気付き
神職者達への慰労はつつがなく終わった。
翌朝目覚めて、気分が優れず朝食は摂らないことにした。
自室で侍女が温かいお茶を淹れてくれる。
それを一口飲み込むと、温かさが広がって少しほっとする。
「神子様、顔色が優れませんわ。」
心配そうにそう言ったのは、よくわたしにお茶を淹れてくれる侍女のマリだ。
「…何か抱えておいでなら、私達に…。」
「マリ。」
マリの言葉を他の侍女が遮る。マリはわたしが心配で声をかけてくれるようだが、侍女が自分から主人に話しかけることを良く思わない侍女もいる。この前は、サーラに窘められていたなと思い返す。
「ありがとう、大丈夫よ。…少し中庭を歩いて気分を変えてくるわ。」
頭から離れないのは昨日の綺麗な女性のこと。少し外に出て気分転換をすれば、このモヤモヤも晴れるといいのだけれど。
中庭の道を歩きながらゆっくり深呼吸する。涼しい風と花の甘い香りに癒される。
噴水のそばのベンチに腰掛けて目を閉じ、できるだけ何も考えないようにする。気持ちをリセットできるように。
風に揺られる植物達の音を聞いていると、不意に聞き慣れた声がした。
「イノリ。ここにいたんだ。」
目を開けると、やはりトウだった。
こちらへ歩いて来て隣に腰掛ける。
「今日は温かくて過ごしやすいね。きっと花達も喜んでる。」
トウの低い声が心地よく響く。庭を見渡して穏やかな表情を浮かべる彼を見て、あたたかい気持ちになる。
「トウに目をかけてもらえて、花達も嬉しいと思うわ。」
トウは薬の神様だけあって、植物を大切にしている。それに、彼には自然がよく似合う。睫毛が頬に落とす影も、すらりと伸びる鼻筋も綺麗で、陽の下ではそれが際立つように感じる。
「心配だよ。俺も、みんなも。」
綺麗な紫の瞳に見つめられたかと思うと、彼はそう口にした。
「朝ごはんは食べられなかったけど大丈夫よ。具合をみて何か食べるから。」
「それもだけど、そうじゃないよ。」
そうじゃない、分かっている。
心配だと言ったのはわたしが朝ご飯を食べなかったことじゃない。
わたしが変わったことが心配なんだろう。
でも、どうしてと聞かれても分からないのだ。分からないものは答えようがない。…わたしもこんなわたしは嫌いだ。
黙り込んだわたしを見てトウがそっと手をのばす。
「夜は眠れているの?顔色もあまり良くない…」
彼の大きな手が頬に触れた瞬間、かすかに流れてきたのは昨日の綺麗な女性の気配だった。
今までの穏やかな気持ちが打ち壊され、瞬時に嫌悪が湧き上がる。
パチンと響いた乾いた音が、わたしがトウの手を振り払った音だと気付いた。
ああ、なんてことを。
彼に謝らなければいけないのに喉が苦しくて声が出ない。心臓がうるさいくらい音を立てて、嫌な汗が伝うのがわかる。
「イノリ!」
気がつけば、トウの静止の声も聞かず、その場を飛び出していた。
嫌、嫌…!
どうしようもない感情に頭も体も支配される。
だって気付いてしまった。
エンも、ライも、スイも、昨日見たあの綺麗な女性の力が流れ込んでいた。今までに接触したことがあるのだ。
どこかで覚えのある気配だと思ったけれど、トウに触れられてはっきりと思い出した。
四神全員が一人の聖職者を労うなんてことは普段はない。なのに、みんな時期は違えど彼女に接触している。
彼女には、四神にそうさせる何かがあるのだ。
走って走って、気が付けば知らない場所に来ていた。吐き気に襲われて、思わず冷たい床に座り込んだ。ギュッと目を瞑っていると。
「…神子様?」
聞き慣れた声にゆっくり顔をあげると、そこにはマリがいた。
「お庭に行かれたのでは…。大変!お顔が真っ青ですわ。こちらにお入りになってください。」
脇を支えられて扉をくぐる。
簡素な椅子に座らせられると、扉はバタンと閉じた。
息を整えるのに必死なわたしに、汗を拭いたりなどマリはかいがいしく世話を焼いた。
息も整った頃、すぐそばのテーブルに湯気の漂うティーカップが置かれた。
「さあ神子様、お飲みになってください。気分が落ち着きますわ。」
マリに促されるがまま、ティーカップを手に取って中味を嚥下する。
じわりと温かさが広がる。
「ここは使用人達の区画ですので、来られる機会もないでしょう?」
コクリと頷く。見たことがない場所だと思ったら使用人達の場所だったのだ。
疲れたのか頭がぼーっとする。
くすくすと笑い声が聞こえてマリを見ると、機嫌が良さそうに笑っていた。
そういえば、この表情は見覚えがある。
小さい頃、大事なお客様が来るからと、みんなが集められた。大人しく遊んでいなさいという言いつけを忘れて、てんとう虫を見つけてはしゃいでいた時に、隣のマリは今のように笑っていた。
それは、四神に見初められた日だ。
四神…、みんなに謝らなくちゃ。
エン、スイ、ライにトウにも、ごめんなさいって。
「仲直りしなくちゃ…。」
なんだかとても眠い。頭が回らない。
「イノリ、ゆっくり休んで。」
そう言って、マリはやはりクスクスと笑っていた。