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未知なる世界の旅路録  作者: よももぎ
木の島フォラスト
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未知のセカイ 1

 僕が護るはずだった彼女がこの世を去ってから三日が経過した。

 周りの日常は何事もなかったかのように朝昼夜のサイクルを回している。だが、僕は喪失感から食事も大好物の睡眠もろくに摂らず、ただ抜け殻のように自室で座り込んで引きこもる生活を送っていた。


「ッ」

 事故当時の後遺症から来る頭痛に無表情だった顔を歪め、右手を側頭部に当てる。


 三日前のあの日、いつものように僕は寝坊をし、いつものように有花が僕をため息交じりに起こす、という平凡な日常はたった数秒の出来事によって破壊された。信号待ちをしていた有花を含めた男女二十三人が交差点を右折してきた大型トラックにはねられるという凄惨(せいさん)な事故が起きたせいで――


 

 僕は事故直後の事を鮮明に覚えていなかった。

 現場を見たときのショックが体の耐えられる限界を越えてしまったことによる一時的なものだろう、と担当医は言った。意識が途絶した時、偶然近くにいた方が救急車で運んでくれたらしく、僕が再び覚醒したのは消毒液の臭いが鼻に突く、灰色がかった天井が視界を埋める病院のベッドの上だった。

 

 丸一日目を覚まさなかったのだと駆け付けた看護師によって知らされたが、流れていた時間はほんの一瞬のものだったように感じられた。

 だが、上体を起こす時にそれを真に実感した。硬直しきった身体は自分のものじゃないようだった。腕には複数の点滴が繋がれ、額や手先には意識を手放した直後に負ったものなのか、包帯が巻かれていた。

 そして頻度の高い割合で頭部に鈍痛を覚え、時折誰かの声まで聞こえていた。


 そんな視界も意識もまだはっきりとしない中、僕の病室の扉が忙しく開いた。そうと思うと、入出してきたその人は自分を包んだシーツの端を強く握り、大粒の涙を流し始めた。日常の中で見ることのない母がそこにはいたのだ。

 安堵からきているものなのだろうと考えたのと共に、親不幸なことをしてしまった、と胸が締め付けられるようだった。そのことに対しては今でも申し訳ないと思っている。

 

 徐々に意識は回復の兆しを見せ、物事の整理が可能になってきた頃に僕は、涙を流し切った母に有花は無事なのか、と弱々しい声で尋ねた。記憶の一部が欠落していたこの時の僕は都合よく願っていた。母が再び表情を暗くし、口を開くその前までは。

 彼女がただの軽傷で、すぐそこのスライド式のドアを豪快(ごうかい)に開けて「怪我しちゃった」と笑みを浮かべながらこの部屋に入って来てくれることを願っていたんだ。

 

 しかし、現実とは幻想を考え、見させてはくれるが、叶えてはくれない。そして今回も例外なく幻想は儚く散った。母が出したその結論は言葉ではなく、かぶりを振るジェスチャー。死んでしまった、魂も肉体もすべて消滅してしまった、と。そう言葉にせず伝えたのだ。


 CCが開発され、世界に拡散し始めた頃から人間の死にある変化が見られるようになった。CCが開発される以前は人間が何らかの要因で致死域に達するとその者の生命は枯れ果て、死んでしまう。その際、魂と器となる肉体は分離し、魂は天上へ、肉体は地上に残る、というものが普遍的かつ絶対的に起こることだった。

 

 しかし、近年の状況は変遷の一途を辿った。人間の持つ致死域に達すると絶命するところに変化はないのだが、『魂と器となる肉体は分離し、魂は天上へ、肉体は地上に残る』という確かな事が起きなくなったのだ。


 まず、結論から言うとこうだ。

人間が死に至った時、魂と器となる肉体は互いに分離せず、魂も肉体も天上に帰る。つまり、地上に残るはずの肉体は残ることなく不可視なものに変化してその場から消滅するということである。科学的根拠もCCとの関係性の有無についてもまだ、はっきりとした結論は提示されていないのだが、息絶えて死が確定した瞬間に不可視な魂と共に肉体は姿を消すのだ。

