未知のセカイ 5
そこにはこの状況に感動した姿でも冷やかすような顔を披露していたわけでもなく、ただ小人サイズ仕様の手鏡で自分の髪を整えている姿があった。さっきの涙ぐましい場面にもらい泣きしそう、的な感じの言葉は何だったのかな? それとも僕の聞き間違い?
「まあ、今日のところはこんなもんかな。湿度ちょっと高いし」
などとほざくグニルに鉄拳をお見舞いすることを何とか踏みとどまる僕だが、少々奴の態度が緩くなってきている事にカチンとこないわけでもない。
そんな怒りに塗れた拳を持ち上げていた時、不意に胸元に埋まっていたユーリが上目づかいで僕を見ながら言った。
「感情に身を任せてはいけませんよ、マスター。たとえどんな状況だろうと冷静にです」
どうやら僕の心意はCC内にいなくても今の彼女には全てお見通しらしい。まったく、僕の精神的支柱は彼女そのものだと改めて思った。
「うん、なるべく冷静にいることを心掛けるよ」
僕はユーリの頭をくしゃくしゃと撫でてグニルに視線を送った。
「ごめん、続きを頼むよ」
諒解の意を示したのか、グニルは指を鳴らして手鏡を消滅させるとコホンと咳払いをして喋り始めた。
「じゃあ、気を取り直して説明を再開するけど、まず、君の左手のグローブは何色かな?」
グニルの質問に僕は視線を左手に集中させ、グローブの色を確認する。大部分が純白だった。
「そのグローブには色彩パターンっていうものがあって、全部で九色存在する。そしてその色が持つ意味、すなわち《属性》だよ」
と言ったところで一度言葉を切り、右手の人差指を持ち上げて時計回りに四角い図形を作り、空間を穿った。すると、その描いた軌道から何やら文字と矢印の入った表が刻まれたパネルが出現する。
そして、グニルは先程の人差指を右から左へ水平に滑らせると、僕とユーリのもとにその表はまるで意思があるかのように飛んできた。
「今君たちが目にしているのがこの世界における属性対応表だよ。属性ごとに色が分けられていて、仄かにだけど灯っているのが見えるかな? その属性の色と冒険者の持つグローブの色は同じなんだよ。例えば君のようなグローブの色が白の場合、属性は《光》ってことになるね。ちなみに重複するけど、属性は全部で九個。火、水、木、土、光、闇、氷、竜、そして神だよ。色彩別ではさっき言った順で行くと赤、青、緑、黄、白、紫、灰、茶、そして虹だよ」
僕はグニルの説明に耳をそば立てながら、属性対応表を目で追った。この表を見る限り、火、水、木、土と光、闇、氷、竜の大きく二種に区分することが出来るみたいだ。
まずは前者。火属性と土属性に視点を当てると、仮に相手が木属性のとき、優勢属性の火属性攻撃は多くダメージを与えられるが、劣性属性の土属性攻撃はダメージが軽減されてしまう。また、相手が水属性のとき、火属性は劣勢となり、土属性は優勢となる。
次に後者。僕の持つ光属性と氷属性に視点を当てると、仮に相手が闇属性のとき、優勢属性の光属性攻撃は多くのダメージを与えられるが、劣性属性の氷属性攻撃はダメージが軽減される。また、相手が竜属性のとき、光属性は劣勢となり、氷属性は優勢になる。
そして、前者と後者とでは属性の優劣は存在せず、与えるダメージも受けるダメージも等倍らしい。
最後に謎の神属性。自属性を除いた全ての属性に対して受けるダメージは軽減されるが、優勢属性は存在しないという、ちょっと扱いづらい属性。一般的に冒険者は保持しない属性とあるが例外も存在するらしい。神属性を使用するのは文字通り、神の称号を手にするモンスターに限られるそうだ。
総合して見れば特に抜きん出て最強な属性は存在せず、一様に得手不得手がこの属性の関係についてはあるのだと言えるだろう。
