第49話 清浄なる地獄、優しさという名の致死毒
静寂の回廊を抜け、私たちが辿り着いた第34階層は、これまでの薄暗いダンジョンとは一変していました。
白亜の壁、磨き上げられた大理石の床。
天井からは柔らかな陽光(のような魔法の光)が降り注ぎ、清らかな賛美歌のような環境音が流れています。
空気は澄み渡り、深呼吸するだけで体が浄化されるような――。
「……気持ち悪いですね」
私が眉をひそめると、カイルさんが同意しました。
「ああ。戦場の臭いがしねえ。まるで神殿だ」
「警戒しろ。美しく見える場所ほど、罠は凶悪なものだ」
エレナさんが盾を構えて進みます。
その時、通路の奥から純白の翼を持つ人型の魔物が現れました。
手には武器を持っておらず、慈愛に満ちた微笑みを浮かべています。
『サンクチュアリ・エンジェル』。
Bランク相当の神聖生物です。
「おや? 殺気を感じませんね」
私が首を傾げていると、エンジェルは私たちに向かって手をかざし、柔らかな光の球を放ちました。
速度は遅く、避けるのは容易です。
ですが、私はあえて前に出ました。
「まずはご挨拶(被弾)ですね!」
私は両手を広げ、光の球を胸で受け止めました。
衝撃も、痛みもありません。
代わりに感じたのは、温かなぬくもりと、力が溢れてくるような感覚。
「……あれ?」
私は自分の体を見下ろしました。
傷一つありません。それどころか、先ほどの階層で負った小さな擦り傷すらも完全に消え去り、肌がツヤツヤになっています。
「回復魔法……?」
カイルさんが怪訝な顔をします。
「敵が俺たちを回復してどうするんだ? バグか?」
「わかりません。ですが、これなら無限に受け止められますね!」
私は喜んで、エンジェルが放つ次の光も、その次の光も受け止めました。
2発、3発、10発。
痛みはありません。苦しみもありません。
ただひたすらに、健康になっていく。
しかし。
20発目を受けたあたりで、異変が起きました。
「……んぐッ!?」
突然、心臓が早鐘を打ち始めました。
血管が浮き上がり、筋肉が勝手に収縮と膨張を繰り返します。
体が熱い。魔力が暴走しそうになる。
まるで、風船に空気を入れすぎたような、破裂寸前の圧迫感。
「ル、ルシアン!? 顔が真っ赤だぞ!」
「は、ハァ……! 苦しい……! なんですかこれ、体が……中から弾けそうです……!」
私は膝をつきました。
エンジェルは攻撃の手を緩めません。慈愛の笑みのまま、次々と回復の光を撃ち込んできます。
「まさか……**『過剰回復』**か!?」
リンさんが叫びました。
「生命力には限界値があります! それを超えて回復させられると、肉体がエネルギーに耐えきれず、細胞が自壊を始めるんです!」
「な、なんだって!?」
この階層のギミック。
それは**「回復による殺害」**。
傷つけ、命を奪うのではなく、命を与えすぎてパンクさせる。
それは、常時『自己再生』で肉体を癒やし続けている私にとって、最悪の相性でした。
「ぐああああッ! や、やめてください! 優しくしないで! 殴って! 傷つけてぇぇぇッ!!」
私は悲鳴を上げました。
自分の再生能力と、敵からの回復魔法。ダブルの供給によって、私のHPゲージ(許容量)は限界を突破しようとしています。
痛くない。でも苦しい。
求めているのは「破壊」なのに、与えられるのは「再生」のみ。
「癒やされることが……こんなに苦痛だなんて……ッ!!」
私にとって、これ以上の地獄はありませんでした。
「くそっ、ルシアンが死ぬ(健康になりすぎる)ぞ! やるぞエレナ!」
「応!」
カイルさんとエレナさんがエンジェルに斬りかかります。
しかし、エンジェルは攻撃を受ける直前、自分自身にも回復魔法をかけました。
傷が瞬時に塞がり、何事もなかったかのように微笑みます。
「硬い……いや、回復速度が異常だ!」
「こいつも過剰回復状態なのか!? いくら斬っても追いつかん!」
敵もまた、この階層の恩恵(呪い)を受けていました。
無限の体力を持つ敵と、回復されすぎて動けなくなる私たち。
ジリ貧です。
「リン! お前の魔法で……!」
「ダメです! 魔法で攻撃しようとすると、この空間の『清浄な魔力』に中和されて威力が半減します!」
攻撃魔法が効きにくい聖域。
そして物理攻撃は回復で無効化される。
さらに、私たちの体力はエンジェルの『ヒール』で蝕まれていく。
「(どうすれば……。このままでは、健康体のまま爆発四散してしまいます……!)」
私は膨れ上がった体で地面をのたうち回りました。
自傷してHPを減らそうとしましたが、傷つけた瞬間に『自己再生』と敵の『ヒール』が重複して発動し、プラスマイナス・プラスで余計に悪化します。
「回復したくない……傷つきたい……」
私のアイデンティティが崩壊しかけた、その時。
ふと、逆転の発想が脳裏をよぎりました。
敵は回復魔法で私を殺そうとしている。
回復がダメージ(毒)になるのなら。
私という存在こそが、最強の猛毒になるのでは?
「……カイルさん、エレナさん! 私を敵のところへ投げてください!」
「はぁ!? お前、もうパンパンだぞ!?」
「いいから早く! 破裂する前に!」
カイルさんは迷いつつも、私の体を抱え上げ(重い!)、エンジェルに向かって放り投げました。
「いっけぇぇぇッ! 人間爆弾ッ!!」
私は空中で体をひねり、エンジェルに正面から抱きつきました。
「捕まえましたよ、天使様!」
「!?」
エンジェルが初めて動揺を見せました。
私はチョーカーを最大出力にし、さらに体内の暴走しそうな魔力をすべて『回復魔法』に変換しました。
「貴女が私を癒やすなら、私も貴女を癒やして差し上げます! さあ、私のありったけの愛を受け取ってください!!」
私はゼロ距離で、限界を超えた回復魔法をエンジェルに流し込みました。
私の『超速自己再生』のエネルギーと、エンジェル自身の回復力が衝突し、連鎖反応を起こします。
キュイィィィィィィン……!!
エンジェルの体が風船のように膨らみ、光が溢れ出しました。
許容量の限界。
「ギ、ギィィィィィ――ッ!!」
慈愛の笑みが苦悶に歪み、そして。
パァァァァァァァンッ!!!
エンジェルは光の粒子となって弾け飛びました。
過剰回復による消滅。
私が味わうはずだった結末を、そのままお返ししたのです。
「はぁ……はぁ……。スッキリしました……」
過剰なエネルギーを放出したおかげで、私の体も元のサイズに戻りました。
ですが、精神的な疲労は過去最大級です。
「……二度とごめんです。優しさだけで殺しに来るなんて」
「お前……とんでもない倒し方したな」
カイルさんがドン引きしています。
ですが、攻略法は見えました。
この階層では、生半可な攻撃は通用しない。
相手を上回る「愛(回復量)」で押し潰すしかないのです。
「行きましょう。この階層の敵は、全員私が抱き潰します」
「言い方が最悪だ!」
私たちは、キラキラと輝く地獄のような回廊を、私の「ハグ攻撃」を頼りに進んでいきました。
早く、痛みがもらえる階層に行きたい。
切実にそう願いながら。




