第76話 第46階層、次元を斬る剣聖と「肉の鞘」
第45階層の図書館を抜け、私たちは第46階層の扉を開けました。
そこは、これまでの派手な環境とは一転し、静謐な空気が漂う**『石造りの道場』**でした。
装飾の一切ない、冷たい石の床。
張り詰めた空気。
そして、部屋の中央に「それ」は佇んでいました。
中身のない、朽ちかけた古の鎧。
手には、刀身が透明なガラスのように透き通った長剣を持っています。
『虚空の剣聖』。
「……嫌な気配だ。生物としての生々しさがない」
「魔力反応も希薄です。まるで、そこに『いない』みたいです」
カイルさんとリンさんが警戒を強めます。
鎧がゆっくりと顔(兜)を上げました。
中には闇が渦巻いています。
「……、……」
声なき言葉と共に、剣聖が構えを取りました。
その瞬間。
ザンッ!!
「がはっ……!?」
カイルさんの胸から、鮮血が噴き出しました。
剣聖は動いていません。
彼我の距離は10メートル以上離れています。
それなのに、カイルさんは斬られたのです。
「カイル!?」
「な、何が起きた!? 斬撃が飛んできたのか!?」
エレナさんが盾を構えて前に出ます。
しかし。
ギャリィィィン!!
「ぐぅッ!?」
エレナさんの『白銀の城壁』に、深々と斬り傷が刻まれました。
やはり、剣聖は一歩も動いていません。
ただ、剣を振る動作をしただけ。
「(……見えました。あれは『飛ぶ斬撃』ではありません)」
リンさんが冷や汗を流しながら告げました。
「**『空間切断』**です。剣を振るった軌道上の空間を、距離を無視して切り裂いています。防御も回避も不可能です」
「はぁ!? チートじゃねえか!」
カイルさんが血を吐きながら叫びます。
どんなに速く動いても、どんなに硬い鎧を着ても、座標指定で空間ごと斬られれば防ぎようがありません。
これまでの「環境適応」など無意味。
純粋な「技」の頂点。
「……、……」
剣聖が再び剣を振り上げました。
標的は、回復しようとしているカイルさん。
トドメの一撃。
「させませんよ!」
私がカイルさんの前に飛び込みました。
ズバァンッ!!
「あぐっ、ぎゃあああ! 痛い! 断面がズレてます! 空間ごと肉がスライドする感覚、新体験ですぅぅッ!」
私の腹部が真横に両断され、上半身と下半身がズレて地面に落ちました。
ですが、死にません。
切断面から触手のように肉が伸び、無理やりくっつきます。
「ルシアン!」
「大丈夫です! ですが、これは厄介ですね……!」
私は再生しながら立ち上がりました。
敵は動かない。近づこうにも、近づく前に空間ごと斬られる。
まさに無敵の剣域。
「どうする!? 近づけねえぞ!」
「盾も意味をなさん。どうすれば……」
手詰まりです。
ですが、私は斬られた瞬間の「違和感」を覚えていました。
空間を斬る剣。
その刃は、斬った直後、わずかに世界から「拒絶」されて停滞する。
「(次元の修復力……。空間を斬れば、世界はそれを元に戻そうとします。その一瞬、あの剣は『どこにもない場所』に固定される)」
ならば。
その「修復」を邪魔してやればいい。
「皆さん! 次の攻撃が来たら、全員で突っ込んでください!」
「はあ!? 自殺行為だぞ!」
「大丈夫です! 私が**『鞘』**になりますから!」
剣聖が構え直しました。
絶対必中の空間切断。
来る。
「今です! 私の後ろにッ!」
私はチョーカーを全開にし、両手を広げて仁王立ちしました。
ザンッ!!
