第80話 影なき世界、行き場を失った暗殺者の焦燥(前編)
「……眩しい」
第48階層の扉を開けた瞬間、私たちの視界は白一色に染まりました。
そこは、床も壁も天井も、全てが鏡のような結晶で覆われた**『極光の回廊』**。
無数の結晶が互いに光を反射し合い、影が一切存在しない「絶対光」の世界です。
「うわっ、目が痛ぇ! どこ見ても真っ白だ!」
「敵はどこだ? 光に紛れて気配が読めん!」
カイルさんとエレナさんが目を細めて周囲を警戒します。
しかし、この環境で最も追い詰められていたのは、リンさんでした。
「(……影が、ない)」
リンさんの顔から血の気が引いていきます。
彼女の戦闘スタイルは、影に潜み、死角から忍び寄る暗殺術。
そして、マダム・ガルドの新装備『影渡りのブーツ』も、影や磁場を利用して移動するアイテムです。
ですが、この全方位から光が降り注ぐ空間では、隠れる場所など物理的に存在しません。
「キィィィィィン……」
空間の中央に、光の粒子が集束し始めました。
現れたのは、実体を持たず、光のみで構成された人型のエネルギー体。
第48階層の主、『輝ける虚像』。
「排除シマス。不浄ナル闇ヲ」
ファントムが腕を掲げると、周囲の結晶が一斉に輝き、無数のレーザーが私たちに照射されました。
「来ますよ! 皆さん、私の後ろへ!」
私はチョーカーの鈴を鳴らしました。
チリンッ……。
マダムに追加してもらった『不快音波』とフェロモンのコンボ。
ファントムの光が明滅し、標的が私に固定されます。
「対象ヲ変更。汚物ヲ焼却シマス」
ジュッ! ジュワアアアッ!!
「あぐっ、熱い! レーザー脱毛の出力ミスったみたいに痛いですぅぅッ!」
数百本のレーザーが私を貫き、焦がします。
再生が追いつかないほどの熱量。ですが、私が耐えている間に、カイルさんとエレナさんが動きました。
「行くぞオラァッ!」
カイルさんが新装備『紅蓮のイグニス・オーバーロード』のギミックを作動させました。
グリップのシリンダーが回転し、魔力が圧縮されます。
「パイルバンカー・加速!」
ドォンッ!!
剣の鍔から爆発的な推進力が生まれ、大剣がロケットのように加速しました。
ただでさえ速い『脱力』の剣速に、機械的な加速が乗った神速の一撃。
「斬れろッ!」
光の巨人を両断――したかに見えました。
しかし、大剣はファントムの体をすり抜け、空を切りました。
「なっ……!? 実体がない!?」
「物理無効か! ならば魔力で弾く!」
エレナさんが前に出て、『金剛の聖篭手』を構えます。
ファントムが放った極太のレーザーに対し、掌底を合わせました。
「『衝撃変換』ッ!」
バチィィィンッ!!
レーザーのエネルギーを篭手が吸収し、魔力へと変換。
エレナさんはその魔力を拳に乗せ、殴り返しました。
魔力と魔力の衝突。
ですが、ファントムは光となって霧散し、別の場所へ瞬時に再構築されました。
「(瞬間移動……いえ、光速移動ですか)」
私は黒焦げになりながら分析しました。
物理は効かず、魔法で迎撃しても逃げられる。
しかも、こちらは常に全方位からの反射レーザーに晒されている状態。
「リン! 魔法で動きを止めてくれ!」
カイルさんが叫びました。
物理が効かない相手には、魔法が有効です。
リンさんはヴォルグ団長から盗んだ雷魔法を使えるはず。
「は、はいッ!」
リンさんが『暗殺者の短剣』を掲げ、雷の魔石を握りつぶしました。
魔力を無理やり増幅させ、雷撃を放ちます。
「『サンダー・ボルト』!」
黄色い稲妻がファントムに向かって走りました。
ですが、ファントムは動こうともしません。
周囲の鏡面結晶が勝手に動き、雷撃の軌道上に割り込んだのです。
カィン!
