未知のセカイ 7
「なんとか無事、とーちゃく!」
ウッシー村の出入り門前にふわりと着地した僕の第一声は高いテンションに満ちていた。ようやく食べ物にありつけるのだ。たった二、三十分のふらふら不安定飛行だったがこの間も空腹の度は増す一方だった。
「目的地に着いたよ、ユーリ。もう出てきていいよ」
左手の甲に装着されたこの世界用のアクセサリーと化したCC内に待機中だった《AI》、ユーリにそう告げると、眼前に高密度の光の塊が出現し、まもなく人の形に変化した。ぎゅっと固く閉じられた瞼を持ち上げ、僕を見たユーリはぱっと表情を明るくさせると同時に何度も飛び跳ねた。
そして、僕と同様にやっと食事にありつけることへの喜びと何が出てくるかという興奮の色を混ぜた思いが彼女の言葉に憑依する。
「早く、早く行きましょう、マスター。おいしい料理たちが私を呼んでいます!」
(一体どこでそんな言葉を覚えたんだよ)
ユーリは僕の服の裾を掴むと猛然と出入り門に向って走り始めた。
眼前に見えるそれは出入り門、といっても村の内と外を隔絶するための扉門は存在せず、自由に行き来できるようになっている。また、余程治安がいいのか門番らしき人物はどこにも見当たらない。
村内外の境界線を引く高さ数十メートルはあろう木の塀は隙間なく屹立し、よじ登っての侵入は不可能だろうと推測される。いや、まずそう考える人自体いないのかもしれない。
僕は視覚で捉えた情報だけでこの何の障害物もない出入り門は改札のない駅のように楽々と通過できると確信した。
しかし、村の内と外との境界線に踏み込んだその時、全身が粘度の高い透明の何かに触れた。一瞬のことだったため気にも留めず、ただ空腹の腹を満たすことだけを頭の中に描いた。
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木々の隙間から漏れた陽光は光芒となって地上を照らし、新芽に光合成を働かせる。
色彩色豊かな花ではなく、緑と茶色の大木が視界の大部分を占拠する。仮想世界の中だというのに現実の世界の空気より美味しく感じられるのは、この空間がとても澄んだところだからと理由付けできるだろう。
村の中は一言でいえば木々と一体化したところだった。道は整備されているが現実とは異なってアスファルトは敷かれていない。というかもし、敷かれていようならば景観としては破滅的な惨状になっていたことだろう。一瞬想像してしまうが……やはりナシだ。
屹立する木々は高木層まで高さを持つものがほとんどで、一本一本の幹の太さは現実のものを遥かに凌ぐ。そして、大量の木々が無遠慮に生育するせいか、立ち並ぶ家々は皆、木造でシンプルな形状のものが多いように見受けられる。――まさに自然と共存している村だった。
僕とユーリは両端に巨木が無作為に並ぶ区画された道を歩き続け、レストランの様相を呈する店が目に留まればすぐに地を駆けてそこを確認するが、料理店ではないといったことが不運にも連続して発生し、なかなかそれ関係の店を見つけるに至らなかった。
そして、入村から三十分後。
いろいろな方向に進み続け、息の上がった僕とまだまだ余裕を見せるユーリは、ある開けたところに到着した。
地表面は今立っているところと異なって背の低い草が生え、緑の絨毯のようだった。そして、そのまま視線を少しずつ上げ、その先に映ったものはこれまで目にしてきた木製の民家とは異なり、金属の骨組みとコンクリートで設計されたと思われる白い四階建ての建物だった。
周囲を囲む自然の象徴の中にひっそりと佇む景観ぶち壊しの建物。思わず立ち止まってしまうほどの衝撃を受けたことはもはや、避けようもない事実。緑の大地を蹂躙した白亜の城塞は謎めいた雰囲気を醸し出していた。
「マスター、あれは一体何でしょうか?」
ユーリも同様にあの建物自体に疑問を持っていたらしい。僕は焦点を合わせるべく、少し目を細める。
「何かの建物ってのは判るけど、さっぱり見当もつかないよ。ここにある存在理由もどのように使用されるのかという用途も。まあ、とりあえず近くまで行ってみようか」
僕が前進しようと一歩を踏んだ時、ユーリは少し強めに僕の服を引っ張った。どうした、と質疑を行う前にユーリの口から応答なる言葉が出る。
「あの建物の前方、十五メートル圏内に多数の人物反応を検知しました。どうやらあそこで何かをしているようです」
その言葉に僕の証明印を押すべく再度、目を細めた。そしてしばらく黙考した。
確かに目を凝らして見れば見えないわけでもないが視認するのはかなり難しい。しかし、そこに人が集まっているのなら話が早い。どこに料理を扱っている店があるのか聞ける絶好の好機ではないか。
その黙考が功を奏し、良い案を発案した僕は快音を指から発生させて隣の少女に口伝する。
「じゃあ、慎重かつ自然な動きでその集団に近づいて、この村の事をいろいろ聞いてみよう」
