが、こうでもしないと自分の興味以外は眼中に無いシュプリンガーは、自分から動きたがらない事を知っていた。
「しょうがないですねぇ。ま、せいぜいゆっくり観察させてもらいますか」
シュプリンガー博士が、やる気があるのか無いのか分からない返事を返す。
「私も、シュプリンガー博士の後方に出て、現場の状況を把握するように努めます。とにかくまずは情報戦が、今後の勝敗のカギになるでしょう。
他に、何か意見はありますか?」
「では、儂から一ついいかのう」
二瓶がのそりと言う感じで、声を上げた。
「この辺りの山は儂がいつも猟をする場所じゃ。どこがどうなっていて、どこが通れるかは手に取る様に分かる。
そこで提案じゃが、儂が単身王国側の拠点の様子を探りに行って、場合によっては一人二人、仕留めて見せようかと思うのじゃが」
和田が、手を口元に当てて考え込む。
「いえ、お気持ちはありがたいのですが、二瓶殿にはここで待機していただきたい」
「理由を聞いても良いか?」
「まだ敵がどのような能力を持つのか、何が起こり得るのか、何を警戒すべきなのか分からない状況です。
そうであるからこそ、土地に詳しく、何かあった時にすぐに動ける二瓶殿には、待機して備えていて欲しいのです」
「それも一理か。分かった、歳よりはせいぜい安穏とさせてもらおうか」
二瓶が顔をくしゃくしゃにして笑う。
「では改めて、まず前線に出るのはグロック大佐とイワン中尉、リュウ殿と日向殿。その後ろにシュプリンガー殿。さらに後ろに私という事で、決定します。
残りの方々は、留守をお願いします。王国側も、密かにこの砦を襲撃しないとも限らないので、くれぐれも気を付けて」
霧隠とカレンがうなずく。二瓶は微笑んでいる。半次郎は、壁に寄りかかったまま動かなかった。
「では皆さん、行きましょうか。互いの連絡は、密にしてください」
和田の言葉を皮切りに、出撃する六人が一斉に席を立った。それを見送った霧隠は、机の上に広げた、敵味方の代表者名簿に目を落とした。
果たして、この二十人のうち、何人が生き残るのだろうか。
ゼルフカント北部の平地を、グロックが進む。一人で歩いている様に見えるが、やや距離を取って、イワンが常に身を隠しながら同行している。
傍から見た者が居れば、無造作に歩いている様に見えるが、その実イワンが行く手を常に索敵して、安全を確認したうえで進んでいる。
カチ、という音が聞こえた。異常無しを示す、イワンからの信号だ。同時に、これから移動すると言う信号でもある。
索敵しては進むを繰り返す。グロック大佐の組が進んでいるのは、平野部でも山の裾野に近い辺りだ。身を隠す場所が多いので、狙撃を基本戦術とするイワンには戦いやすいが、索敵も入念に行わなければ、どこに敵が潜んでいるか分からない。
もう少し北を進んでいるはずの、リュウと日向の組は、もう少し進行速度が速い事だろう。
ゼルフカントの中ほどまで進んだところで、森に行き着いた。地図を見ると、このまま直進して森に入るとやがて山道になり、峠を越えると王国側の拠点の正面に出るはずだ。
他の道は、南に見える山に入って山を越えるか、北に迂回して湿地を抜けるしかない様だ。
「湿地はまずいな、私もイワンも能力を生かしづらい。南に迂回するくらいだったら、直進しても同じ様なものか。どちらにせよ、森を抜けなければならないな」
さてどうしたものか、やはり直進するのが最も理に適っているか。それとも一旦引き返して、シュプリンガーの意見を仰いでみるか。
考えていると、カチカチと二回音が鳴った。そこで待機せよの信号だ。しばらく待つと、イワンが姿を現した。
「何かあったのか?」
「はい、大佐。前方の森の中に、反応があります。人ではありません。見張りの役割をする、探知系の魔法が設置されているものと思われます」
「ありそうな事だな。ならばその魔法の主は、もう少し後方で様子をうかがっていると見るべきだろう。
罠が仕掛けられている、という事は無いのだな?」
「はい、攻撃的な効果を発揮する仕掛けは、確認されませんでした」
敵味方共に相手に対する情報が少なく、手探りに近い状況なので、不用意に罠を設置して、手の内を明かす事は避けたのだろう。
イワンの魔銃の射程距離と、探査魔法の有効範囲を考慮すると、前方500m先までは、信頼できる精度で安全だろう。
それ以上遠距離も、かなり巧妙な隠ぺいが為されていない限りは、存在を察知するくらいは可能なはずだ。まだ序盤である今、そこまで巧妙な隠ぺい工作をした罠が設置されている可能性は、低いと見て良いだろう。
「敵を、誘い出そうと思う」
「誘いに乗って来るでしょうか?」
「相手の情報が欲しいのは、敵も同じだ。私が森の中に進み、あえて敵の探知に掛かってから、この辺りまで退く。森の端であるこの辺りまでならば、敵も出てくる可能性が高い。
イワン、お前は後方のシュプリンガー博士に信号を送って簡単な状況を知らせたのち、狙撃態勢を取れ」
「了解しました。シュプリンガー博士に信号を送ったのち、狙撃態勢に入る。作戦状況を開始します」
