第64話 父との密談、そして次なる地獄への指針
「……入るがいい」
聖都滞在の最終夜。
私は父、教皇グレゴリウス・セイントの私室に呼び出されていました。
謁見の間のような豪華な場所ではなく、書類と古書が山積みになった、実務的な執務室です。
「失礼します、お父様」
「座れ。茶くらいは出してやる」
父さんはペンを置き、自らティーポットにお湯を注ぎました。
意外かもしれませんが、父さんは紅茶を入れるのが上手いのです。幼い頃、母さんが亡くなってからは、よくこうして二人で茶を飲んだものでした。
「……明日には発つそうだな」
「はい。姉さんの監視(愛)が厳しくて息が詰まりそうですし、何より塔の攻略を放置したままでは寝覚めが悪いですから」
私が答えると、父さんはフンと鼻を鳴らし、湯気の立つカップを差し出しました。
「雷鳴の塔か。ヴォルテックスにある古代遺跡……確かに難関だが、今の貴様らなら攻略は可能だろう。だが」
父さんの鋭い眼光が、私を射抜きました。
「塔を制覇した後、どうするつもりだ?」
「どうする、とは?」
「カイルとかいう小僧が言っておったぞ。『Sランクになってアリスに求婚する』とな」
父さんのこめかみに青筋が浮かんでいます。
やはり根に持っていたようです。
「Sランク冒険者。それは国家戦力に匹敵する、生ける伝説だ。塔を一つ攻略した程度でなれるほど、甘い座ではないぞ」
「存じております。実績、実力、そして社会的信用。全てにおいて規格外でなければなりません」
「そうだ。Bランクに上がったばかりの貴様らがSランクを名乗るには、決定的な『偉業』が足りん」
父さんは引き出しから一枚の古びた地図を取り出し、机に広げました。
大陸全土が描かれた地図には、いくつかの地点に赤い印が付けられています。
「ギルド本部がSランク昇格の条件として提示している『三大厄災』の討伐。……貴様も知っているな?」
西の『雷鳴の塔』を超えた先にある火山地帯の『灼熱の古龍』
南の大洋を支配する『深海の海王』
東の樹海に封印されし『死の森の魔王種』
「塔を攻略したなら、次は西へ抜けろ。そこにはドラゴンの巣がある」
「ドラゴン……! 全身火傷と粉砕骨折のフルコースですね!」
私が目を輝かせると、父さんは呆れたように溜息をつきました。
「貴様のその性癖は治らんのか……。まあいい。とにかく、塔の次は火山だ。そこで古龍を討ち取れば、ギルドも文句なしにSランクへの道を開くであろう」
父さんは指で地図上の『火山』をトントンと叩きました。
なるほど、次のルートは決まりました。
塔で雷に打たれ、その次はマグマダイブ。
私の人生設計は完璧です。
「……それと、ルシアンよ」
父さんがカップを置き、急に声を潜めました。
真剣な、そしてどこか言いにくそうな表情。
「ついでに、一つ頼まれてくれんか」
「教皇聖下からの勅命ですか?」
「いや、父親としての……個人的な願いだ」
父さんは懐から、小さな小瓶を取り出しました。
中には、透き通るような青い液体が入っています。
「これは?」
「**『忘却の雫』**の原液だ。……アリスにな、飲ませたいのだ」
「はい!?」
私は椅子から転げ落ちそうになりました。
実の娘に、記憶を消す薬を盛れと?
「勘違いするな。これはまだ調合途中の『材料』にすぎん。……だが完成すれば、あやつの貴様に対する『過剰な執着心』を、少しばかり薄めることができる薬となる」
父さんは頭を抱えました。
「最近のアリスは目に余る。パレードでの暴走もそうだが、貴様のことになると国政すら疎かになりかねん。教皇として、そして父として、あやつにはもう少し『自立』してほしいのだ」
「(自立というか、弟離れですね……切実です)」
「だが、この薬を完成させるには、もう一つの材料が足りん」
父さんは地図の『火山地帯』の近くにある、小さな泉を指差しました。
「**『竜の涙』**と呼ばれる希少な鉱石だ。古龍の寝床の近くでしか採れんと言われている。……塔を攻略し、火山へ向かう道中で、これを見つけてきてほしい」
「竜の涙……ですか」
「うむ。それを持ち帰れば、薬を完成させ、アリスのブラコンを治療できるかもしれん。……そうすれば、貴様も少しは自由に冒険ができるようになるだろう」
なんと魅力的な提案でしょう。
姉さんの愛が適正レベル(月一回の手紙程度)になれば、私は怯えることなく世界中の危険地帯を巡ることができます。
これは私にとっても、人生を賭けた重要ミッションです。
「承知いたしました! 必ずや『竜の涙』を手に入れ、姉さんを普通の姉に戻してみせます!」
「うむ。期待しておるぞ」
父さんと私は、固い握手を交わしました。
教皇と冒険者としてではなく、ブラコン姉に苦労させられている「被害者同盟」としての絆が、そこに生まれました。
「……あ、ちなみにカイルさんの件ですが」
「論外だ」
父さんは即答し、冷たい目で付け加えました。
「どこの馬の骨とも知らん男に娘はやれん。……だが、もし本当に古龍を単独で(・・・・)討伐するようなことがあれば、茶の一杯くらいは付き合ってやってもいい」
「単独で、ですか。ハードルが高いですね」
「当たり前だ。私の娘だぞ」
父さんは少しだけ嬉しそうに髭を撫でました。
どうやら、カイルさんの無謀な挑戦を、完全に嫌っているわけではないようです。
「では、行ってまいります」
「ああ。……死ぬなよ、ルシアン」
父さんの不器用な激励を背に受け、私は部屋を後にしました。
次の目標は明確です。
『雷鳴の塔』を制覇し、西の火山へ向かい、ドラゴンの素材と『竜の涙』を手に入れる。
私の冒険は、まだまだ(痛々しく)続きそうです。




