第94話 白銀の騎士が捨てた過去、そして選び取った「盾」
『雷鳴の塔』攻略から数日。
ヴォルテックスの街は、未だに祝賀ムードが続いていました。
私たち『ブレイク・スルー』は、英雄として扱われ、宿代も食事代もタダになるほどの歓迎ぶりです。
「ふぅ。有名になるのも考えものだな。どこへ行ってもサインを求められる」
エレナさんが、宿屋のラウンジで紅茶を飲みながら、やれやれと肩をすくめました。
その横には、大量のファンレターや贈り物が積まれています。
長身の美人騎士。その凛とした姿は、特に女性からの人気が高いようです。
「いいじゃないですか。エレナ様の素晴らしさが世間に知れ渡るのは、この上ない喜びです」
「いや、私はリンが影から睨みをきかせていることの方が怖いのだが……」
平和な昼下がり。
カイルさんは新しい剣の手入れに余念がなく、ジュジュはテーブルの上で菓子を頬張り、私も久しぶりに「普通の服」を着てリラックスしていました。
その時、宿屋の扉が開き、カツン、カツンと硬質な足音が響きました。
「……ここにいたか、エレナ」
その声に、エレナさんの背筋が凍りついたように強張りました。
私たちが振り返ると、そこには一人の騎士が立っていました。
王宮騎士団の鎧とは違う、深紅のマントを羽織った白銀の甲冑。
その顔立ちは、エレナさんとよく似ていましたが、より冷徹で、厳格な雰囲気を漂わせています。
「兄上……?」
エレナさんが立ち上がり、声を震わせました。
「兄上だと!?」
「エレナのお兄さんですか?」
カイルさんと私が驚く中、その男性――ヴァルデオ・ガードナーは、私たちを一瞥もしませんでした。
ただ、エレナさんだけを冷ややかな目で見据えています。
「塔を攻略したと聞いた。……遊びにしては、度が過ぎているぞ」
「遊びではない! 私は真剣に冒険者として……」
「黙れ」
ヴァルデオさんが一喝しました。
その瞬間、空気が重くなり、肌を刺すようなプレッシャーが放たれました。
相当な使い手です。おそらく、王宮騎士団の団長クラス。
「(おおっ……! 言葉だけで物理的な圧迫感! これは期待できそうなサディストですね!)」
私が密かに興奮していると、ヴァルデオさんは冷酷に告げました。
「ガードナー家の恥さらしが。実家に戻れ。父上がお呼びだ」
「……断る」
エレナさんがきっぱりと言い返しました。
「私はもう、家とは縁を切ったはずだ。騎士団も辞めた。今の私は、パーティ『ブレイク・スルー』の盾だ」
「盾? 笑わせるな」
ヴァルデオさんが鼻で笑いました。
「お前は昔からそうだ。『守る』ことしか能がない。剣を握らせれば鈍重、魔法を使わせれば不発。幼き頃の剣術大会でも、相手の攻撃をただ耐え続けるだけの無様な姿を晒し、父上の顔に泥を塗った」
ヴァルデオは侮蔑の笑みを浮かべ、さらに言葉を続けます。
「騎士団に入ってからもそうだ。前線の盾として使い潰され、手柄は全て華のある攻撃手に奪われる。『鉄壁』などとおだてられ、いいように利用されていることに気づきもしない。攻撃のセンスも、戦術眼も、政治的な駆け引きもできん、ただの頑丈な木偶の坊。だから騎士団でも居場所をなくし、逃げるように出奔したのだろう?」
どうやら、エレナさんの過去には「守ることしかできない」という強烈なコンプレックスがあったようです。
名門騎士の家に生まれながら、華々しい戦果を挙げられず、器用な立ち回りもできず、ただ実直に、泥臭く盾を構えることしか許されなかった少女時代。
彼女がこれまで頑なに掲げていた「タンクとしての矜持」。
それは、誇りであると同時に、「守ることしかできない自分」を肯定するための、悲痛な自己防衛だったのかもしれません。
「私は盾だ」「それこそが私の役割だ」と言い聞かせることでしか、彼女は騎士としての自分を保てなかった。
それが彼女の心の傷であり、分厚い鎧の下に隠していた素顔なのです。
「それに、なんだその連中は」
ヴァルデオさんがようやく私たちを見ました。
侮蔑と嫌悪の入り混じった視線。
「被弾狂いの変態に、一発屋の大剣使い、それに暗殺者のストーカー……。犯罪者予備軍の集まりではないか」
「よくご存知で。私の性癖まで把握しているとは、さてはお兄様も私のファンですね?」
「貴様を斬り殺さなかった理性を褒めてもらいたい」
