第40話 戻れない階層と、見えない「疲労」という猛毒
「第21階層……。空気が変わりましたね」
ベヒーモスを倒し、装備を取り戻した私たちは、勢いそのままに塔の中層部へと足を踏み入れました。
しかし、階段を上った先には、異様な光景が広がっていました。
そこは、足元一面に白い霧が立ち込める、視界の悪い迷宮でした。
天井からは薄暗い光が差し込むだけで、先が全く見通せません。
「なんだかジメジメしてるな。……おい、後ろ!」
カイルさんが振り返ると、私たちが通ってきた第20階層への扉が、音もなく消失していました。
壁と同化し、完全に塞がれています。
「閉じ込められたか?」
「いえ、見てください。あそこに文字が」
壁に古代語でメッセージが浮かび上がっていました。
リンさんが読み上げます。
『高みを目指す者よ。ここより先、第30階層の「中継地点」に至るまで、帰還の扉は開かれない。休息を欲するならば、自らの力で安全地帯を勝ち取れ』
「……なるほど。ここから先は『ノンストップ』ということですか」
私は状況を理解し、少しゾクゾクしました。
これまでの私たちは、強敵と戦って消耗すれば、一度街に戻って宿屋で休み、万全の状態で再挑戦することができました。
しかし、ここからはそれができません。
傷つき、魔力を消耗し、食料が尽きても、進み続けなければならない。
「10階層分、ぶっ続けかよ。……まあいい、今の俺たちなら余裕だろ!」
カイルさんは楽観的でした。
新装備『紅蓮のイグニス』と『白銀の城壁』、そして私の『チョーカー』があれば、多少の連戦など問題ない。
そう思っていました。
しかし、塔の試練はそう甘くはありませんでした。
「グルルル……」
霧の中から現れたのは、半透明の体を持つ狼のような魔物『ミスト・ハウンド』。
Dランク相当の雑魚です。
「へっ、雑魚が! 蹴散らしてやる!」
カイルさんが大剣を振るいます。
ですが、ハウンドは霧のように拡散し、剣撃を回避しました。
そして実体化し、カイルさんの腕を噛み付こうとします。
「遅い!」
エレナさんが盾で弾き飛ばし、リンさんが短剣で仕留めました。
1体倒すのは簡単です。
ですが、霧が晴れることはなく、次から次へとハウンドが湧いてきます。
「キリがねえな! 行くぞ、無視して進む!」
私たちは足を止めずに進もうとしました。
しかし、この階層の真の敵は、魔物ではありませんでした。
バチッ……バチチッ……
「痛っ!?」
霧の中を進むたびに、肌に微弱な電撃が走ります。
この霧自体が帯電しており、触れているだけで微量のダメージと、じわじわとした『身体の重さ』を与えてくるのです。
「(微弱な麻痺毒……いえ、神経を麻痺させる電磁波ですか)」
私は即座に分析しました。
一撃で死ぬようなダメージではありません。
ですが、歩くだけで体力を削られ、集中力を乱される。
『回復』するほどでもない小さな不快感が、永遠に続く。
「くそっ、なんか体が重い……! 剣が振りにくい!」
「鎧の関節に霧が入り込んで……動きが鈍る!」
数時間後。
カイルさんとエレナさんの動きが明らかに悪くなっていました。
派手な戦闘ならアドレナリンで無視できる疲労が、終わりの見えない行軍の中で重くのしかかっています。
「はぁ……はぁ……。まだか? まだ階段はないのか?」
「地図がありません。リンさん、気配は?」
「……敵の気配が多すぎて、ルートが特定できません。この霧、索敵を妨害しています」
リンさんも額に汗を浮かべています。
精神的な摩耗。
そこへ、容赦なく襲いかかるハウンドの群れ。
「邪魔だァッ!」
カイルさんが苛立ちまぎれに大剣を振り回しました。
雑魚相手に魔力を込めた一撃。ハウンドは消し飛びましたが、私は眉をひそめました。
「カイルさん、魔力の使いすぎです。ペース配分を考えてください」
「うるせぇ! こういうのは一気に突破したほうがいいんだよ!」
カイルさんは焦っていました。
見えない出口、晴れない霧、蓄積する疲労。
それらが彼の冷静さを奪い、雑な戦い方を誘発しています。
「くっ……! 私もだ。この鎧、重すぎる……!」
エレナさんも膝をつきました。
アダマンタイトの鎧は最強の防御力を誇りますが、その重量は桁外れ。
魔力で身体強化をして支えていますが、長時間の行軍では魔力消費が激しすぎます。
彼女は、持久戦を想定した戦い方に慣れていないのです。
「(これが、Sランクへの壁ですか……)」
私は、二人を見ながら思いました。
私たちは「短期決戦」には強い。
最強の技、最強の防御、最強の再生。
瞬間最大風速ならAランクにも届くでしょう。
ですが、「生活」レベルでの強さが足りていない。
魔力を温存しながら戦う技術。
不快な環境下でもメンタルを維持する精神力。
そして何より、ペース配分。
「皆さん、一度止まりましょう」
私は足を止めました。
「このままでは、ボスにたどり着く前に全滅(ガス欠)します」
「休むって言っても、こんな場所じゃ……」
「『簡易結界』を張ります。リンさん、魔除けの香をお願いします」
私たちは岩陰に身を寄せ、小さな休憩スペースを作りました。
カイルさんとエレナさんは、泥のように座り込みました。
「……悪い。正直、ナメてた」
カイルさんが水を飲みながら、悔しそうに言いました。
「派手な敵を倒すだけが強さじゃねえんだな。こういう、地味で陰湿な攻めが、一番効くなんてよ」
「うむ。心身共に、まだまだ未熟だと思い知らされた」
エレナさんも鎧の一部をパージし、深呼吸をしています。
塔の攻略は、まだ半分。
Sランクへの試練は、単なる戦闘力の向上だけでなく、冒険者としての「総合力(サバイバル能力)」を求めていました。
「焦らず行きましょう。幸い、私の体は元気(自動回復)ですし、リンさんもタフです。私たちが寝ずの番をしますから、少し眠ってください」
「……すまん。頼む」
二人が仮眠をとる間、私は霧の向こうを見つめました。
この先には、さらなる理不尽が待っているはずです。
それを乗り越えた時、私たちは本当の意味で「上のランク」に足を踏み入れることになるのでしょう。
「(ふふ……じわじわと真綿で締められるようなこの苦痛……悪くありませんね)」
私は霧の電撃を肌で感じながら、歪んだ笑みを浮かべました。
長丁場のスタートです。




