第47話 神速の刃、凍りつく影、そして不動の騎士
重力迷宮を抜けた先に待っていた第32階層は、鬱蒼とした木々が生い茂る**『深緑の密林』**でした。
視界が悪く、足場も悪い。
本来なら、隠密と身軽さを武器にするリンさんの独壇場となるはずのフィールドです。
「……嫌な予感がします」
リンさんが短剣を構え、周囲を警戒します。
彼女の野生の勘が、何かの気配を捉えているようです。
「気配はあるのに、場所が特定できない……。風の音に紛れて、何かが高速で移動しています」
「俺たちには何も聞こえねえぞ?」
「私のチョーカーも反応しませんね。フェロモンが届く前に移動しているのでしょうか」
その時でした。
ヒュンッ!!
風を切る鋭い音。
次の瞬間、リンさんの頬に赤い線が走りました。
「ッ!?」
リンさんが驚愕に目を見開き、バックステップで距離を取ります。
しかし、追撃は止まりません。
不可視の斬撃が、リンさんの四方八方から襲いかかりました。
ザシュッ! ザザッ!
「ぐっ……うぅ……!」
リンさんの服が切り裂かれ、血が舞います。
彼女は必死に短剣で防御しようとしますが、反応が追いついていません。
「リン!」
エレナさんが盾を構えて割り込もうとしますが、敵は風のようにすり抜け、嘲笑うかのように周囲を旋回します。
「見えた……! あそこだ!」
カイルさんが大剣を振るいますが、空を切るだけ。
敵の正体は、緑色の体毛を持つイタチのような魔物。
ですが、その両腕には身の丈ほどもある巨大な鎌が生えています。
『疾風の鎌』。
それも、通常の個体とは比較にならない速度と魔力を持つ、**変異種**です。
「速い……! 私の目でも捉えきれない……!」
リンさんが震える声で呟きました。
彼女は自身の最速をもって迎撃しようとしました。
影から影へ、瞬きする間に移動し、死角から短剣を突き立てる。
それは今まで誰も防げなかった必殺の軌道。
ですが。
カィンッ!!
「なっ……!?」
リンさんの短剣は、敵の鎌によって軽く弾かれました。
それだけではありません。
敵はリンさんの背後に回り込み、耳元で嘲笑うかのような風切り音を鳴らしました。
「(嘘……。私の『影移動』に合わせて、先回りしていた……!?)」
彼女の最大の武器は「速さ」と「隠密」。
ですが、この敵は**「風の流れ」**を読み、リンさんの隠密を完全に見破っていました。
いや、それどころか。
リンさんが動くよりも速く動き、リンさんが隠れるよりも深く気配を消し、リンさんが攻撃するよりも鋭くカウンターを合わせる。
全ての能力において、リンさんを遥かに凌駕する上位互換。
「(勝てない……。私より速い……。見つかっている……)」
リンさんの瞳から光が消えていきます。
自分の存在意義である「最強の影」としての自信が、根底から揺らぎ始めました。
恐怖で足がすくみ、動けなくなってしまいます。
「キシャアアアッ!」
敵がリンさんの隙を見逃すはずがありません。
必殺の速度で、彼女の首を刈り取ろうと迫ります。
「させませんよ!」
私が飛び出し、軌道上に体を割り込ませました。
ズバァンッ!!
「あぐっ……! 速い! 深い! 肋骨ごと肺まで達しました!」
私は胸を深々と斬り裂かれ、吹き飛ばされました。
即座に再生しますが、敵は止まりません。私を障害物と見なし、再びリンさんへと刃を向けます。
「リン、逃げろ!」
カイルさんが叫びますが、リンさんは腰を抜かしたまま動けません。
死の鎌が振り下ろされる――その瞬間。
ガィィィィィィンッ!!!
重厚な金属音が密林に響き渡りました。
リンさんの目の前に、白銀の壁が立ちはだかっていました。
エレナさんです。
「……私の仲間に、手出しはさせん!」
エレナさんはハルバードの柄で、敵の鎌をガッチリと受け止めていました。
衝撃で足元の地面が陥没します。
「エ、エレナ様……? なぜ……」
リンさんが呆然と見上げます。
エレナさんは、脂汗を流しながらも、凛とした笑顔を向けました。
「何を呆けている、リン。貴様らしくもない」
「で、でも……私は……役に立たない……。隠密も破られ、速度でも負けて……」
「それがどうした!」
エレナさんが一喝しました。
「貴様が速くないなら、私が守る! 貴様が見えないなら、私が見る! そのための『盾』だろうが!」
エレナさんは全身の魔力を循環させ、鎧の防御力を極限まで高めました。
敵がハルバードを弾き、超高速の連撃を繰り出します。
目にも止まらぬ神速の乱舞。
ですが、エレナさんは一歩も引きません。
「見えぬなら、感じるまで! 風を、殺気を、刃の重みを!」
ガンッ! キンッ! ガガガガガッ!
エレナさんは『対魔パリィ』を応用し、全方位からの斬撃を鎧の曲面で受け流しました。
直撃を避けるのではない。
あえて「浅く」受け、致命傷を避けつつ、敵の攻撃ルートを限定させる。
「(すごい……。これが、マダムの鎧とクラリス教官の技術、そしてエレナさんの胆力……!)」
私は感嘆しました。
彼女は今、要塞そのものです。
「カイル、ルシアン! 敵の動きが単調になってきたぞ!」
エレナさんの防御により、敵の攻撃パターンが読みやすくなりました。
焦った敵が、最大の一撃を放とうと大きく振りかぶります。
「そこだァッ!」
エレナさんは、その一撃を避けるでもなく、弾くでもなく――左手のガントレットで掴みました。
グシャッ!
「ぐぅッ……! 捕まえたぞ、すばしっこいネズミめ!」
アダマンタイトの小手がひしゃげ、エレナさんの手から血が滴ります。
ですが、彼女は万力のような握力で、敵の鎌を離しません。
神速の魔物が、初めて足を止められました。
「今だッ!!」
エレナさんの叫びに、カイルさんが反応しました。
固定された標的。それは『ロマン砲』にとって絶好の的。
「よくやったエレナ! 吹き飛びなッ!」
カイルさんの『脱力』によるフルスイング。
大剣『紅蓮のイグニス』が、敵の胴体を薙ぎ払いました。
ズバァァァンッ!!
敵は真っ二つになり、断末魔と共に霧散しました。
「はぁ……はぁ……」
静寂が戻った密林。
エレナさんはひしゃげた小手を押さえ、膝をつきました。
「エレナ様!!」
リンさんが泣きながら駆け寄ります。
「申し訳ありません……! 私のせいで、エレナ様にお怪我を……!」
「気にするな。これくらい、かすり傷だ」
エレナさんは優しくリンさんの頭を撫でました。
「リン。貴様がいてくれたから、私は強くなれた。貴様が背中を守ってくれると信じているから、私は前だけを見て戦えるのだ」
「うぅ……うわあああん!!」
リンさんはエレナさんの胸に顔を埋めて号泣しました。
挫折と、それを上回る憧れの人(推し)からの信頼。
この経験は、彼女をさらに強く(そして愛を重く)することでしょう。
「やれやれ。いいとこ見せられちゃいましたね」
「まったくだ。俺たちの出番、トドメだけだったな」
私とカイルさんは顔を見合わせ、苦笑しました。
第32階層突破。
『ブレイク・スルー』の絆は、試練を超えるたびに、より強固なものになっていきます。