イワンが茂みの中に姿を消す。それを見送ってから、グロックも森の中に分け入った。
探査系の魔法はその性質上、発見された側がそれに気付く事は難しい。探査された事に気付かれては、探査した意味が半減してしまう。
そのため敵が自分を発見したかどうかを知る事は困難だ。しかし、状況からの推測は立てられる。
まずこちらの行動を予想する材料を、敵が持っていないはずである以上、特定の箇所に高性能な探査魔法を仕掛けて置く事は非効率だ。
こちらがその地域を通らなければ、どんな高性能な探査も意味が無い以上、橋や谷間の様な、迂回不可能な細い道以外に高性能探査を仕掛けても、無駄になる可能性が高い。
実際イワンの報告によると、森の中に帯状に並べられた探査魔法が、三段になっているという。明らかに、ごく単純な探査魔法を数多く設置している。
ならばその効果は、付近を通過すると使い手にそれが分かると言う単純なもの。それも、一つ一つの効果範囲は狭い。だから帯状に数を並べているのだろう。
故に探査線の少し超えた地点まで前進し、それから引き返す。それも、少し道を変える。それで確実に、こちらの存在に気付くはずだ。
敵がこちらの存在に気付いて、接触を試みて追って来たとして、十分に予定された地点まで引き返す余裕はある。存在するはずの敵は、イワンの探査範囲の外に居るはずだ。ならば時間的余裕は十分だ。
高速で移動する手段を持っていたり、高度な隠ぺいによって、すでに付近に潜伏している可能性はある。だがそれを考慮して、警戒している以上、すでに半分は破った様なものだ。
森の中を300mほど進み、引き返した。初めて入る森の中でも、自分がどれほど進んだかは大まかに分かる。
満足な地図の無い敵地を進軍しなければならない事など、軍人ならばよくある事だ。何も無くても、自分がどの方向に、どれくらい進んだかは分かるように鍛錬している。
森の境界ぎりぎりで止まった。平地に出た方がイワンの支援を受けやすいが、敵が遠距離攻撃の手段を持っていた場合、こちらだけが平地に姿を晒していては不利だ。戦いながら、開けた場所に引き込むしかない。
集中して、森の中の様子を探る。攻撃してくるとしたら、まずは奇襲だろう。こちらの姿を確認しただけで退いたら、その時で考え直すしかない。
隠れた敵が、いつどこからか分からないが襲ってくるはずだと言うのは、やはり気持ちの良い物ではない。イワンに探査を要請したいところだが、敵が近い時に探査をすれば、次の行動が遅れかねない。
軍人としての、勘やセンスとでも言うべきものが問われているなと思った。
殺気を感じて飛び退いた。姿勢を低くして地に両手を付け、四足の獣の様な姿勢で殺気の放たれた方向を窺う。
自分が居た場所には、投擲用のナイフが突き立っていた。
「かわされたか。このまま逃げる訳にもいかないな」
森の中から、剣士の出で立ちの男が一人、姿を現した。
「む、お前は確か、傭兵のヴァン・ストーカーではないか?」
「そうだ。俺の事を知っているのか」
「腕の立つ傭兵として、それなりに有名だからな。それにお前は知る由も無いが、昔同じ戦場に立った事が有る」
「まあ職業柄、そういう事もあるか」
「お前ほどの腕の持ち主が、敵に回ってしまった事は残念だ。我が国の領内に居れば、ぜひともこちらに引き込みたかったが」
「だが実際は、ちょうどアルザス王国領に滞在していて、この通りだ。こちらとしては、敵に知られていると言うのはだいぶ不利なのだが、お互いに割り切るしかないな」
「戦場の習いゆえ、手加減はせぬ」
グロックが格闘術の構えを取る。ヴァンは剣術と魔法を併用する魔法剣士だが、強力な攻撃魔法は使えないはずだ。
以前、戦場を共にした時も見なかったし、今もナイフで奇襲を掛けて来たのがその証拠だ。
奇襲はその一撃で決めるか、致命傷を与えて確実に敵を屠るものだ。ならば、可能な限り強力な攻撃をするべきであり、そこで温存をする理由は無い。
ナイフで奇襲を掛けて来たという事は、それ以上に強力な攻撃魔法は使えないか、使えても著しく隠密性に欠けるという事だ。ならば、接近戦での使用も難しい可能性が高い。
勝負は、互いの武術の腕が主体となるだろう。
ヴァンが剣を掲げ、切っ先をグロックの顔を狙うように、少し下向きに構えた。そのまま互いに、相手との間合いを計りながら、じりじりと距離を詰める。
ヴァンの構えの気配は、守りを意識している。そうグロックは感じた。慎重に、こちらの出方をうかがっている。ならばこちらも、望み通り攻めに出てやろう。
踏み込んで、至近に飛び込み、拳を撃ち込む。ヴァンは攻め込まれたら切り払うつもりだったのだろうが、一気に踏み込まれた事で、その余裕が無かった。構えたまま後ろに飛びのく。
飛び退くのに合わせて前に出て、張り付き続ける。アッパーカットを繰り出した。ヴァンは大きく仰け反ってかわしたが、体勢が悪くなった。すかさず、膝蹴りを叩き込んだ。
膝先が少し触れただけだった。さすがにできる。間合いを取られた。しかし、今のやり取りで分かった事が有る。
純粋な、武術のみの戦いならば、自分の方が上だ。