私が媚びを売ると、ヴァルデオさんのこめかみに青筋が浮かびました。
リンさんはすでに影から殺気を放っており、カイルさんも剣に手をかけています。
「エレナ。こんな連中と遊んでいる暇はない。お前の『硬さ』だけは評価されている。実家に戻り、政略結婚の駒として……」
「違うッ!!」
エレナさんが叫びました。
彼女はテーブルを叩き、兄を睨みつけました。
「彼らは、私の『硬さ』を利用するだけの連中ではない! 私の不器用さも、頑固さも、すべて受け入れて背中を預けてくれた仲間だ!」
エレナさんは拳を握りしめました。
「私は知ったのだ。ただ耐えるだけが盾ではないことを。恐怖を受け入れ、流し、反撃に転じる強さを! 彼らが私に教えてくれたのだ!」
「……口だけは達者になったな」
ヴァルデオさんが腰の剣を抜きました。
装飾的なレイピアですが、そこから放たれる魔力は鋭利な刃そのものです。
「ならば証明してみせろ。お前がその『底辺』どもと関わって、何を得たのかを」
「……いいだろう。表へ出ろ、兄上!」
◇
宿屋の裏庭。
エレナさんとヴァルデオさんが対峙しました。
ヴァルデオさんは構えもせず、自然体で立っています。
「来い。一撃で沈めてやる」
「行くぞッ!」
エレナさんが踏み込みました。
『金剛の聖篭手』を構え、真っ直ぐな突進。
「単調だ」
ヴァルデオさんがレイピアを一閃させました。
速い。
切っ先がエレナさんの喉元を狙います。
以前のエレナさんなら、足を止めて防御していたでしょう。そして、防御の上から衝撃を通され、吹き飛ばされていたはずです。
ですが。
「(見える……!)」
エレナさんは止まりませんでした。
レイピアが触れる寸前、彼女は魔力を循環させ、上半身を脱力させました。
フワッ。
レイピアの軌道が逸れました。
エレナさんの肩の装甲を滑り、空を切ります。
『循環』と『脱力』の合わせ技。
「なっ……!?」
ヴァルデオさんが目を見開きました。
自分の剣が、まるで水に突っ込んだかのように勢いを殺されたからです。
体勢を崩した兄の懐に、エレナさんが飛び込みました。
「これが、私の新しい盾だァッ!!」
エレナさんは拳を引かず、踏み込みの勢いをそのまま掌底に乗せました。
『金剛・返し』。
ドォォンッ!!
衝撃波がヴァルデオさんの腹部を貫きました。
彼は数メートル後退し、地面に片膝をつきました。
「ぐっ、ぅ……!」
「……勝負あり、だな」
エレナさんは追撃しませんでした。
ヴァルデオさんは苦痛に顔を歪めながら、信じられないものを見る目で妹を見上げました。
「お前……いつの間に、あんな『柔』の技を……?」
「教わったのだ。変態と、火力バカと、ストーカーにな」
エレナさんは私たちの方を振り返り、誇らしげに微笑みました。
「私はもう、ただの頑固な盾ではない。衝撃を力に変え、仲間と共に前に進む『戦車』だ」
ヴァルデオさんはゆっくりと立ち上がり、剣を収めました。
その表情からは、侮蔑の色が消えていました。
「……フン。どうやら、少しはマシな飼い主を見つけたようだな」
「飼い主ではない。戦友だ」
「好きにしろ。……だが、父上は諦めんぞ。いずれまた、本家の使いが来ると思え」
ヴァルデオさんはマントを翻し、去っていきました。
捨て台詞のようでしたが、その足取りはどこか軽やかにも見えました。
不器用な兄なりの、妹への激励だったのかもしれません。
「行っちゃいましたね。……もう少し殴られたかったのですが」
「貴様は黙っていろ!」
エレナさんは私にチョップを入れましたが、その顔は晴れやかでした。
「ありがとう、みんな。おかげで、過去を断ち切れた気がする」
「へっ、水くさいぜ。俺たちは『ブレイク・スルー』だろ? 家のしがらみなんて、まとめて突破してやらぁ!」
「エレナ様の敵は、実家だろうと私が排除します(暗黒微笑)」
カイルさんとリンさんが笑います。
これで、エレナさんの憂いもなくなりました。
過去を乗り越え、より強固になった結束。
「さあ、これで心置きなく出発できますね」
私は西の空を見上げました。
そこには、赤黒い噴煙を上げる火山が見えます。
「次なるターゲットは『灼熱の古龍』。そして、父からの依頼品『竜の涙』。……火傷の準備はいいですか?」
私たちの冒険は、次なるステージへと進みます。