目的の九割九分は食事の事なのだが、その事は敢えて口には出さない。まあ、出したところで何が起きるわけでもないのだが――。
軽く頷いたユーリと共に僕は緑のクッションを踏みしめながら歩を進め、程なくして二、三十人は優に超す様々な格好をした集団とぶつかった。しかし、当初計画していた料理店の情報を入手するという目論みは早くも散り散りとなった。
どこもかしこも慌ただしく会話をしたり奔走したりと、とても話しかけられる状況ではなかったのだ。ある集団は大型のスクリーンを展開して作戦会議を、またある集団では縦横無尽に一帯を駆け回り、情報収集活動を実施していた。
そのただならぬ緊張感と切迫した表情の露呈する彼らは僕たちに見向きもせずに黙々と自身の持ち場で動いていた。
「何かあったのでしょうか? みなさんとても忙しそうですね」
こんな慌ただしい状況だ。何かあったのは間違いないだろう。
ユーリに頷き返した僕は彼らから視線を外して右方向へ舵を取ると、一人腰を曲げた老人が集団より少し離れた所に立っており、浮かない顔をしていた。多分この方がこの場の最高責任者なのだろう。
少々気になった僕はその老人に近づき、恐る恐る訊ねてみた。
「あのーすみません。何かあったのでしょうか?」
すると長く伸ばした白髪の老人はゆっくりとこちらに身を翻し、鋭い眼力で僕を睨むと一文字に結わえた口を開いた。
「どこぞの馬の骨かも知らんお前さんに話す事は何もないのじゃ。第一、お前さんに聞かせても何の力にもなりゃせんよ」
いきなり浴びせられた暴言にまたしても開いた口が塞がらないくらいの衝撃を受け、数秒間思考が停止する。三日ぶりの罵声に耐性が弱体化していたらしい。
血液が再び滞りなく脳内に送られ、情報処理能力が復活した時にフンッと鼻を鳴らして僕を罵倒した老人に対し、カチンとこなかったと言えば嘘になるのだが。
だが、冷静に考えるに僕は所詮、よそ者の存在に過ぎない。今でさえこれ程慌ただしい状況なのに、さらに事を大きくすることこそ多大な迷惑を被ることになるだろう。
「……お忙しい中無礼な質問に謝罪します。僕たちは仰る通り何の力もないよそ者です」
では失礼します、と深々と一礼して身を翻して次の人を当たろうとした時、背後から奇声に等しい裏返った声が発生した。
「待て! 待つのじゃ!! お……お主、その……その聖剣をどこで手にしたのじゃ!?」
奇声の主――つまり背後にいる人間は僕の左腰に差してあった《透明剣アマテラス》を指差して叫んだ。再度、体を反転させて向き直った僕は一度相棒に視線を注いでから言った。
「いや、特別な方法で入手したわけじゃなくて、空から落ちてきた木箱の中に入っていたんです。これに見覚えでもあるんですか?」
僕の純粋な疑問はまたしても愚問だったらしく盛大に檄が飛んでくる。
「ア……アホ抜かせ! 見覚えがあるからお前さんに聞いたんじゃろうがッ!! しかし、まさかお主みたいな小童が《聖剣使い》のはしくれとは、この世も地に落ちたものじゃ」
「ええっと、そのセイケンツカイ、というのをもう少し詳しく教えてくれませんか? それとよろしければ、今皆さんが慌ただしい理由を教えてもらえれば……ってアレ? もしもーし」
直後、老人は冷凍された様にフリーズした。原因は僕の聖剣使いらしからぬ質問。何度も認知していて当たり前とされる質問を投げかける僕に呆れ、その度を越えてしまったことによるものだろう。
一時的フリーズ状態から解凍するのに数秒要した老人はコホンと咳払いをして続けた。
「――仕方ないのう、無能かつ欠乏した頭脳を持つお主に特別教授してやるのじゃ。このアグレスヘイトには十の神と十の聖剣が存在しておる。……いや、存在しておった。神は個々に司る対象が異なり、互いに干渉し合いながら各地の島々を統治しておるのじゃ。そして稀にその神が暴走することがあり、その時、鎮静剤の役割を担っていたのが聖剣使いと呼ばれる裏の統治者じゃ。彼らは暴走する神々を鎮め、退魔の剣を持って世の中に悪を巣食わせないようにしておったのじゃ。じゃがつい五年前、突如として聖剣使いは姿を消したのじゃ。それ以降、現在に至るまでいくつもの都市が破壊され、このアグレスヘイト全土は衰退しているのじゃ」
前半の暴言に反応していては身が持たないと判断を下した僕は隣で真剣に耳をそば立てるユーリと共に無言で話を聴く。
(なんか、文明が衰退しているようには見えないんだけどな)
数瞬の間の後、真っ青な空を見上げて何かを懐古するような表情を露わにした老人は再び口を開いた。
「ここも昔は神の恩恵を受けていた村じゃった。草木は豊富に存在し、その数は増減することなく、常に一定数で保たれておった。しかし、五年前に聖剣使いが姿を消してからこの村は元の活気を失い、保たれておった自然環境、摂理は崩壊して村としての機能も限界を迎えようとしていたのじゃ。そこについ一ヶ月前、お主と同じ聖剣を携えた少女が現れたのじゃよ!」
「――――!!」