力のカクセイ 2
「それで、これからどうするの? 私と合流できたのはいいけれど、地下に続く階段はまだ見つけてないのよ? 大まかな目的はここの神の討伐だろうからまずは、その階段を見つけないとだよ」
「このフロアのどこかにいる、新しく出現した中ボスを倒してから神の方に行くかな。一応これも任務の一つだから。それと……」
「随分話し込んでいらっしゃいますね、マスター。しかも私という存在を綺麗さっぱりと忘れたように……。いつ終わるのかと待ってみれば何ですかこのぐだぐだ話は。いい加減時間がないことを意識してください!」
ついに痺れを切らし、激怒したユーリが僕の左隣に現れ、僕のことをじっと見つめる。いや、睨みつけているというのが正しい表現だ。
自分を仲間外れにして和気あいあいと話していたこと、自分以外の女性といい感じ? になっていたことを怒っているようだった。
「その子は一体誰ですか?」
とメモリスがユーリに向かって問い、何とかこの場面の脱出口を見つけた僕は説明をつけようとした瞬間、ユーリは礼儀正しく頭を下げて挨拶した。
「私はマスターの所有するCC、この世界でいうアクセサリー内で補助的な支援を施しているユーリというものです。マスターとの会話はアクセサリーを通して聞いておりました。メモリスさん、以後お見知りおきを」
おおっ! とユーリの丁寧な挨拶に感心した僕にユーリは依然、むむむっと睨みを利かせる。対して数秒間口を閉ざしたメモリスは直後にパッと表情を明るくさせ、ユーリに飛び付いた。
「ユーリちゃん、すっごく可愛い!! お嫁に欲しいくらいだよ」
お主は男ではないじゃろう、とホリス然とした口調でツッコミをかまそうと試みるが、寸前で押し止める。しかし、先程まで僕に接近していたメモリスを拒絶するだろうと踏んでいた僕はユーリの表情に焦点を合わせた。
だが、ユーリは僕の予想に反してご満悦な様子でしかも、時折僕と目が合うと皮肉たっぷりのドヤ顔をこれでもか、という程に披露してくる。多分、程度のよい胸の柔らかさにやられているのだろう。
「止めておいた方がいいよ。そこのユーリさんは大の変人だからきっと、後悔するよ。それよりも……」
しかしながらメモリスは僕の話に耳を傾けておらず、なぜか代弁役になっているユーリが答える。
「あ~、マスターの言いたいことは解りました。しかし、それは私がやります。マスターはそうですね……そこら辺に生えている草やキノコが美味しく頂けるか食べてみてください。ちなみにここら辺のものは全て毒を持っているので注意ですよ!」
「よしじゃあ、まずそこの黄色いやつから……って毒がありますと言われて食う奴はいないでしょ!!」
「おーおー、マスターの人生初のノリツッコミにしては上々ではありませんか?」
「ねぇ、ユーリ。最近マスターを舐めてないかな?」
「いえ、ペロペロなんて気持ち悪いことするわけないじゃないですか」
頭の中で何かがプツンと切れた音がした。
少し調子に乗り始めたユーリにはお灸を据えてあげないといけないらしい。
僕は一歩ずつユーリに近づき、こめかみに拳をめり込もうと指を鳴らした時、突風と共に僕の鼻先数ミリのところに冷気を帯びた金属のようなものが掠めた。そしてそれは紛れもなく先程まで騒いでいたメモリスの剣。
剣先から伸びた腕の方へゆっくりと見やるとメモリスの表情は一転し、凄まじい剣幕で僕の顔を刺すような視線をぶつけていた。
「まさか、ユーリちゃんにいたーい制裁とか加えようとしてないわよねぇ? もし、そんな気持ちが一ミリ……いや、一センチでもあるようならば、今すぐDPゲージを吹きと出すわよ!!」
「なぜ一ミリから一センチに程度を緩めたんですか? ……じゃなくて、ちょっと待って! 僕はユーリのマスターだから良いこと悪い事はきっちり教えないと駄目な立場なんだ。別に何の関係でもないメモリスにとやかく言われる筋合いはないよ。他人、なんだから……」
直後、僕はとんでもないことを呟いてしまったと後悔した。もっと言葉を選ぶべきだった。
どんな事情があったのかは知らない。もしかしたら今のメモリスが本当のメモリスの姿で、ホリスの言っていたメモリスの像は仮の姿なのかもしれない。実際、変な意味で性格はキツいけれど、普通の女の子だ。どこがどうというわけもない。
