第48話 静寂の回廊、叫びたい衝動との戦い
第32階層の密林を抜け、階段を上りきると、そこには奇妙なほど静まり返った空間が広がっていました。
第33階層。
床はふかふかとした絨毯のような苔で覆われ、壁は音を吸い込む特殊な岩肌。
空気すらも重く沈殿しているような、**『静寂の回廊』**です。
「……なんだか、耳が詰まったような感じがするな」
カイルさんが大剣を担ぎ直し、独り言のように呟きました。
ビカッ!!
その瞬間、天井の水晶が激しく発光し、カイルさんの足元に雷撃が落ちました。
「うおっ!? なんだ今の!」
ビカビカッ!!
さらに二発。カイルさんは慌ててバックステップで回避しました。
「敵襲か!? どこだ!」
「カイルさん、静かに!」
私が人差し指を口元に当てました。
先ほどの雷撃。魔物の気配はありませんでした。
反応したのは、カイルさんの「声」です。
「壁の文字を見てください」
入り口の石碑に、古代語でこう刻まれていました。
『沈黙は金、雄弁は死。音を立てる者に、雷の裁きあれ』
「……なるほど。**『音感知式トラップ』**のエリアですか」
私が小声(ささやき声)で言うと、天井の水晶は反応しませんでした。
どうやら、一定以上のデシベル(音量)を感知すると、自動迎撃システムが作動するようです。
「(厄介だな……。私の鎧は動くだけで金属音がするぞ)」
エレナさんが顔をしかめ、極力音を立てないようにゆっくりと足を動かしました。
ガシャン……。
小さな音ですが、静寂の中では響きます。
ビカッ!
「ぐっ!?」
エレナさんの肩に雷撃が直撃しました。
『対魔パリィ』で弾きましたが、焦げ跡が残ります。
「……無理だ。この鎧を着ている限り、一歩ごとに撃たれる」
「(俺もだ。大剣が重すぎて、足音が消せねえ)」
カイルさんも苦い顔をしています。
このパーティで、音もなく動けるのは――。
「…………」
リンさんだけでした。
彼女は息をするように気配を消し、音もなく地面を滑っています。
無音歩行はお手の物。彼女にとって、この階層はただの散歩道です。
「(皆さん、私についてきてください。私が先行して、罠を解除します)」
リンさんが手信号を送ってきました。
頼もしい限りです。
私たちはリンさんの後ろにつき、抜き足差し足で進むことにしました。
◇
しかし、この階層の真の恐ろしさは、トラップだけではありませんでした。
通路の奥から、ゆらりと現れた影。
口がなく、代わりに巨大な耳を持つ人型の魔物、**『サウンド・イーター』**の群れです。
彼らは音を喰らい、音を糧にする魔物。
こちらの気配(音)に敏感に反応し、襲いかかってきます。
「(……ッ!)」
カイルさんが大剣を構えます。
しかし、声を上げられないため、いつもの気合が入りません。
「(ふんっ……!)」
カイルさんが無言で剣を振るいますが、インパクトの瞬間の掛け声がないせいで、いまひとつ威力が出ないようです。
さらに、剣風の音に反応して、天井から雷が降り注ぎます。
ドガガガッ!!
「(ぐっ……! 攻撃するたびに罰ゲームかよ!)」
カイルさんとエレナさんは、魔物とトラップの板挟みに苦しんでいました。
音を立てれば雷が落ちる。
かといって、音を立てずに重装備で戦うのは至難の業。
そして、私にとってもここは地獄でした。
「(……んっ!)」
サウンド・イーターの鋭い爪が、私の腹を裂きます。
激痛。
普段なら「ああっ、素晴らしい!」と絶叫するところですが、今は声を殺さなければなりません。
声を出せば雷が落ち、カイルさんたちを巻き込んでしまうからです。
「(くぅぅぅ……ッ! い、痛い……! でも声を出せない……!)」
私は口を手で覆い、必死に悲鳴を噛み殺しました。
痛みを声に出して発散できないというのは、これほどまでにストレスが溜まるものなのか。
内側に籠もる熱と痛みが、脳を焼き尽くしそうです。
「(……あ、でも……)」
ふと、私は気づきました。
声を押し殺し、痛みを内包する感覚。
誰にも知られず、一人で耐え忍ぶ背徳感。
これはこれで……ゾクゾクするほど興奮しますね?
