第41話 泥沼の消耗戦で掴む、脱力と循環の極意
「……ハァ、ハァ。また来やがった……!」
休憩を終え、再び霧の中を進み始めた私たちを待っていたのは、変わらぬ悪夢でした。
無限に湧き出る『ミスト・ハウンド』。
そして、体を蝕む微弱な電撃。
カイルさんが大剣『紅蓮のイグニス』を振るいますが、その剣速は明らかに鈍っていました。
ただでさえ重いアダマンタイトの剣。
疲労で体のキレがなくなり、魔力で無理やり振り回している状態です。これではすぐに限界が来ます。
「クソッ! 当たらねえ! 霧に逃げられる!」
「カイルさん、動きが雑です」
私がハウンドの牙を腕で受け止めながら指摘すると、カイルさんは苛立ちを隠さずに叫びました。
「うるせぇ! こいつら実体がない上にチョコマカと……! 全力で振らなきゃ霧を晴らせねえんだよ!」
「全力? ……おかしいですね。ベルタ師匠の包丁捌きは、もっと静かでしたよ?」
私の言葉に、カイルさんがピクリと反応しました。
「ベルタ婆さん……?」
「ええ。あの時、師匠は巨大な肉切り包丁を『振って』いましたか? 私には、ただ『落として』いるように見えました」
私は思い出していました。あの定食屋で見た、神業のような解体ショーを。
そして、カイルさんが厨房で言われていた言葉を。
『力を抜くんだよ! 重さに任せて落とす!』
「重さに……任せて……?」
カイルさんがハッとして、手の中にある大剣を見つめました。
連戦による焦りと疲労が、彼から冷静さを奪い、一番大切な教えを忘れさせていたのです。
アダマンタイトの塊。とてつもなく重い。
彼は無意識のうちに、この重さを「腕力と魔力でねじ伏せる」ことで扱おうとしていました。
ですが、師匠の教えは逆でした。重さに逆らうのではなく、重さに身を委ねること。
「ねじ伏せるんじゃねえ……。こいつの重さに、俺が合わせるんだ」
カイルさんが深呼吸をし、肩の力を抜きました。
グリップを握る指を緩めます。
すると、大剣の切っ先が自然と地面へ下がろうとします。
「グルァッ!」
ハウンドが飛びかかってきました。
カイルさんは魔力を込めず、ただ剣が落ちようとするベクトルに、ほんの少し体を添わせました。
ヒュン。
風切り音すらしない、静かな一撃。
ですが、その刃はハウンドを霧ごと両断していました。
「……軽い」
カイルさんが目を見開きました。
腕力はほとんど使っていません。剣の自重と遠心力が、勝手に敵を斬り裂いたのです。
これが、『脱力』の極意。
その直後、別のハウンドが背後からカイルさんに襲いかかりました。
「カイルさん、後ろ!」
「っと!」
カイルさんは振り抜いた体勢から無理に剣を戻そうとせず、そのまま体の回転に合わせて大剣を背中側に回しました。
巨大な刀身が、まるで盾のように彼の背中を覆います。
ドォンッ!
ハウンドの体当たりが、大剣の腹に直撃しました。
以前のカイルさんなら、衝撃に耐えようと踏ん張っていたでしょう。ですが、今の彼は違います。
ぶつかる瞬間、彼はフッと全身の力を抜きました。
ズルッ。
衝撃をまともに受けず、大剣の表面で滑らせるように受け流す。
ハウンドは勢い余ってバランスを崩し、そのまま地面を転がっていきました。
「……なるほどな。防御も同じか。力めば弾かれる、力を抜けば流せる」
カイルさんがニヤリと笑いました。
攻撃だけでなく、防御においても『重さ』と『脱力』が武器になることに気づいたのです。
一方、エレナさんも苦戦していました。
「くっ……! ガンッ! ぐぅ……!」
四方八方から迫るハウンドの体当たりを、盾と鎧で受け止めています。
ですが、衝撃を殺しきれず、ジリジリと後退しています。
鎧の重量と、受け止めるための踏ん張り。その二重の負荷が、彼女の体力を削り取っていました。
「エレナ様、肩に力が入っています」
背後に張り付いていたリンさんが、耳元で囁きました。
「え?」
「エレナ様は真面目すぎます。全ての攻撃を『私が止めなきゃ』って、正面から受け止めすぎています」
「だが、それがタンクの役割だ! 後ろには通さん!」
「壁は、風を受け止めません。受け流します」
リンさんは短剣で、飛んできた小石をカキンと弾いて見せました。
手首を返し、軌道を逸らすだけの最小限の動き。
「クラリス様も仰っていました。『鎧を信じるな、魔力を信じろ』と」
エレナさんの脳裏に、あのスパルタなシスターとの特訓が蘇ります。
『魔力というのは水と同じ』
『弾くんです。反発させるんです』
「そうか……。私はまだ、この鎧の性能に甘えていたのか」
エレナさんは盾を構え直しました。
ガチガチに固めていた足のスタンスを緩め、半身になります。
そして、全身の魔力を循環させ、鎧の表面に薄い膜をイメージしました。
「来い!」
ハウンドが突っ込んできます。
エレナさんは盾で受ける直前、魔力を爆発させるのではなく、相手のベクトルに合わせて後ろへ流しました。
ヌルッ。
衝撃音がしませんでした。
ハウンドは氷の上を滑るようにエレナさんの盾の上を滑り、そのまま背後の壁に激突しました。
『循環』。
衝撃を受け止めるのではなく、魔力の膜で滑らせて無効化する技術。
「……防げた。いや、いなせた!」
エレナさんが自身の手を見つめます。
腕への負担はゼロ。体力も消耗していません。
「ははっ! すげぇなエレナ! まるで水みたいだ!」
「貴様こそ! さっきの一撃、見えなかったぞ! それに今の防御も……!」
二人の動きが変わりました。
力任せの消耗戦から、技術による効率的な戦闘へ。
Sランクへの階段を、また一つ登った瞬間でした。
「お二人とも、素晴らしい成長です!」
私は拍手を送りました。
仲間が強くなるのは喜ばしいことです。敵の殲滅速度が上がれば、それだけ安全に攻略が進みますからね。
「ですが、一つだけ問題があります」
「あん? なんだよ」
カイルさんが余裕の笑みで振り返ります。
「お二人が攻撃を避けたり、いなしたりするようになったせいで……」
私は、自分の体に群がっているハウンドの山(20匹くらい)を指差しました。
「行き場を失った敵が、全部私に来ているのですが」
「「あ」」
カイルさんの『回避』とエレナさんの『受け流し』。
それによってスルーされた敵は、当然ながら「一番狙いやすい(フェロモン全開の)獲物」へと殺到します。
結果、私は今、ハウンドによる組体操の土台みたいになっていました。
「ま、まあ、ルシアンなら大丈夫だろ」
「ああ。いい『重石』になっているぞ」
「助けてください! 麻痺毒が蓄積して、ヨダレが止まりません!」
強くなった仲間たちによる、華麗なる見殺し。
ですが、それもまた信頼の証。
私たちは軽口を叩き合いながら、濃霧の階層を突き進んでいきました。
目指す第30階層『中継地点』まで、あと少しです。




