力のカクセイ 4
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メモリスが一人飛び出していった直後。
僕自身、彼女の涙に困惑していた。僕の発言が元となっているは理解している。けれどその時はただ、彼女の背中が小さくなっていくのを凝視することしかできなかった。
何もかも僕のせいであることは間違いなかった。あんな失言しなければ、と悔やまれるところだった。
僕は自らの情けない姿にため息を吐き、傍らに落ちている彼女の剣を拾い上げるために膝を曲げてしゃがみ、そっと手を伸ばした。だが、寸前でその動作はピタッと停止する。
「どうかしましたか、マスター?」
訝しげな表情で言ったユーリも僕の後に続いてしゃがみ込む。
「いや、この剣に触れようとした時に障壁みたいな何かに指先が当たって弾かれた気がしたんだけど……」
実際に触れようとした左手を直視するが目立った外傷はなかった。確かに彼女の剣との距離がほんのわずかとなった時、柄を握らすまいと左手が妨害を受けた気がしたのだ。
「そうですか。では、代わりに私が手に取ってみます」
首を傾げながらユーリは言うと剣の柄に向けて手を伸ばした。すると、あっさりユーリの手の中に収まり、直後、何とも気まずい雰囲気が立ち込めた。
数秒の沈黙の中、ユーリは疑いの目を僕にずっと向け、対して僕はかぶりを振り続けた。
「……マスターって嘘つくの上手いですね。将来、パントマイムとかのパフォーマンス系で生計立てることをお勧めしますよ」
「いや、待って! 僕が嘘つくメリットがないだろう!? その目はやめて。ホントに罪悪感覚えるからやめて。……じゃなくて、ちゃっかり僕を表現者の道に進めようとしないでよ!」
「いいえ、意外といけるかもしれませんよ。先程のように『なぬっ! 僕の神の手が不可視遮蔽物に弾かれただと!!』という中二病的演技も織り交ぜれば、役者の道は開けたも同然ですよ」
「……よし、ユーリ。あとでメンテナンスしよう」
決めポーズと決め台詞を見事に決めたユーリに僕はこの時ばかりはアクセサリーに戻っていてくれと切に思った。
その言動もそうなのだが、ユーリに対する印象が右肩下がりになっていくことに主として胸が痛くなるのだ。
一旦、ユーリの更生計画は置いておいて、今成すべきことについての話にスライドする。
「……で、メモリスのことだけど、追い掛けて仮に遭遇できたとしても何を話せばいいか正直なところ、判んないんだよ」
「そうですね。しかし、メモリスさんに再会出来ないと丸腰のメモリスさんは敵モンスターにやられてしまいますよ?」
「さっきの戦いから戦闘慣れしているってのは感じたけど、それはその剣があったからだもんね。今頃困っているかもしれないし、まずはこれを届けよう! 喋る内容は探しながら考えるってことで」
じゃあ、行こうとユーリに告げようとした時、彼女は僕の服の端をつまんだ。僕は疑念を抱きながら振り返ると、彼女はGDMを出現させる際の動作を行って十六分割された神級ダンジョンの全体図を開いた。そして、僕たちを示す白点に人差し指を向ける。
「今、私たちはこのエリアKのJとの境界線一キロ手前にいます。そして、メモリスさんはその境界線を越えてエリアJに走って行きました」
「うん、それは理解している」
「それで先程、メモリスさんにハグされた時、感知されないようにアクセサリー内のGDMデータを閲覧し、コピーさせてもらいました」
(おいおい、他人様のデータを盗ってしまうとは法に抵触する、かなりグレーなところではないか?)