「(んんっ……♡)」
私が頬を紅潮させ、変な吐息を漏らしながらモジモジし始めたので、隣のエレナさんが「気持ち悪いものを見る目」で見てきました。
「(……キリがありません。一掃しましょう)」
リンさんが短剣を構えました。
彼女は無言のまま、音もなく敵の懐に潜り込みます。
サウンド・イーターの自慢の聴覚も、音を出さないリンさんを捉えることはできません。
スッ……。
風切り音すらさせず、リンさんが敵の喉を掻っ切りました。
音のない世界での、音のない殺害。
彼女はこの階層の支配者です。
「(すごいです、リンさん!)」
「(……敵の増援が来ます。急ぎましょう)」
リンさんの活躍で道は開けましたが、敵の数は減りません。
しかも、最奥には『ボス』の気配がします。
◇
第33階層のボス部屋。
そこにいたのは、巨大な鐘のような形をした怪物、**『デス・カリヨン』**でした。
本体は鐘の中に潜んでおり、鐘を鳴らすことで殺人音波と広範囲の雷撃を放つ厄介な敵です。
「ゴォォォォン……」
カリヨンが身震いすると、重低音が響き渡り、私たちの平衡感覚を狂わせます。
そして、その音に反応して部屋中のトラップが起動し、嵐のような雷撃が降り注ぎました。
「(くそっ! 向こうは音出し放題かよ!)」
カイルさんがジェスチャーで怒ります。
理不尽です。
こちらが少しでも音を出せば撃たれるのに、敵は大音量で攻撃してくるのですから。
「(カイル様、あいつの鐘を破壊してください!)」
リンさんが指示を出しました。
音の発生源である鐘を壊せば、トラップの連鎖も止まるはずです。
「(任せろ! ……だが、叫ばずにフルパワーが出せるか?)」
カイルさんが不安げに大剣を構えます。
『メテオ・バスター』は強力ですが、詠唱(というか気合の叫び)なしで撃つのはリズムが狂います。
無言の必殺技。
それは、ロマン砲としてのアイデンティティに関わる問題です。
その時、私はある作戦を思いつきました。
私はカイルさんの前に立ち、指で『3、2、1』とカウントダウンを示しました。
そして、自分の胸を叩き、口を大きく開けるジェスチャーをします。
――『私が叫びます。その音に紛れて、貴方も叫んでください』
カイルさんが目を見開きました。
なるほど、と言いたげにニヤリと笑います。
「3……2……1……!」
私は大きく息を吸い込み、これまで溜め込んでいた痛みと快楽を、すべて声に乗せて解き放ちました。
「ああっ!! 最高ですぅぅぅぅぅぅぅッ!!!」
塔が震えるほどの大絶叫。
当然、部屋中のトラップが私に反応し、全ての雷撃が私一点に集中します。
ドガガガガガガガッ!!!
「痛い! 痺れる! うるさい! 全部まとめて愛しています!!」
雷光と爆音の中、私は黒焦げになりながら踊り狂いました。
その轟音に紛れて、カイルさんもまた、喉が裂けんばかりに咆哮しました。
「うおおおおおッ! これが俺の叫びだァッ! 『メテオ・バスター』ッ!!」
私の悲鳴と雷鳴にかき消され、カイルさんの声は感知されません(というか、私がうるさすぎて誤差の範囲です)。
トラップの誤認を誘発し、フリーになったカイルさんの大剣から、極太の熱線が放たれました。
ズドォォォォンッ!!
光の奔流が、デス・カリヨンの鐘を直撃。
鐘は飴細工のように溶け、ぐしゃりとひしゃげました。
音が消え、トラップの機能が停止します。
「(やったか!?)」
カイルさんがガッツポーズをします。
私は再生しながら、煙を吐いて倒れ込みました。
「……ふぅ。久しぶりに大声を出せて、スッキリしました」
「お前……本当にいい性格してるよな(褒め言葉)」
静寂の回廊に、私たちの荒い息遣いだけが響きます。
音を制する者は、戦いを制す。
ただし、その方法は「沈黙」ではなく、「それ以上の騒音」で上書きすることでした。
「さあ、行きましょう。次の階層では、何が待っているのやら」
私たちは耳鳴りのする頭を振りながら、次なる試練へと向かいました。




