未知のセカイ 2
『……冗談の次元を超えているよ、これ』
表題を見てからもしやと思ったが、まさか新潟県までもが徴兵制へ踏み込むとは予期していなかった。そして、その徴兵制で自分が選抜されたことに対し、少しの動揺も隠せなかった。
日本国は増長する仮想世界を内と外から襲撃して食い止めようと、無謀な策を立案し、先月の議会で押し通すような形で徴兵制関連法案を成立させた。
それは無作為に選抜した若者を脱出不可の、仮想の檻へ放り込むというもので、何人選ばれるか定かでないが、博打然とした日本国の対応に唖然とするしかない。ちなみに新潟支部より先に徴兵制を実施された東京、北海道、大阪では既に何名かの人員が異世界に派遣されているという。
いつの日か身に降りかかるやもしれない事に僕は、珍しく記憶を司る海馬の容量を回していた。そのおかげで驚きは三割減で抑えられたが、それでも衝撃は大きい。
『このパスメールについてユーリはどう思う?』
ユーリ――CC内に搭載されている人工知能、いわゆる《AI》の少女である。そう、先刻はアナウンスの音声も彼女のものである。
銀色のツインテールに瑠璃色の大きな瞳、取ってつけたような小振りな鼻に薄く伸びた唇が、細い顔立ちの中で整然とした配置で並んでいる。そして、身体を包む巫女装束は彼女にとても似合っているのだが、初夏の今ではそれよりも着ていて暑くないのか、という方向に思考が傾いてしまう。
そのユーリは細いあごのラインに右手を添え、眉間にしわを寄せながら言った。
『常軌を逸している、という言い回しが私の心情の正鵠を射たところですね。今はむしろ犠牲を最小限に抑え、かつ効率のよい有効手段を取るべきはずですが、日本国政府の見解では若者を徴兵し、仮想世界に送ることこそが一殺多生的理念を達せられる、としているみたいですね』
『う~ん、言葉が難解でよく解らないけど、要するに誰かがやってくれるだろう、とお国の偉い人たちは他人任せになっているんだね?』
『おそらくそう考え、何とかなればいいと抱く者は少なくないかもしれませんね』
僕はこの件については承諾しない方が吉ではないかだろうか、と思案するも即座に揉み消した。なぜならば、仮想課からのパスメールには念を押して新潟支部管轄の境界洞窟にまで赴けとあったし、何より拒否権は認められないと来たからだ。
『まあ、腑に落ちない事や、すっきりしない気持ちはあるけれど、支部に行かなかったら行かないで何かが起きそうな気がするし、ここはパスメールの通りに動くしかなさそうだね』
『ええ、私もここは従うべきと判断します。しかし――』
一旦、間を取ったユーリは直後にぷぷっと、なぜか吹き出した。
『――寝ることにしか能のないマスターが徴兵されたことは頷けますね。将来有望的な若者より将来絶望的なマスターが選ばれるのは当たり前ですよ!!』
『待て待て、納得しないでよ。無作為に抽選されてんだから、僕が当たらない確率だってあったはずでしょ!? てか、今はそんな事に費やしている時間はないよ』
(ニコニコするなよ。というか、徴兵として選抜されたことはそこまで栄誉あることじゃないの解っているよね? ユーリさん!!)
唐突に笑い出したユーリに僕は、可及的速やかに行動を起こさねばならない事を再認識させ、次いでいろいろとばら撒いてくれたボケを回収した。
『これはすみません。つい、マスターの堕落っぷりが仮想課の人たちに認められたことに笑ってしまいました。……では、仮想課管轄の境界洞窟へジャンプしますが、よろしいですか?』
『うん、お願い』
ユーリの提案を快諾した僕はCCから意識をはがし、ベッドから起き上がった。
彼女の言うジャンプ、というのはいわゆる、瞬間移動のようなものだ。
CC内に保存されている地図情報の中で最重要となる地点には、転移装置が設けられていて、何時如何なる場合でもジャンプ指定のできるところを選択すれば、対象者は一瞬にして選択した場所に行けるのだ。
いきます、と彼女が開始の合図を唱えた直後、物静かで暗い印象の自室を目に焼き付けた僕はその場から姿を消した。
境界洞窟とは、日本国と中国大陸を一直線で結んだ海底トンネルのことである。
往復交通機関は新幹線を採用しているが、ここ二年間は相手国の中国が仮想の世界に呑まれているため、新幹線はおろかこの境界洞窟を使用する者は仮想課の人間以外いない。そして、その境界洞窟はかつて世界最大規模の発電施設が置かれていた跡地に置かれている。
始めに瞳を貫通したのは身だしなみを整えた役人さんらしき男性と、八人の少年少女の姿だった。身長も体格も、それこそ年齢にも違いのありそうな八人。中には小学生にも見て取れる女の子までいる。
