暗闘・前編
ジェロニモを片付けた霧隠は、帰還せずに駆け続けた。帰還する意味も無く、まだ宵の口である。いや、忍びの者に宵も深夜も無い。
残る敵は二人。そのうち一人は、例の炎上能力者だ。まともに能力による攻撃を食らえば、死は免れない可能性が高い相手だ。
ここまで生き残った相手だ、手強く無い訳が無い。呪術師のジェロニモも、恐るべき相手であった。和田の壮絶な遺言が無ければ、もっと手こずっていたかもしれない。
手強い相手と言うならば、最後の一人であるナタリアもそうだろう。代表戦参加者名簿には、メイドという肩書で名を連ねている。
そんなものは、表向きの肩書に過ぎない事は明白だ。それはいい。霧隠にとっての関心は、今に至るまで、姿を見せなかった相手だという事だ。
闇の中の敵。自分もまた、闇の中で生き、戦い、死ぬ者だ。闇と闇の戦い。他に誰も知る事の無い、文字通りの暗闘になるだろう。
水面下の戦いで勝負を付ける。表に現れる部分としては、何事も無く済ませる。そうする事で国に、最小の費用で最大の利益をもたらす。それが自分の役目。そう霧隠は自負している。
この戦いも、自分の手で最後の決着を着ける。影で全ての始末をつけ、表に出るのは、なんだか分からないがとにかく勝った、と言う事実だけにする。
どうせ残る敵も、影の者なのだ。それで何の問題も無い。影同士の戦いならば、お互いに相手の姿も、名前も知らぬまま殺し合うなど、当たり前の事だ。
霧隠は、夜を照らす事も出来ぬ細い月が見下ろす野原を、風のように走り抜けた。ゼルフカント盆地北側中部の平地。敵は必ずここに居る。山林の中で夜を越すなど、理由が無ければ猟師も避ける。
拠点に引きこもっているか、よほど夜の森に自信があるか、さもなくばよほどの無謀者か。それいずれかでない限り、起きていようと寝ていようと、この平地のどこかに敵は居る。
休むなどして一ヶ所に腰を落ち着けているなら、場所は限られてくる。何も無い原っぱよりは、木陰などを選ぶはずだ。
夜通し歩いているならば、昼間以上に歩きやすい場所を選んで歩く。付近の地形はすでに探り出しているので、いずれの条件にあてはまる場所も、頭に叩き込まれている。
ただ敵は二人だ、どちらと遭遇するか分からない。一緒に行動しているか、別行動でもそう遠くない位置に居るならば、最初の一撃で一人は始末したい。手の内が明確ではない敵を、二人同時に相手にするのは危険だ。
そう高くない木の上に登って、辺りを見回した。これで敵が見つかるとは思っていない。全体を俯瞰する事で、僅かな変化でもあれば捉えようとした。
ところが、思いがけず明かりを遠くに見つけた。それも足元を照らす程度の明かりではない。おそらく焚き火だろう。
野宿をするのだから、焚き火を起こす事は何の不思議も無い。しかし、遮る物の多くないこの平地では、明かりは遠くからでも目立つ。
隠れる気が全くないか、それとも罠か。闇討ちを全く警戒していない訳ではないだろうから、自信があるのだろう。
何日も野宿を続けている訳ではない。一晩火を起こさず過ごすくらい、この時期ならば用意があれば難しくは無い。
それでいてなお火を起こす。野宿の知識が足りなくとも、火があれば敵に狙われる事は、容易に想像は付く。やはり、あえて起こしたとしか考えられない。
しばらく明かりを遠望していた。火が消される様子は無い。やはり、自然に燃え尽きるまで放置する気か。
ここからでは人が居るかまでは分からない。霧隠は明かりへ向かって接近した。灯火に飛び込んで焼け死ぬ羽虫にならぬ様に、慎重にだ。
ギリギリ判別できる距離を保ち、焚き火の周囲を確認する。ごく普通の焚き火のそばに、完全に毛布に覆い隠された、人間大の何かが横たわっている。
一人、あるいは一つだ。他には見当たらない。そのものが人間か、身代わりかの詮索は後にして、周囲を念入りに確かめた。
誰かが潜んでいる痕跡は、見られなかった。何らかの罠が仕掛けられている様子も無い。もちろん、もう一人の姿も無い。
何も無いと言うのが、かえって怪しい気がした。しかし、危険を示す証拠は無い。あるとすればそれは、焚き火のそばで横たわっている者が、よほど自信のある実力者だという事だろう。あれが人間だと仮定すれば、だ。
毛布に包まって横たわるそれは、微動だにしなかった。近づいて確かめるなど論外だが、それだけに遠距離から確かめようとする事は、予想されている気もする。
この距離から手裏剣を当てる事は簡単だ。だがそれをして、どんな反応が返ってくるか。考えたところで分かるはずも無いが、それでも覚悟して備えるしかない。
手裏剣を一枚取り出した。刃に致死性の猛毒を塗ってある。だが過信は禁物だ。確殺を意図するならば、毒はなんであれ頼りない。
忍刀を抜き、手裏剣を握るのと逆の手で構える。手を汚さずに人を殺そうなど、甘い。確実に殺すのに、手を血に染める以外の方法は無い。
