第57話 教皇庁からの召集状、戦争という名の最大級のイベント
第36階層の主、『断罪の熾天使像』を撃破した私たちは、その足で一度ヴォルテックスの街へと帰還しました。
理由は単純。
消耗が激しすぎたからです。
「……死ぬかと思った」
「ああ。神域の洗礼、強烈だったな」
宿屋のベッドで、カイルさんとエレナさんが死体のように伸びていました。
新装備の性能をフル活用してもなお、ギリギリの勝利。
私の再生能力も限界に近く、リンさんの魔石も底をついています。
「ですが、突破しましたよ。これで第37階層への道は開けました」
「そうだな……。少し休んで、装備を直したら再開だ」
カイルさんが力強く拳を握った、その時でした。
コンコン。
控えめな、しかし拒絶を許さない重みのあるノック音が響きました。
リンさんが瞬時に気配を消し、エレナさんが剣に手を伸ばします。
「……誰だ?」
「お迎えに上がりました、ルシアン様」
その声に、私はビクリと震えました。
ドアが開くと、そこには以前王都から来た教皇庁の執事、セバスチャンさんが立っていました。
しかし、以前のような余裕のある表情ではありません。
その顔には、隠しきれない焦燥と、悲壮な決意が滲んでいました。
「セバスチャンさん? まさか、また姉さんが……」
「いいえ。今回は聖女様(アリス様)の私情ではありません」
セバスチャンさんは部屋に入ると、私たち全員に向かって深々と頭を下げました。
そして、懐から黒い封筒を取り出しました。
それは、教皇庁における**『緊急事態宣言』**を示す色。
「単刀直入に申し上げます。……戦争が始まります」
「戦争……!?」
カイルさんが飛び起きました。
平和なこの国で、戦争? どこと?
「北の大国『軍事帝国ガレリア』が、国境を越えて侵攻を開始しました。その数、およそ3万。対する我が国の国境警備隊は、近隣の応援を含めても8千ほどです」
「3万対8千……! それでも約4倍の戦力差か!」
エレナさんが顔色を変えます。
攻城戦において、攻撃側は守備側の3倍の兵力が必要と言われています。
4倍近い差がある現状は、要塞の防御力を加味しても蹂躙される寸前の危険な状態です。
「現在、王宮騎士団および聖教騎士団が総力を挙げて迎撃に向かっています。ですが、圧倒的に『回復戦力』が足りません」
セバスチャンさんは、私を真っ直ぐに見つめました。
「ルシアン様。教皇聖下より、**『特級召集命令』**が出ております。直ちに前線へ向かい、負傷兵の治療および戦線の維持に努めてください」
「私が……ですか?」
「はい。貴方様の『超速自己再生』と、それを応用した広範囲回復魔法(例の狂気的な聖域のことでしょう)は、一個師団に匹敵する戦力です。何より、教皇の息子である貴方様が前線に立つことで、兵士たちの士気は大いに高まります」
拒否権のない命令。
それはつまり、冒険者としての活動の一時停止を意味します。
『雷鳴の塔』の攻略は、ここでストップしなければなりません。
「……わかりました」
私は静かに頷きました。
嫌だからといって逃げ出せば、多くの人が死ぬ。それは寝覚めが悪いですし、何より――。
「戦争……。数万の人間が殺し合い、傷つけ合う極限状況。……飛び交う矢、降り注ぐ魔法、血と鉄の臭い」
私は口元を押さえました。
「なんて……嘆かわしいのでしょうか」
吐き気を催すような惨状が目に浮かびます。
私はマゾヒストですが、サディストではありません。他人が無意味に傷つき、命を落とす姿を見るのは、聖職者として耐え難い苦痛であり、嫌悪すべき行為です。
「ですが……待ってください。その戦場で、私が全ての攻撃を引き受ければ?」
私の脳裏に、別のビジョンが浮かびました。
降り注ぐ何万もの矢を、魔法を、刃を。
私一人が盾となって受け止め、味方を守り抜く光景。
誰も死なさず、痛みだけを私が独占する世界。
「(……ゾクゾクしてきました)」
ダンジョンとは比べ物にならない、本物の地獄。
そこで私が「絶対的な盾」となり、数万の殺意を一身に浴びながら、人々を救済する。
それは聖職者としての究極の奉仕であり、私個人としての究極の快楽。
まさに、理想の職場環境ではありませんか。
「行きます。今すぐに」
「ルシアン!」
カイルさんが叫びました。
「俺たちも行くぞ!」
「え?」
「当たり前だろ! お前一人で行かせるかよ! 俺たち『ブレイク・スルー』は一蓮托生だ!」
「私もだ。騎士として、祖国の危機を見過ごすわけにはいかん。それに、戦場こそ私の守りが最も輝く場所だ」
カイルさんとエレナさん。
そして、影から現れたリンさんも、無言で頷きました。
「……よろしいのですか? 塔の攻略が遅れますよ?」
「塔は逃げねえよ。今は、目の前の危機を『突破』するのが先だ!」
カイルさんがニカっと笑いました。
なんて頼もしい仲間たちでしょう。
「ありがとうございます。では、セバスチャンさん。私たち4人で前線へ向かいます」
「……感謝いたします。皆様の武勇、期待しております」
セバスチャンさんは深く一礼しました。
こうして。
私たちは『雷鳴の塔』の攻略を一時中断し、新たな戦場へと向かうことになりました。
行き先は北の国境。
帝国軍3万が待ち受ける、死と暴力の祭典へ。
「さあ、急ぎましょう! 私の体が、戦場の痛みを求めて疼いています!」
「言い方! ……でもまあ、やるからには派手に暴れてやるぜ!」
冒険者から、戦争の英雄へ。
私たちの物語は、新たな局面へと突入します。