数分の間に衝撃的な出来事が起き過ぎて早くも色んな感覚が麻痺しそうな僕に構わずユーリは続ける。
「GDMは二対一セットというのは前回に話したと思いますが、マスターとメモリスさんのを組み合わせて完成させると……こうなるんです」
再度、胸の前で円を作ってもう一つのGDMを広げ、二つのマップを合成した。淡い光が発生した直後、エリアの大半にはっきりとした道筋が通り、完成形に近いGDMが姿を現した。
僕は表示されたエリアを舐めるようにして一個一個凝視する。メモリスは二週間以上このダンジョンに潜っていた、とホリスから聞いていた。
そのためかGDM内のほとんどが実線で引かれ、明確な輪郭を有している。これでどこがどう繋がっているかが手に取るように解るようになった。
何か視線が刺さるなと思って上方を向くと、汚いものを見るかのような目をしたユーリがじっと見詰めていた。いつの間にか完成したマップに対して笑みを浮かべていたらしい。
グニルの件もそうだったように、ユーリの視線はかなりの影響力を持っている。突き刺すような冷徹の視線には一切の情の念も感じられない。
見抜かれた者に与えられるのは恐怖、ただそれだけ。そのため、武器技能発動後の硬直状態のように全身が強張ってしまう。
僕は苦笑をこぼし、すぐさまマップに視線を向けた。エリアAから順に隈なく調べて行く途中、一つのエリアだけ通路が開拓されずに薄い線が引かれているのに気づき、小さく声を漏らした。
「エリアJだけ未踏破なのか?」
「そうです。GDMを複製したことで実質、エリアJ以外の踏破には成功しているんです。そして、踏破されたエリアには地下に続く階段は確認できません」
「ということはつまり……」
「ご察しの通り、ほぼ確実にエリアJに神へと続く階段があると推測してよいと考えます。そして、もう一つ。大抵の中ボスクラスのモンスターはエリア内の一フロアを管理しており、そのフロアは複数ということはありますが、存在しないということはありません。最低でも一つは各ダンジョン内に設けられているのです」
僕はもう一度新生GDMをエリアAから隈なく設けられた大広間の有無について視線を動かして確認する。
しかし、それに思しきフロアどころか全て網目状に連結した通路しか載っていなかった。さらに薄い線で引かれるエリアJには多数の部屋があることが見て取れた。
「まさか、エリアJに中ボスがいるってこと?」
「そうと断定できると思います。ですからマスター……」
「うん、急いだ方がいいかもしれない。もしかしたらメモリスが――」
(――何も知らずに中ボスが管轄するフロアに足を踏み入れてしまうかもしれない)
僕は一瞬脳裏に浮かべてしまうが、即座に消去する。
僕とユーリはエリアJに向かって走り出す。体力がもつわけないと解っていてもその脚が、僕の信念が止まることを良しとしなかった。顔見知りの人をもう失いたくない、その一心で。
五分程でエリアKとJの境界線を割り、そして未踏破のエリアJに突入した。
視界右の大部分は護りの大樹の幹に独占され、日の光は地上に届いていない。天然の日陰の中を真っ直ぐ進む、息の荒い僕と並走するユーリ。ほとんど余裕のない僕に比べ、息一つ乱れていないユーリはダンジョンの地形についての報告をする。
「先程エリアJに入ったことでGDMが更新され、中ボスの潜んでいそうな所に該当する場所を発見しました。この先、七百メートルの地点に大広間があります。もしかしたらそこにメモリスさんが……」
突然、ユーリの発言に割り込むようにして警告を示すアラームが鳴り響いた。視界前方には辛うじて視認できる程度だが、色彩が新緑の木々の色から紅蓮の炎のような赤色に変遷していた。
(多分、そこに中ボスである黒色のオーガが待ち構えているのだろう。そして、この警告音が作動したってことは誰かがそこに侵入したと考えるべきだ。もし、その誰かがメモリスだった場合、事態としては重大かつ最悪と取らなければならない!)