 

 だから、母から有花の訃報(ふほう)を聞いた時、もう触れることも純粋な笑みを見ることも叶わないことを悟ったのだ。

 そして静かに一線を描いていた涙は激情と共に嗚咽に変わった。


 

 退院してからは気の落ち着きを取り戻して、精神的に安定してきている。また、脳内では有花との思い出がいつも駆け廻っていた。日々の学校生活から彼女が出場した陸上大会。クリスマスや互いの誕生日。そして共に見た花火。その一つ一つを思い出す度、目頭が熱くなる。どの瞬間にも彼女がいたから僕は――今までやってこれたというのに。


「有花……君は今、天国で何しているかな? 僕はね、有花がいなくなってから寝坊癖に引き続き、泣き虫にもなったみたいだよ」

 その問いに対する返答はもちろんない。僕の質問が届いてさえすればそれでいい。

 東側に口を開けた窓からあの日と同じ青天を見上げ、僕はかすかに笑みを浮かべた。数秒間初夏の訪れを感じさせる冷涼な風に当たった後、身を翻してベッドに仰向けの状態で倒れ込み、ゆっくりと右目の(まぶた)を下ろした。そして、眼帯の裏に眠る左目を接続させた。

風鈴の音色と共に空色のホーム画面が出現し、穏やかな口調のアナウンスが脳内に直接流れ込んできた。


『おはようございます、マスター。今日は接続しても大丈夫ですか?』


『ああ、うん。今日は大丈夫だよ。いつも通りでいいよ』

 僕は柔らかく、落ち着いた口調で脳内信号としてCCに送信する。

 CCには口ではなく脳内で喋る、というより言葉を脳内に想い起こして会話するのが基本であり、思考は全て自動でCCが感知するため言葉は不必要なのだ。

 アナウンスは一度咳払いをしてから、明るい声質に切り替えた。


『では、改めて。おはようございます、マスター。本日の脳内接続率は八十九パーセントを持続。体調は良好と判断します。ですが、おはよう占いは最下位。強い意志を持って行動することが吉、だそうです』

 一呼吸置くと、続けた。


『それとマスター、パスメールが一件届いています。過去の記録に該当しないアドレスから送信されているものですので閲覧(えつらん)する際は注意してください』

《パスメール》――脳内で文章構成し、相手と意志疎通または情報共有を図れる次世代型伝達手段。相手のパスアドレスを知っていればその人にメッセージを送信することが可能であり、文字のほかにプレゼントやCCマネー、さらには動画や自分の操るアバターも例外なく送ることが出来る。

 

 しかし、何でも送受信できる反面、見知らぬ人物からのパスメールは最悪ウィルスも一緒に混入している場合もあるので、表示するか否かは使用者の判断が求められる。

 出現したパスアドレスにはアナウンスの通り、見覚えがない。でも手紙型アイコンのそれから出ている吹き出しには【Look At This !】とある。とても重要なことなのだろうか。


『了解。じゃあ、そのパスメールを表示できる?』

 多少警戒しながら僕はパスメールの表示を承認した。

 高音のベルの音と共に、パスメールは表示され、横書きの辟易しそうな硬い文章体が出現する。しかし、目を通した瞬間僕は小さく唸り、回復しつつあった血色を悪くさせた。内容は以下の通りである。


 緊急!! 第五広域特別指定都市、新潟の仮想課から徴兵制導入決定のお知らせ。

 

 先日、議会の採決によって賛成多数で可決された、侵攻の手を緩めない仮想世界への徴兵制導入とそれに付随した徴兵について、以下の者は至急、仮想課新潟支部管轄の境界洞窟に集合すること。あらゆる拒否権は今回の件について何ら効力を持たず、既に決定事項であるため承諾が必然である。

 但し、以下の者の所在が県外の場合は特例措置を取り、緊急招集の対象外とする。


 名前 月島光太郎 十四歳。【県内】

 

 繰り返しになるが至急、仮想課新潟支部管轄の境界洞窟に集合すること。以上。


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