ただ、何かしらの事情故に仮の姿で生きていかなければいけなかったのなら、僕の放った言葉はあまりに無責任で最低だった。今のメモリスと口伝上のメモリスとの間に生じる違和感に気づいておきながら、情けない程の失態を犯してしまった。
ことにメモリスはさっきまでの闘志を完全に消失させて僕に向けた剣を下ろし、俯いた。そして手元からするりと剣は落下した。
(何だ、先程までの覇気がまるで感じられない。やはり言ってはいけなかったか)
僕はそっと手を伸ばす。
彼女の肩に触れる直前、その手に仄かな熱を帯びた涙が一つ、また一つと落ちてきた。それが彼女の苦痛の涙だということを瞬時には悟れなかった。
「そんなこと……わかっているよ。他人、だもんね。そ、そりゃあ変に介入されちゃ困るっていうか邪魔っていうかを思っちゃうよね。いきなり馴れ馴れしいよね、私」
「待って! だから……」
「ううん、いいの。やっぱり無理だったんだよ。私が誰かとこうして仲良く話したり、笑ったりしちゃいけなかったんだよ」
「それは違う!」
「何が違うの? 私はずっと一人だった。身近に誰かがいても私は一人だった。そんな私が勝手に感情で動き、夢を見たのよ。孤独から逃れるために私はあなたを使ったのよ。だから、これは当然の報いなの。孤独しかない私が夢を見た罰なのよ!」
まくし立てるメモリスは尚も発する。内に溜まった全てを吐きだすように――。
「親を選べず、孤独の中で生きてきた私の何をあなたは知っているの? なぜ違うと言い切ったの? 何の責任も取れず、同じ境遇を歩んだこともないあなたに孤独の辛さなんか解るわけがない! 私が受けた仕打ちの重さを理解できるわけないのよ!!」
彼女はそう叫ぶと同時に目元から光の粒を散らしながら振り返ってエリアJに向かって走っていってしまった。僕もユーリも引き止めようと声を荒らげるも、今のメモリスには届かず、虚空へと吸い込まれていった。
今さっきまでメモリスの手に収まっていた地上に横たわるその剣もまた、彼女と同じく泣いているように見えた。
@@@
言ってしまった。
やってしまった。
何の関係もない赤の他人に感情をぶつけてしまった。
彼は何も悪いことをしていない。ただ、私が我が儘になっていただけだ。逃げ場を失った辛い思いを身勝手に吐いてしまっただけだ。
メモリスは勢いのまま二人の下から姿を消したことに後悔をした。こんな弱い自分を恥ずかしくも思った。そしてまた孤独になったことにホッとした。――そう、どこか安心した。
エリアKからエリアJに向かって疾走、あるいは二人から遁走しているメモリスはふと、現実での自分を脳内で回想し、王女としていた過去を振り返った。思い出したくもない、何もかも夢であってほしかったあの時を――。
西暦二〇八五年 二月。
国の周囲を緩やかな海流に囲まれたイギリスは、王位継承を受ける次代の国王の候補が一人として存在しなかった。
本来ならば王家の血筋を引く男児が代々の国王として国を従えていくのだが、どの王家にもこの年ばかりは国王のみならず王子までもが席を空け、王国存亡の危機に直面していた。
そんな中、三等侯爵家で王家の血を引く当時五歳のメモリスはどんなものにも興味を示し、食べ物になると家族内で右に出る者がいないほどの食欲を魅せる、好奇心旺盛な普通の女の子だった。
外遊びも友達や家族内の付き合いも支障なく円滑に行えたメモリスは、両親だけでなく祖父母や姉からもたっぷりと愛情を受け、順調にすくすくと育っていく――はずだった。
歯車で例えるなら、ここまでは良好な噛み合いを見せ、順調に回転していた。しかし、突然にその歯車は狂い始めた。
ある日、父の許に一通のパスメールが届いた。差出人は先代国王。そして宛先は両親でも彼女の姉でもなく、メモリスに対してのものだった。
当時、初等教育を受ける年齢に達していなかった彼女は、CCの着用はしていたものの機能は凍結されていたため、パスメールの送信場所は父の所に設定されていた。
この頃書く字こそ拙かったものの言葉の理解力は十分に備え持っていたため、恐る恐る中身を開き、読み上げた父の言葉の意味は察することが出来た。
