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第69話 無限湧きの悪夢、そこは世界一愛される(たかられる)場所



歯車と蒸気の第38階層を抜け、私たちは第39階層へと足を踏み入れました。

扉を開けた瞬間、ムワッとした湿気と、何かが腐ったような甘い異臭が鼻をつきました。


「……うっぷ。なんだこの臭い」


カイルさんが鼻をつまみます。

そこは、壁一面が赤黒い肉のような有機的な物質で覆われた、不気味な洞窟でした。

そして、床も天井も、びっしりと**「それ」**で埋め尽くされていました。


無数の、卵。

鶏卵ほどの大きさの、半透明で脈打つ卵が、足の踏み場もないほど密集しています。


「キモッ……! なんだこれ、全部卵かよ!」

「警戒しろ。……孵化するぞ」


エレナさんが大盾を構えた瞬間、ピキッという音が連鎖しました。

一つの卵が割れると、隣の卵が共鳴するように割れ、それが波紋のように広がっていきます。


ワラワラワラワラ……


卵の中から溢れ出してきたのは、甲虫と蜘蛛を混ぜ合わせたような醜悪な魔物、『暴食蟲プレデター・ローチ』。

一匹一匹は手のひらサイズで、Fランク程度の強さしかありません。

ですが、数が違います。

数千、数万……いえ、視界の全てが黒い蟲で埋め尽くされていきます。


「ひぃぃッ! 虫はダメだ! 虫は!」


カイルさんが青ざめて後ずさりします。

強大なドラゴンには向かっていけても、足元を埋め尽くす蟲の大群には生理的な恐怖を感じるようです。


「焼き払え! ジュジュ!」


私が指示を出すと、ジュジュが『ルビー・レイ』を放ちました。

一直線に蟲が消し飛び、床が見えます。

しかし、次の瞬間には、壁の肉腫からボトボトと新しい卵が産み落とされ、即座に孵化して穴を埋めました。


「再生……いや、増殖速度が異常です!」

「キリがないぞ! 通路が見えん!」


エレナさんがハルバードで薙ぎ払いますが、暖簾に腕押し。

斬った先から新しい蟲が湧いてきます。

しかも、この蟲たち、鋭い顎で装備を齧り始めました。


ガリガリガリガリ……


「やめろ! 俺の『イグニス』を齧るな!」

「私の鎧の隙間に入り込もうとしてくる……! 不快だ!」


物理的なダメージは微々たるものですが、精神的なダメージ(SAN値直葬)が甚大です。

リンさんは『影渡りのブーツ』で天井に避難していますが、天井にも蟲がびっしりで、着地する場所がありません。


「どうしますか? 全滅させるのは不可能です」

「走るしかねえ! 強行突破だ!」


カイルさんが走り出そうとしますが、足元の蟲が絡みつき、思うように進めません。

泥沼を歩くような重さ。

このままでは、スタミナが尽きて、蟲の海に沈んでしまいます。


「(ふむ。これだけの数……壮観ですね)」


私は冷静に分析しました。

この階層の試練は「無限の物量」。

個体に対処していたらきりがない。必要なのは、敵の意識を一点に集め、仲間が走るための「道」を作ること。


「皆さん、私の後ろに隠れてください」

「は? 何する気だ?」

「**『ハーメルンの笛吹き』**作戦です」


私はチョーカーのダイヤルを回しました。

『最大』を超えて、限界突破の『暴走オーバーロード』へ。

強烈すぎるフェロモンが、洞窟内の空気を染め上げます。


「さあ、可愛い蟲さんたち! こっちですよ! 新鮮で、柔らかくて、何度でも再生する最高のエサがここにいますよ!!」


ザワワワワワワワッ……!!


世界が変わりました。

洞窟内の全ての蟲が、一斉に触角を私に向けました。

数万の複眼が、私だけを捉えます。


「キチチチチチチッ!!(美味そう! 食わせろ! 産み付けさせろ!)」


黒い津波が押し寄せました。

カイルさんやエレナさんには目もくれず、全ての蟲が私に向かって殺到します。


「ルシアン!?」

「あはははは! 来ました来ました! 全身が擽ったいですぅぅぅ!!」


一瞬で、私は蟲の塊になりました。

噛まれる、吸われる、潜り込まれる。

全身の皮膚が食い破られ、肉が削ぎ落とされますが、それ以上の速度で蟲が覆いかぶさってくるため、私の体は見えません。

ただの巨大な「蟲のボール」です。


「(ああ……! 無数の足が這い回る感触! 咀嚼音のサラウンド! ゾクゾクします!)」


私は蟲玉の中心で、至福の表情(見えませんが)で耐えていました。

麻痺毒、消化液、出血毒。

あらゆるバッドステータスが私の体を駆け巡りますが、私の強靭な精神と神経はそれを「刺激」として処理します。


「カイルさん! 今です! 私が全部引き受けました!」


蟲玉の中から、私のくぐもった声が響きました。


「道は空きましたよ! 走ってください!」


見ると、私の周囲以外の床は、驚くほど綺麗になっていました。

全ての蟲が私に群がっているからです。


「……お前、マジですげぇよ。尊敬はしねえけど」

「その献身はタンクとして尊敬に値するが……あの絵面だけは、どうしても認めたくない……!」


カイルさんとエレナさんは、ドン引きしつつも道を駆け抜けました。

リンさんは天井から降りてきて、私の(蟲玉の)周りを一周しました。


「ルシアン様……。その献身、エレナ様のために役立てていただき感謝します」

「いえいえ! 役得ですから!」


私は蟲の山を引きずりながら、ゆっくりと前進しました。

私が動くと、蟲たちもぞろぞろとついてきます。

まるで王族のパレード(ただし構成員は全部ゴキブリみたいな蟲)です。


「さあ、皆さんもご一緒に! 終点まで愛し合いましょう!」


ゾワゾワゾワゾワ……


数万の蟲を引き連れて歩く私。

その異様な光景に、塔の主ですら恐怖したかもしれません。


こうして、私たちは第39階層を突破しました。

消耗したのは私の精神力ではなく、カイルさんたちの「食欲」だけでした。

(あの光景を見た後では、しばらくご飯が喉を通らなかったそうです)


次は第40階層。

いよいよ、塔の攻略も佳境に入ります。

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