空間が裂け、私の首から股下までが縦に両断されました。
パックリと開く肉体。
ですが、私は叫びました。
「閉じるな! くっつけ、私の肉!」
私は『超速自己再生』を暴走させました。
傷を治すのではありません。
斬られた空間の裂け目に、自分の肉を増殖させて**「詰め込んだ」**のです。
「ギ、ギギッ……!?」
剣聖が初めて動揺しました。
剣が抜けないのです。
遠隔で空間を斬ったはずの剣が、空間の裂け目に詰まった私の肉(異物)によって、次元の彼方でロックされてしまったのです。
「捕まえましたよ! 私の贅肉は、世界で一番しつこいんです!」
私は空間の裂け目から半身を乗り出し、見えない剣を肉体で締め上げました。
次元の「鞘」となった私。
「今だッ! 剣は封じた!」
「うおおおおおッ! よくやった変態!」
カイルさんが私の横を駆け抜けました。
剣を封じられた剣聖は、ただの鎧――ではありませんでした。
「これで終わりだァッ! 『流星・落牙』ッ!!」
カイルさんの全力の一撃が、剣聖の脳天に迫ります。
しかし。
パァンッ!!
乾いた音が響き、カイルさんの大剣が空中で静止しました。
剣聖が、空いた左手の甲で、カイルさんの剣の腹を叩いたのです。
絶妙なタイミングと角度。
『脱力』による不可視の斬撃すらも見切り、最小限の力で軌道を逸らす「武」の極致。
「なっ……!? 剣だけじゃねえのかよ!」
カイルさんが驚愕します。
剣聖は剣を封じられてなお、その全身が凶器でした。
流れるような動作で懐に入り込み、カイルさんの鳩尾に掌底を突き込みます。
ドゴッ!!
「がはっ……!?」
カイルさんが吹き飛ばされ、壁に激突しました。
必殺の一撃を完全に潰されたのです。
「カイル!」
エレナさんが盾を構えて突進しますが、剣聖は裏拳でそれをあしらいました。
強い。
武器がなくても、その体術だけで私たちを圧倒しています。
「(マズいですね……。私の肉のロックも限界です)」
次元の修復力が強まり、私の体が千切れそうです。
このままでは剣を引き抜かれ、全滅します。
その時。
「……背中が隙だらけです」
影が走りました。
リンさんです。
彼女は剣聖がカイルさんとエレナさんに対応した一瞬の硬直を見逃しませんでした。
ザシュッ!!
リンさんの短剣が、鎧の継ぎ目――首筋を深々と貫きました。
音もなく、殺気もなく。
剣聖といえど、認識の外からの攻撃は防げません。
「ギッ……!?」
動きが止まった剣聖。
そこへ、壁から復帰したカイルさんが、血を吐きながら突っ込んできました。
「よくも……やってくれたな、達人様よぉ!」
カイルさんは大剣を構え直し、雄叫びを上げました。
チャージの時間はありません。
ですが、今の彼にはベルタ師匠直伝の『脱力』と、仲間が作った決定的な隙があります。
「今度こそ沈め! 『崩撃』ッ!!」
ズドォォォン!!
渾身の一撃が、短剣で貫かれた首の傷口に食い込み、そのまま兜を叩き割りました。
中身の空洞が粉砕されます。
ガシャアアンッ!!
鎧が崩れ落ち、透明な剣もガラスのように砕け散りました。
「……ふぅ。体が真っ二つになる感覚、最高でしたが……そろそろ慣れてきてしまいましたね」
私が左右に分かれた体をくっつけていると、仲間たちが青ざめた顔で近寄ってきました。
「お前……空間の裂け目に体をねじ込むとか、正気か?」
「痛すぎて見てられなかったぞ……」
第46階層突破。
ここから先は、こうした「理屈を超えた強敵」しか出てきません。
環境に適応するだけでは足りない。
理不尽を、さらなる狂気で上書きする覚悟が試されているのです。
「残り4階層。……行けますか?」
「ああ。ここまで来たら、地獄の底まで付き合ってやるよ!」
私たちは覚悟を決め、次の扉を開けました。