パスメールには次代の王位継承にあたって彼女を第一王女として国王をたて、有力侯爵家の男児と籍を入れてもらう、という内容のものが記載されており、それを読んだ両親と姉はこの話に反対し、メモリス自身も家族と離れ離れになることを恐れて承諾することはなかった。
そして、その行動は国家に反旗を翻したと追われてしまうことを想定したメモリスの家族は、国を捨てて他国に移住をすることを決めた。苦渋の決断であった。しかし、決して英断と言えるものでもなかった。
国外に出国する当日。どこからかその情報が漏れており、自宅に押し掛けた軍の治安部隊と国家警察によってメモリス以外の家族全員は射殺された。
そして、この事件は国家の手によって葬り去られ、メモリスは王国のシンボルである城に連れていかれた。
そこからメモリスの孤独は始まった。
同年四月。
メモリスは晴れて、と言うべきではないが五歳にしてイギリス全土の統治者となった。しかし、それはあくまで表向きの話でメモリスは公務以外での外出禁止令と、一切の対人関係を断つことを強制され、生活こそ苦ではなかったが心の闇は肥えていく一方だった。
そして、十の歳に至るまで人との関わりを最小限にまで制限され、鳥かごに幽閉された小鳥のように制約に縛られ、自由の味を知ることはなかった。
だが、彼女も年相応に心も体も成長し、堅牢な牢獄の如き城から見る子供たちの生き生きとした光景に夢を抱くようになった。
彼らのように自由の翼を生やして生きていると心から実感できる生活を手にしたい、と。
しかし、二年前。
現実の世界はいつもの様相を改変させた。そう、仮想世界による現実世界の大規模侵攻だった。その波はイギリスを捉え、瞬く間に呑み込んだ。
しかしその時、日本国への来訪中だったため、直接的な影響はなかったものの、間接的で、精神面に響くものは多かった。
そして《第一広域特別指定都市・東京》に身を置いていたメモリスは、《仮想空間侵略対策課》からのパスメールを受けた。最初は何が何だか分からなかった。
状況を呑みこんだ何人もの同行者に拒むよう説得されたが、その説得を聞けば聞くほど退屈な現実の世界に突如として現れたもう一つの世界への興味は尽きず、様々な意見を振り切って仮想の世界の土を踏んだ。
しかし、そこにあったのは現実と何も変わらない孤独だった。
どんなに上手く話そうとしてもコミュニケーションが取れない。どんなに前を進もうとしても、植えつけられた心の壁は高かった。
王女としての仕事は大抵付き人が行い、談話などの対人の席には一切入り込まなかった。何年、何十年と限られた少数の人間としか接して来なかった人生経験が裏目に出てしまった。
やがて、当てもなく神級ダンジョンに入って孤独の闇の中で自暴自棄になり、このまま死んでもいいとさえ思った。
この世界でDPと呼ばれる生命の指数がゼロに達してしまえば辛く、物寂しい思いなどしなくて済むのだから、と自身の生命を軽んじていた。
しかし、偶然にも自分の背丈をはるかに超える敵モンスターに怖気づくことなく立ち向かっていく、一人の少年にメモリスは出会った。
遠くから見守っているうちに、自身の心が仄かに熱を帯びた感じがした。幼いころの自分を見ているようだった。その姿が眩しかった。
だからその男の子と仲良くなりたい、友として一緒にいたいと思った。閉塞的な日常から抜け出た自分が初めて抱いた明確な意志であり、願望だった。それに従い、行動を起こすのに時間はかからなかった。
偶然を装って彼と遭遇して彼と会話をして、全くと言っていい程噛み合っていなかったけどそれでも嬉しかった。
自分の名前を呼んでもらった時、心の奥が苦しくなった。心の中では大号泣だった。
一生懸命自分を作って、自分の方を向いてほしいと思った。けれど、だめだった。
彼の前から私は逃げた。彼のパートナーで凄く可愛い彼女からも逃げた。
怖くなった、そう、怖くなったんだ。名も知らない彼もいつか、自分の事を一人にしてしまうのかと不安になったんだ。そんなことないっていうのは十分解っていたのに、疑ってしまった自分が後ろめたくなった。
だからメモリスは走っている。孤独に向かって彼らから遁走している。