焚き火の炎が揺れた。涼しい夜風が、一斉に草を鳴らした。
日の出ている間は行動を共にしたが、日が暮れてからは別行動をとった。
元々ナタリアもゲラーも、単独で動く方がやりやすい。残る敵の面子から、どこかで正面切って戦わなければならないだろうと思われたので、昼の間だけ行動を共にした。
夜の帳が降りれば、暗闘の時間である。レーン大公国の諜報を取りまとめると言う男・霧隠。そいつが居る限り、影の戦いもまた避けようが無い事だろう。
それぞれ別行動をとったのは、戦い方の違いもある。ゲラーは敵を求めるタイプだ。敵を追い、気付かれる事無く接近し、不意を突き、痕跡を残さずに去る。
一方のナタリアは、仕掛けられるのを待って、返り討ちにするタイプだ。逃げる敵を追う技術には長けていない。
だから堂々と火を焚いて野宿した。見逃しようも無く、ここに誰かが居るという事を示した。
ただあまり露骨すぎても良くない。露骨に姿を晒しながらも、確信を与えるものは晒さない。本当に無防備か、もしくは見え見えの罠の様でいて、よく見ると肝心な部分は隠されている。
何かを隠そうとしている事を見せる。隠し事があるという事をあえて気付かせる。罠にしてはあまりに露骨だが、その裏にもう一段何かが隠されている、という事をあえて晒す。それで、やはり本当に罠があるのだと考える。
それで相手は、逃れ様が無くなる。本当に無防備のようにも思えなくはない。だがやはり罠の様である。しかしそれにしては、やはりあからさまだ。
そういう疑心暗鬼に囚われれば、もう何もせずに引き下がると言う事はできなくなる。
本当は罠など無い。だが無防備でもない。自分がここに居る。ナタリアという暗殺者殺しが居る。それ自体が罠のようなものだろう。
だから罠など必要ない。ただ誘い込むだけでいい。
そして今、相手は確実に誘い込まれていた。頭まで毛布で覆い隠し、焚き火に背を向けて横たわるナタリアからは、それが誰かは分からない。
だが霧隠以外には考えられなかった。ある意味で待ち望んでいた相手が、とうとうやって来たのだ。
初めのうちは、その何者かは周辺を丹念に探っていたようだ。気配は微かで、うっかりすれば分からなくなりそうだ。
諜報組織の長は伊達ではない様だ。いや、まだ相手を確認した訳ではない。霧隠の可能性が最も高いというだけだ。ただ、相当な隠密行動の使い手である事だけは確かだ。
気配が、自分を注視している。夜の森の中で、獣がこちらをじっと見ている様な感じだ。気にしなければ気付かない。だが一度気付いてしまえば、どこまでも逃れられない様な気がしてくる。
迷っているのだろう。悩んでいるのだろう。だが同時に、こちらの隙もうかがっているのだろう。
身じろぎ一つしなかった。完全に物、人では無い偽物になりきる。人である事がばれた瞬間、相手の疑念は一つ晴れる。そこから連鎖的に、全てを見抜かれる事もある。
だがいつまでも物でもいられない。やがて攻撃をしてくる。人か物か、確かめに来る。戦いが始まる。一瞬で終わるかもしれない戦いだ。
そのときに、一瞬の遅れは生死を分ける。物になりすぎると、遅れる。物から人へ戻るべき一瞬がある。それを、正確に捉えられるか。
相手の攻撃は、まず飛び道具だろう。人か物か判別の付かない、得体のしれないものを確かめようとすれば、当然そうなる。
それが定石であるがゆえに、あえて近づいて直接攻撃と言う可能性もある。飛び道具を予想して対応が遅れれば、確実に殺されるだろう。
飛び道具への警戒を第一としながら、踏み込んでくる事も考えておかなくてはならない。どちらも、一瞬たりとも遅れる事は出来ない。
待った。敵の気配を探りながら、ただひたすらに待った。時間の感覚が消えていく。もう何時間も経ったのか、それともまだ数十秒か。
攻撃は、来ない。だが今にも攻撃が来そうな殺気はひしひしと伝わってくる。そうやって、攻撃せずにこちらを攻撃しているのだ。耐え切れずにこちらも気を放って対抗すれば、待ち伏せを知られる。
気をしっかりと内に込めた。決して外に漏らさず、体の中で気を高める事で、突き刺さって来るような殺気に耐える。
だが逆に、感覚は体の外に広げる。後ろに目がある様に、耳が後ろにも向いている様に。肌の感覚も体の外まで広げる。臭いも逃さない。
次第に自分を狙っている者の存在が、はっきりと感じられるようになる。それが誰であるかはもう問題ではない。構える事無く構えている。飛び道具を投げる構えだ。
自分を狙う存在の気配が変わった。押し潰す様だった殺気がすっと消えた。その者がそこに存在する気配すらも、希薄になった。
ナタリアは物から人へ戻った。まだ自分の気配は押し殺している。だがそれも一瞬でよかった。
風が吹いた。焚き火が揺れる音がした。
ナタリアは飛び起き、毛布を広げて振りぬいた。音も、光も、臭いも、気配すら無く闇から飛来した手裏剣が、毛布に絡めとられた。