この警告を彼女が作動させたか否かを知ることは現段階で無理難題な事なので、どちらにせよ現場に急行することが強く求められている。
僕は隣を走るメモリスに提案する。
「今の……ままじゃ、間に……合わない。だから――」
「――マスターの意図は掴めました。仰る通り、このままでは間い合わないかもですからね。でも、体力には配慮を」
「もうそんな余裕、完全に……ないよ」
ユーリは快諾するとその身を発光させ、左手の半球体に戻って行った。
「――――!!」
そして、僕はユーリが戻るのと同時に瞬間移動の如き光速の速度で中ボスの待つ大広間へと疾走した。もちろん、人間の脚力では光速の速度を生んで走ることはできない。それは同じ人間の僕だって例外じゃない。
しかし、魔法技能というものはその限界の突破や夢を叶える代物であり、例外をなきものにする。故に、今の僕はその魔法の力を借りて前進している。
『マスター。ただいま大広間から氷属性の魔法を感知しました。警告音を作動させた冒険者のものと思われます。それと、中ボスの《グラビトン・フィルビット・オーガ》ですが、敏捷度の数値が下級のオーガに比べて二十倍、攻撃力が十七倍との情報を検索しました。知能面でも通常のものより優れていると考えられますので、戦闘の際はじゅうぶん注意してください』
『うん、解った。引き続き戦略の立案を頼むよ。それと、もし負傷者がいた時は救助と治癒魔法を用意していて』
『はい、マスター』
はっきりと目的地を視認できるところまで直進した時、ユーリは現在の戦闘についての情報を開示した。冗談だろ、と口走りそうになるところをなんとか抑え、情報として頭に叩き込んだ。
出入り口には内からの逃走をさせないようにするためか、バリケードが張られている。しかし、僕は減速することなく突っ切って広々としたフロア内に侵入した。
その時ちょうど、一人の冒険者が高々と跳躍した黒体の大刀使いが発生させた攻撃の余波を受け、吹き飛ばされたところだった。
『マスター!!』
「うん、解っている!」
脳内と外界に張った声が響き、僕は右足で強く地面を蹴って倒れ込む冒険者に向かって一心不乱に駆け抜けた。
その、倒れ込む金色の長髪と女性用の初期装備を装備する冒険者は間違いなく、メモリス当人だった。
そしてじゅうぶんに動けるような状態じゃない事は瞬時に悟れた。加えて、とどめの一撃を実行しようと黒い身体を持った敵が、敏捷性を活かして距離を詰めにかかっている。
(たのむ、間に合え……間に合ってくれ!)
そして、中ボスと思しき敵がメモリスに振りかぶり、大刀を叩き下ろすまさに直前、僕は中ボスとメモリスの間に入るようにして滑り込んだ。
即座に抜刀して強烈な威力を帯びた、僕の背丈を越える武器を今にも折れそうな刀身不明瞭な細身の聖剣で受け止める。
直後、耳を劈くような甲高い金属の衝突音、次いで摩擦音が僕の二尺三寸ほど前方で発生し、腕全体が痺れるような衝撃が剣先から伝ってきた。足元の地面は割れかかっている。
「グゥゥガァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア――――ッ!!」
渾身の一撃を受け止めた僕に対して盛りついたの獣のようにヨダレを垂らし、威嚇の声を上げた中ボスは空いていた左手を所持する大刀に据えてさらに力を込める。
「ぐうっ!」
さすがに筋力の差が僕と中ボスとにはあって、じりじりと大刀は僕に近づいてくる。強くない足腰にも限界が訪れ、地割れは規模を増していく。
メモリスだけでも何とか救わねばと剣に力を込めた、その時だった。
「なん……で……?」
背後から弱々しく、今にも消え入りそうな声が僕に問いた。
それは純粋な疑問だった。でもごく自然な質問だった。
他人と言っておいて、なんに関わりもない初対面と言っておいてなぜ、自分を助けるのか。一人孤独の中を進む自分になぜ、手を差し伸べたのか。メモリスには僕の行動が理解できないと思ったのだろう。当然だった。
でも答えは決まっている。
僕は顔だけ倒れ込むメモリスに向け、彼女のDPを一瞥すると柔らかく笑みを浮かべた。
「決まっているよ。仲間を助けにきたんだよ、メモリス」
今の彼女には仲間という存在が必要だ。メモリスの現実でどんなことがあったのかは想像できないけれど、孤独ほど残酷で辛苦なものはない。
僕もユーリがいなかったら、有花を失った今を生きるという選択肢は浮かばなかっただろう。このダンジョンに入って二週間の間、もしかすれば、それよりもっと長い時間メモリスは一人だったかもしれない。
だから、こんな僕でよかったらメモリスの仲間になりたいと思った。多分、そのことについてはユーリも同意してくれるだろう。
僕の発した言葉にどんな反応を見せるのかと返答を待っていたところ、返ってきたのは言葉ではなく翡翠の瞳から漏れ出た涙の結晶だった。そして、メモリスはその胸の内を言葉にする。
「仲間なんて……初めて言われた。……ずっといらないと……思っていたのに……そう言われると……胸の奥が温かくなって……涙が……」
「メモリス……」
止めどなく溢れる涙に顔をぐしゃぐしゃにしたメモリスは笑みを返した。アクセサリー内の巫女さんも鼻をすすりながら泣いている。僕よりもユーリの方がメモリスの事を心配していたのだろう。
しかし、そんな感動的シーンもすぐに瓦解する。