驚愕する僕をよそに一通り九人を見た男は、小さく咳払いを起こしてから声を張った。
「一人特例でこの場には不在だが、君たち、よく逃げずに集まってくれた。まずはそこに敬意を表そう。普通ならば逃げてもおかしくなかったところだが、君たちは強靭な心を持っていることだろう」
いかにも薄っぺらい笑みを浮かべながら、役人は数度拍手し、続ける。
「だが、ここから先はそう甘くない。忠告しよう。これから君たち九人は、私の背後に長く続く洞窟の先、仮想の世界《アグレスヘイト》へ行ってもらう。もちろん、知識としてあるとは思うが、一度行けば脱出は不可能であり、現にその檻からの生還者はいない。今なら引き返すことはできるが、君たちはどうする?」
急な口調の変わりように思わずごくり、と口に含んでいた唾を呑んだ。
役人の後ろにある境界洞窟の先には、何億もの人間を強制的に幽閉している仮想世界がある。仮想の世界とはいえ、死んだらどうなるか判らない。そして、仮想課の人間も半ば強制的に僕たちを集め、未知の異世界へ放とうとしている。
別に僕自身が懇願してこの場にいるわけではないのだから、この際辞退してもよいのではないか。役人もああ言っているのだから。というか第一、無能な僕に何が出来るのだろう。
これから先の出来事への不安や、恐怖に圧倒され、逃げ腰の姿勢を盤石にしつつあった時、視界右にいた藤色の髪を持つ少年が一歩前に躍り出た。
「なぁ、ちょっと役人さん。まさかとは思うけど、報酬とか何もなしに俺たちをその世界に遣るつもりじゃないですよねぇ?」
僕はその少年を見て、その少年の口調を聞いて背筋を凍らせた。ここからでは正面顔を拝見することはできないが、確かに彼の口の端にはこの状況を、これから先のことを楽しんでいるような悦楽的な笑みが刻まれていた。
対しての役人はその質疑を見透かしていたかのように、言葉を連ねた。
「もちろん、報酬は存在する。それもどんな願いでも成就するという、究極的な報酬がね。億万長者にでも一国の王にでも、それこそ死人の再帰も叶うだろう。しかし、そんな簡単に報酬を手にする程、あちらの世界は易しくない」
「突拍子もなく、壮大な報酬だな、オイ」
「信じるかはキミたち次第さ」
役人は一旦、発言を止めて薄いタブレットを操作すると、僕のCC内でパスメール受信のアラームが鳴った。
「たった今、君たち一人一人にパスメールを送信した。その中身は仮想世界で成し遂げなければならない、君たちに課せられた条件と、諸注意が記されている。情報に齟齬が生じないために一度、私が読み上げるが――」
僕はユーリに依頼して即座にパスメールの開封をしてもらった。中身の文章に目を通しつつ、役人の読み上げに耳をそばだてる。
「――君たち第五広域特別指定都市の選抜者たちは、仮想の世界《アグレスヘイト》にて《九界神》と呼称される十体の神を倒し、仮想世界の増長を停止させることが任務であり、報酬獲得の条件である。また、その任務遂行中何らかの要因によって致死域に達した場合、仮想の世界はもとより現実の世界から存在は抹消される。そのことを肝に銘じること、以上だ」
その言葉と共に仮想課の役人はタブレットからこちらに視線を向けた。
神を倒す? 存在の抹消? この役人はなんて馬鹿な事を言っているんだ、と思った。
僕みたいな取り柄のない人間ができる芸当ではない事は簡単に推し量れる。仮に、その世界に武器と呼ばれる類のものがあったとしても、僕には到底無理だ。
『――――』
『え? ユーリ今何か言った?』
『いいえ、特に何も言っておりませんが、どうかなさいました?』
『あ、いや、気のせいだったみたい』
突然、ユーリ以外の誰かが直接脳内に語りかけてきたような気がした。結論は行ってから出せ、と言われたような気がしたのだ。
でも確かにあちらに行く前から諦めていたら、何も始まらない。彼女のいない世界で生きていく意味はないのだし、数少ない中から機会をもらったのだからやらなきゃ損だ。それに目の前の役人は言った――死人の再帰も叶う、と。
「もう一度、改めて忠告をしておこう」
なら、僕はゼロに近い確率であってもゼロではないギャンブルに賭ける。その選択肢しか今の僕にはない。
「辞退する者はその場に残り、際限のない未知に溢れた異世界に飛ぶ志のある者は、私の背後にある境界洞窟を進みなさい。異界を知り、絶望を味わい、報酬を手中に納めてみせよ!!」
その言葉が言い切られるより以前に僕の視線は役人の遥か後方へ、その志は亡き有花に向けて静かに、しかし途轍もなく大きな一歩を僕は踏み出していた。