第88話 城を砕く拳骨と、死を受け入れる「器」の拡張
ヴォルテックスの街は、決戦前の静けさに包まれていました。
カイルさんはベルタ師匠の元で包丁を振るい、エレナさんとリンさんはクラリス様と殺し合い(特訓)を演じています。
「ふぅ……。皆さん、充実していて羨ましいですね」
私は一人、ギルドのベンチで虚空を見上げていました。
私には師匠がいません。
回復魔法は独学(自傷の果てに習得)ですし、タンクとしての技術も自己流(ただ耐えるだけ)。
何より、私の「もっと痛い目にあいたい」という欲求を満たしつつ、的確な指導をしてくれる人など、この世にいないのです。
「暇じゃのう、ルシアン」
頭上から影が落ちました。
見上げると、岩のような筋肉を晒した老人――ベルン支部のギルドマスター、ガンツさんが立っていました。
「ギルマス!? なぜ貴方がここに? ベルンの支部はどうしたのですか?」
「休暇じゃよ。……というのは建前でな」
ガンツさんはニヤリと笑い、懐から一枚の指令書をチラつかせました。
「お前たちが『神域』に到達したという報告が本部に入ってな。未踏領域の攻略認定と、Sランク昇格試験への『挑戦資格』を見極めるための**『特別監査役』**として派遣されてきたんじゃ」
「監査役、ですか。ご苦労さまです」
「ふん。まあ、お前たちの無茶苦茶な戦いぶりを見届けるのは、わしの性分に合っとるからな」
ガンツさんの眼光が鋭くなります。
Sランク昇格試験の立会人として、彼もまた私たちの敗北を聞いていました。
「理解しています。あの方の攻撃は、私の再生速度を上回る『消滅』の力。痛みを感じる前に炭になっては、私の美学に反します」
「再生速度の問題ではない」
ガンツさんが、私の隣にドカッと座りました。
ベンチが悲鳴を上げます。
「お前は『治す』ことに頼りすぎじゃ。ダメージを受け流し、あるいは耐え、その上で治すのが本来のタンク。……だがお前は、受けて、壊れて、治す。それでは『一撃必殺』を持つ相手には勝てん」
「では、どうすれば?」
「**『器』**を広げろ」
ガンツさんが、自身の拳を握りしめました。
ゴォッ……!
ただ拳を握っただけなのに、空気が圧縮され、衝撃波が発生します。
元Sランク『素手で城を解体した男』。その二つ名は伊達ではありません。
「わしの拳は、城壁だろうがドラゴンの鱗だろうが粉砕する。……受けてみるか?」
「はいッ! 喜んで!」
私は即答しました。
Sランクの拳骨。それは間違いなく、極上の痛み(ご褒美)です。
「ついて来い。地下訓練場へ行くぞ」
◇
ギルドの地下深く。
アダマンタイトで補強された特別訓練場にて、私とガンツさんは対峙しました。
「行くぞ。防御魔法も、チョーカーも全開にしろ」
「準備万端です!」
私は両手を広げ、無防備な姿を晒しました。
「ぬんッ!!」
ガンツさんが踏み込みました。
単純な正拳突き。ですが、その拳には「城を砕く」という概念めいた破壊力が宿っています。
ドォォォォォンッ!!!
「あぐべぇッ!?」
腹部に拳がめり込み、私は「くの字」になって吹き飛び、壁に激突しました。
内臓破裂。脊椎粉砕。
即座に『超速自己再生』が発動し、傷を塞ごうとします。
ですが――。
「(なっ……!? 治らない!?)」
傷口から白い光が溢れますが、肉がくっつきません。
ガンツさんの破壊のエネルギーが、傷口に残留し、再生を阻害しているのです。
「痛い! 痛い痛い! 治らない痛み! 新鮮です!」
「喜んでおる場合か!」
ガンツさんが追撃を仕掛けてきます。
二発、三発。
殴られるたびに、私の体は崩壊し、再生不全に陥っていきます。
「わしの拳は『破壊』の権化じゃ。お前の再生力とて、許容量を超えれば機能停止する」
ガンツさんが私の胸倉を掴み上げました。
「あの『雷神』の攻撃も同じじゃ。奴の雷は、存在そのものを消し飛ばす。……今のままでは、お前は再生する前に消滅するぞ」
「そ、それは困ります……! まだ味わい足りないのに……!」
「ならば耐えろ! 治すな! 『死』を飲み込め!」
ガンツさんの言葉が、脳裏に突き刺さりました。
治すな?
死を飲み込め?
「お前の『被虐の聖域』は、受けたダメージを即座に放出して味方を癒やしておる。……だが、それでは『軽い』んじゃ」
ガンツさんが拳を振り上げました。
「溜めろ。痛みも、破壊も、死の恐怖も! 全てを肉体の内側に留め、圧縮し、限界まで耐え抜け! ……そうすれば、お前の肉体はただの『肉』から、神の攻撃すら受け止める**『聖遺物』**へと昇華する!」
治すために魔力を使うのではない。
壊れようとする体を、魔力で無理やり繋ぎ止め、破壊のエネルギーごと体内に封じ込める。
それは、回復魔法の常識を覆す、自壊覚悟の荒業。
「(なるほど……! ダメージを消化せず、胃袋に溜め込むようなものですか!)」
私の変態的な理解力が、答えを導き出しました。
今までは「食べてすぐ出す」から、お腹が空いていた(再生が追いつかなかった)。
ならば、「満腹になるまで詰め込めばいい」。
「来ますよ、ガンツさん! おかわりをください!」
私は再生を止めました。
代わりに、全身の魔力を内側に向け、壊れかけた細胞を強引に圧着させます。
イメージは、圧力鍋。
「いい目じゃ! 食らえッ!!」
ズドォォォォォォォォンッ!!!
ガンツさんの渾身の一撃が、私の土手っ腹に突き刺さりました。
体が千切れ飛びそうになる衝撃。
ですが、私は飛びませんでした。
衝撃を体内で循環させ、破壊エネルギーを「熱」と「快感」に変えて、腹の中に押し留めたのです。
「ぐ、ぬ、ぅぅぅぅぅッ!!!」
全身が赤熱し、血管が浮き上がり、目から光が溢れます。
痛い。苦しい。死にそう。
でも、耐えられる。
「(ああっ……! 凄いです! 体の中に、城を砕くエネルギーが渦巻いています! これが……死を飼い慣らす感覚!)」
私の体が、白く輝き始めました。
これまでの癒やしの光ではありません。
触れるものすべてを焦がすような、高密度のエネルギー体。
「……ふん。やりおったか」
ガンツさんが拳を引きました。
私の腹には拳の跡がくっきりと残り、そこから煙が上がっていますが、私は立っていました。
「耐えました……。いえ、飲み込みましたよ、ギルマス」
私は口から黒い煙を吐き出し、ニタリと笑いました。
「これなら、神様の雷も『完食』できそうです」
「……まったく、とんでもない怪物じゃな」
ガンツさんは呆れつつも、満足げに笑いました。
「合格じゃ。それがお前の新たな力、『不沈の聖体』。……もうお前は、人間じゃなくていい」
人間卒業のお墨付きを頂きました。
光栄です。
これで全員の準備は整いました。
カイルさんの『折れない剣』。
エレナさんの『柔らかい盾』。
リンさんの『消える影』。
そして私の『死なない体』。
「行きましょう。3日目の朝です」
私たちは再び集結しました。
目指すは第50階層。
神殺しの準備は、完璧に整いました。