「属性はもちろん、君たち冒険者以外のPLNと呼ばれる非冒険者や敵モンスターも所持しているし、副属性として二つ目の属性を持つ強者も存在するよ。どれだけ有利な属性で戦えるか、そういうところも計算の内に入れてこの先の行動を選択しないと、すぐにコロッと逝っちゃうからね」
「うん、今のレクチャーで生き残るためのコツの一つを学べた気がするよ。それに属性の重要性は痛い目に会う前に学習しておいた方がそれなりの対応も練れるからな」
僕は不意に思った。平然とこんなこと喋っているけど、内なる自分は果たして学習してくれたのだろうか、と。
記憶力、理解力共に人並み以下の僕が効率よく戦線を乗り切る事は出来るのだろうか。また、クリア条件が事前に解っているとはいえ、具体的な戦術を聞かされていないこの現状に不安を感じないわけない。もっとも、戦術云々以前に武器、防具の調達が先なのだが。
見上げたユーリは自分の主たる僕の表情の曇りを気にしながらも、何と声をかけていいのか分からず、彼の服を握る手に少し力を入れ、さらに深いシワを作った。
@@@
「……とまあ、説明は以上かな」
とグニルは言うと後ろにへたれ込んだ。説明にかけた時間――約一時間半。戦闘の基本、この世界における《ギルド》について、ちょっとしたお得情報など、内容の濃いものだった。
しかしながら、説明途中に何度か僕の瞼は重力に抗えず、閉じきってしまう事があった。その理由は説明が単調なものだったからではなく、僕に体を預けて休息を摂っているユーリの気持ちよさそうにしている寝顔のせいである。
CC内のユーリが睡眠を取るとき、いつもCCは脳内との回線を切断していた。だから、彼女の寝顔を見るのは今回が初めてで、ついついそっちに目が行ってしまった。
しかも幻惑魔法の効果でもあったのだろうか、その寝顔を見ると僕の意識はまどろみ、気がついた時には僕も落ちてしまっていたのだ。
仮にも今まで真剣かどうかは定かではないが、説明をしてきたグニルには申し訳ないことをしたと思っている。
「うん、ありがとうグニル。長い時間世話になって」
「ほんとだよ! こんなんだったら僕はこの仕事、今回限りでごめんなさいだよ」
「え? 何、グニルにそんな権限とかあるの?」
「無いに決まっているじゃん! もう、あんまり現実的な事言わないでほしいなぁ。僕だって夢見たっていいでしょ!」
あまりの真剣さに思わず口許が綻び、声をあげて笑ってしまった。可笑しくてたまらなかったのだ。グニルは耳まで真っ赤にして「笑うなよ!」と連呼する。その度に僕も声を上げて笑った。そして彼が連呼して何回かした時、ついに耐えられなくなった第三者から檄が飛ぶ。
「もう、うるさいですよ、グニグニ! 今度うるさくしたら運営側に問答無用で問い合わせて解雇処分にしますからね!!」
ぴしっと張りつめた空気がここら一帯を支配した。騒がしくした件は僕にも非があるのではと彼女へ恐る恐る視線を向けるが、ユーリの目はグニルしか映しておらず、「お前が悪い」と言わんばかりの眼力で睨んでいた。どうやらユーリはグニルのことが大嫌いらしい。
(さっき自分で怒った時は冷静にって言っていましたよね?)
一方のグニルは顔面を先程までの茹で上がったタコのような赤色から血の気が引いた青色へと変化させ、ユーリと視線を極力交えないようにそっぽを向いていた。
しかし、背後を突き差すユーリからの威圧のこもった視線は相当なもので、耐えきれなくなったグニルは一枚の紙と別れの言葉を残して姿を消した。さすがにその逃亡の仕方には呆気にとられたのだが――
止まった思考をたっぷり数秒要して回復させた僕は、先程までグニルがいたところに着地した一枚の紙を拾い上げ、そこに記された文字列を脳内に起こした。
『次会うときは君の視線に動じないからね!!』