第50話 第35階層、そこは「神」の領域の入り口でした
第34階層の「回復地獄」を抜けた私たちは、ついに塔の上層部、第35階層へと足を踏み入れました。
扉を開けた瞬間、肌を刺すような冷気と、重苦しいプレッシャーが押し寄せてきました。
そこは、これまでの迷宮のような構造とは異なり、天井が見えないほど巨大な吹き抜けの空間でした。
床は鏡のように磨かれた黒曜石。
周囲には、崩れかけた古代の柱が並び、神殿のような荘厳な雰囲気を漂わせています。
「……静かだな」
カイルさんが大剣を構え直し、緊張した面持ちで呟きました。
魔物の気配がありません。
いえ、正確には「雑魚の気配」が一切ないのです。
あるのは、空間の中央から放たれている、たった一つの**「絶対的な存在感」**のみ。
「皆さん、警戒してください。私のチョーカーが……震えています」
私は首元のチョーカーを押さえました。
魔物を引き寄せるはずのアイテムが、今は恐怖しているかのように小刻みに振動しています。
これは「引き寄せている」のではありません。「逃げろ」と警告しているのです。
空間の中央。
玉座のような台座に、一人の戦士が座っていました。
身長3メートル。
全身を覆うのは、青黒い竜の鱗と、黄金の装飾が施された甲冑。
背中からは二対の雷光の翼が伸びており、手には身の丈を超える巨大な雷槍が握られています。
『雷轟の竜戦士』。
「……来たか、小さき者たちよ」
竜戦士がゆっくりと立ち上がりました。
その声は重低音となって空気を震わせ、私たちの鼓膜を直接叩きます。
知性がある。会話ができる魔物。
それはすなわち、高位の存在である証です。
「我はここより上の階層、『神域』を守護する者。力なき者の侵入は許さぬ」
竜戦士が槍を床に突き立てると、凄まじい衝撃波が走り、私たちは吹き飛ばされそうになりました。
「(Aランク……いえ、それ以上です)」
リンさんが青ざめた顔で呟きます。
ヴォルグ団長クラス、あるいはそれ以上の魔力密度。
間違いなく、この塔における最大の壁です。
「力なき者かどうか、試してみればいいだろ!」
カイルさんが恐怖を振り払うように叫び、先陣を切りました。
『脱力』による縮地で一気に間合いを詰め、大剣を振り下ろします。
「遅い」
竜戦士は動きませんでした。
ただ、左手を軽く振っただけ。
バヂィッ!!
「がはっ……!?」
カイルさんの体が、ボールのように弾き飛ばされました。
大剣が触れる前に、竜戦士が纏う『雷の障壁』に弾かれたのです。
しかも、ただの防御ではありません。触れた瞬間に超高圧電流が逆流し、カイルさんを黒焦げにしました。
「カイル!」
エレナさんが盾を構えて突撃します。
『対魔パリィ』全開。魔力防御なら弾けるはず。
「柔い」
竜戦士が槍を突き出しました。
それは突きというより、閃光。
エレナさんが反応する間もなく、白銀の盾ごと彼女の鎧を貫通し、肩を串刺しにしました。
「ぐ、ぁぁぁぁッ!!」
「エレナ様ッ!」
リンさんが影から飛び出し、竜戦士の死角である首元を狙いました。
『虚無』による完全隠密からの奇襲。
誰にも感知できないはずの必殺の一撃。
ですが。
「浅はかなり」
竜戦士は後ろを見ることなく、背中の雷の翼を羽ばたかせました。
放たれた衝撃波がリンさんを直撃し、壁まで吹き飛ばします。
「きゃああっ!!」
一瞬。
わずか数秒の攻防で、カイルさん、エレナさん、リンさんが無力化されました。
連携も、新装備も、覚醒した技術も。
圧倒的な「個の暴力」の前には無意味でした。
「……残るは貴様か」
竜戦士の黄金の瞳が、私を捉えました。
私はチョーカーを最大出力にし、両手を広げました。
「ええ。お待たせしました! さあ、私を存分に……」
ズドンッ!!
言葉を言い終える前に、私の視界が反転しました。
気づけば、私は天井に張り付いていました。
いいえ、槍で串刺しにされ、遥か上空の天井に縫い付けられていたのです。
「ガハッ……!?」
痛みを感じる暇すらありませんでした。
速すぎる。そして重すぎる。
『超速自己再生』が追いつきません。傷口から雷が侵入し、細胞を内側から焼き尽くしていく。
「貴様のその再生能力……不快だ」
竜戦士が地上から見上げています。
「痛みを受け入れ、愉悦に変えるその精神。戦士としての誇りを持たぬ者は、この先へ進む資格なし」
彼は右手を掲げました。
そこには、太陽のような雷球が生成されています。
あれを食らえば、私は細胞の一片も残らず消滅するでしょう。
「(動け……ない……)」
体が炭化し、指一本動きません。
これが、格の違い。
私たちが今まで戦ってきたのは「魔物」でしたが、目の前にいるのは「超越者」。
生物としての次元が違う。
「消えよ」
竜戦士が雷球を放とうとした、その時。
「待ってくれ!!」
下から、悲鳴のような声が響きました。
カイルさんです。
彼は黒焦げの体で、震える足で立ち上がり、大剣を杖にして竜戦士の前に立ちはだかりました。
「まだだ……! 俺たちはまだ、負けてねえ……!」
「ほう。その体でまだ立つか」
竜戦士が興味深そうに雷球を止めました。
「俺たちは……Sランクになるんだ。こんなところで、足止め食らってるわけにはいかねえんだよ!」
「野心か。悪くはない。だが、実力が伴わなければただの無謀だ」
竜戦士は冷酷に告げました。
「慈悲を与えよう。3日だ」
彼は指を3本立てました。
「3日後、再びここへ来い。それまでに我を傷つける術を見つけられなければ……その時こそ、貴様らを塵へと還す」
竜戦士が腕を振ると、強烈な突風が発生し、カイルさん、エレナさん、リンさん、そして天井から落ちてきた私が、入り口の扉の外へと吹き飛ばされました。
ダァァァァンッ!!
重い音を立てて、第35階層の大扉が閉じられます。
私たちは廊下に転がり、誰も言葉を発せませんでした。
完敗。
それも、手加減された上での敗走。
今まで積み上げてきた自信が、粉々に砕け散る音が聞こえるようでした。
「……クソッ!!」
カイルさんが床を殴りつけ、悔し涙を流しました。
私たちは初めて知りました。
勢いだけでは越えられない壁があることを。
そして、本当の「絶望」がどんな形をしているのかを。
『ブレイク・スルー』最大の危機。
足が止まった私たちに、打開策はあるのでしょうか。