雷魔法が鏡に反射され、あらぬ方向へ飛んでいきました。
「反射……!? 魔法も通じないのですか!?」
「光ト雷ハ同質。我ガ領域デハ無効」
ファントムが無機質に告げると、カウンターの光弾をリンさんに放ちました。
「リン!」
エレナさんが割り込み、盾で光弾を防ぎます。
ですが、衝撃で吹き飛ばされ、体勢を崩しました。
「くっ……!」
「エレナ様!」
リンさんが駆け寄ろうとしますが、足が止まりました。
隠れられない。
魔法も通じない。
物理攻撃も届かない。
今の彼女には、成す術が何一つなかったのです。
「(私は……何もできない)」
リンさんの心に、暗い影が落ちました。
彼女の強さは、「道具」と「不意打ち」に依存していました。
ヴォルグ団長の魔法も、所詮は見様見真似のコピー。魔石という「電池」がなければ発動すらできない借り物の力。
真正面からの魔法合戦において、本物の魔力生命体に勝てるはずがなかったのです。
「邪魔デス」
ファントムが手をかざしました。
エレナさんは体勢を崩しており、カイルさんは遠くにいます。私は再生中で動けません。
標的は、無防備に立ち尽くすリンさん。
「(避けなきゃ……でも、どこへ? 影がない。逃げ場がない)」
思考が空回りする中、光の奔流が迫ります。
「リンッ!!」
エレナさんが叫び、無理な体勢からリンさんを庇うように飛び込みました。
ジュッ!!
「ぐ、あああああッ!!」
エレナさんの『白銀の城壁』が赤熱し、衝撃で吹き飛ばされました。
アダマンタイトでなければ即死していたであろう熱量。
エレナさんはリンさんを抱きかかえたまま、地面に転がりました。
「エ、エレナ様……!?」
「ぐぅ……! すまん、油断した……!」
エレナさんが苦悶の表情を浮かべます。
リンさんの目の前で、最愛の人が傷ついている。
それも、自分が何もできなかったせいで。
「(私のせいだ……。私が弱いから……。借り物の魔法じゃ、何も守れない……!)」
リンさんの手の中で、使い切った魔石の粉がサラサラとこぼれ落ちました。
道具が尽きれば、ただの無力な少女。
それが、今の彼女の現実でした。
「下がるな! 陣形を立て直すぞ!」
カイルさんが大剣を振り回し、牽制します。
私たちは一度、入り口付近まで後退を余儀なくされました。
「どうしますか? 物理無効、魔法反射、全方位攻撃。……詰んでませんか?」
「まだだ! 奥の手がある!」
カイルさんが大剣『紅蓮のイグニス』を構え直しました。
刀身に魔力を集中させようとします。
「物理が透けるなら、魔力と重力の奔流で空間ごと叩き潰す! 『流星・落牙』なら……!」
しかし、魔力を練り始めた瞬間、ファントムの輝きが増しました。
「高エネルギー反応ヲ感知。優先排除シマス」
ズドドドドドドッ!!
四方八方の鏡から、カイルさんめがけてレーザーの雨が降り注ぎました。
「くそっ、チャージさせてくれねえのかよ!」
カイルさんは回避行動を余儀なくされ、魔力集束が霧散してしまいます。
たとえ数秒の短縮チャージでも、この光速の弾幕の中では永遠のような長さです。
足を止めることが許されない。
「ダメだ! 妨害が凄すぎて溜められねえ!」
カイルさんが叫びますが、打開策は見えません。
特に、リンさんの消耗(メンタル面)が激しい。
彼女は震える手で短剣を握りしめ、自責の念に押しつぶされそうになっていました。
「(魔法……。私には魔法の才能がない。だから道具に頼った。盗むしかなかった。……でも、それじゃダメなんです)」
リンさんは、圧倒的な光を放つファントムを見つめました。
本物の光。本物の魔力。
偽物の自分には届かない、遥か高みにある力。
「(欲しい。エレナ様を守るための、私だけの力が……!)」
絶望と焦燥。
その極限状態で、彼女の中で何かが弾けようとしていました。
借り物ではない、彼女自身の「魔力」の脈動が。
「来るぞ! 第二波だ!」
ファントムが再び輝き始めました。
絶望的な光の中で、彼女の魂が静かに変質を始めていました。
暗殺者は今、光の中で生まれ変わろうとしていました。




