包み込む愛
頭を撫でられている感触がある。あたたかくて少しくすぐったい。
目を開けると、澄んだ湖面のような水色の瞳が目の前にあった。
「おはよう」の言葉と同時にニコリと細められる。
「おはよう」と返し、身動ごうとしたが動けないことに気付いた。
腰に白く大きな手が回されているのだ。この手はトウ。後ろから抱き締められている。
「トウ、そろそろイノリを離して。」
スイが声をかけるが、腕の力は弛まない。「嫌。まだこうしてる。」と言って、わたしの首筋にグリグリと頭を押し付けてくるものだから、くすぐったくて笑ってしまう。
笑いつつ横を見れば、白い癖っ毛がかわいらしくてつい撫でてしまう。
「トウ、起きよう。侍女を待たせてしまっているもの。」
わたしの言葉にしぶしぶ、といったように起き上がった。
それを待っていたかのようにノックが響き、応えると侍女が入室してくる。
わたしもスイもトウも、それぞれ侍女がついて身仕度をする。
神子としてここで過ごし、数ヶ月が経過していた。
夜は四神の誰かもしくは全員と過ごし、朝目覚めると侍女の手を借りて身支度を整える。
準備ができたら広間に向かい、朝食をとる。
三人で広間に行けば、テーブルにはエンとライが先に着いていた。
挨拶を交わし、それぞれの席につき食事を始める。
「今日は俺とトウが視察だ。…トウ、あからさまに嫌な顔をするな。」
「嫌に決まってる。…だから起きたくなかったんだ。」
今日の予定を話すエンに、トウは顔をしかめてパンをかじる。
四神の務めの一つとして、地方の教会の視察がある。地方の信者や聖職者達を見舞うことはその地の安定のために必要なことだ。毎日ではないが、四神が交代で教会へ出向いており、誰かが一日いないということもたまにある。
「離れたくない。」
トウに可愛いことを言われてキュンとしてしまう。
「俺らだって好きで離れてるんじゃねーよ。昨日はスイと独占してたんだから今日は譲れ。」
ライにピシャリと言われてトウはジト目になる。ライの言葉は横柄な物言いに聞こえるが別に怒っているわけではない。普段からこれなのだ。短めの金髪と意思の強そうな目と相まって、ヤンチャな雰囲気が出ている。
「僕らのことは別にいいんだよ。イノリこそ、疲れたらいつでも休んでいいからね。」
「ありがとう。でも大丈夫、お勤めの一つだから頑張るわ。」
スイの気遣う言葉が嬉しい。神子としての勤めとして、敷地内の教会で民の祈りや懺悔を聞くものがある。椅子に座って一人ずつ話を聞き、必要に応じて浄化をかけることもある。
朝食を済ませると、自室に戻り白い衣装を着て顔を隠す布を頭から着ける。侍女と共に身支度を整えて教会へ向かい、人が多いときは昼食を挟んで午後まで続くこともある。
神子就任間もないこともあり今日も多くの人が訪れて、四神やわたしに対する祈りを捧げたり、身の内の淀みを吐き出したりしていた。
すべての人が帰ったのは午後、夕方も近い時間だ。
衣装を脱いで簡単な服に着替える。
「お疲れさま。お茶でも飲んで少し休もう。」
ちょうど着替え終わった頃、声をかけてくれたのはスイだ。スイの部屋まで手を引かれて、四人ほどが掛けられる椅子に二人で座る。
花の香りのする紅茶に、クッキーやドライフルーツを使った焼き菓子。スイとはこうしてお茶を飲みながらお喋りして過ごすことが多い。
紅茶で喉を潤すと、手ずから焼き菓子を口に運んでくれる。しっとりとした甘さとドライフルーツの食感が好みだ。
「ありがとう。」
「ううん。僕が好きでやってることだから。」
そう言って微笑む彼の瞳は甘い。少し気恥ずかしくなっていると、
「ここにいたか。」
「ライ。」
目が合うと笑って部屋に入ってきて、わたしの右隣にドカリと座る。
「ほら、これも。」
そう言って持っていた包みを外し、その中から出して口元に差し出されたのは、白くふわふわとした何か。
何だろうと思い口に含むと、
「!?」
甘いふわふわは一瞬で溶けてなくなったのだが、その後に口の中でパチパチと弾ける。痛いほどではないけれど刺激が強い。口に手を当てて説明を求めるようにエンを見上げる。
「ははっ!良いなその顔。最近売り始めたんだってよ。」
わたしの反応を見て上機嫌に彼も一つつまんだ。怪訝な顔のスイもライから貰って食べると「うわ。」と口に手を当てた。
「びっくりした。ライが口の中に魔法をかけたのかと思ったわ。」
刺激が落ち着いてそう言えば、彼は愉快そうに笑う。エンはこうやって町で流行っているというお菓子や本を突然持ってきたり、庭のあの花が咲いたんだと手を引かれて連れて行ってもらったりと、いつも驚かせてくれる。
夕食の時間になると二人と食堂に向かい三人で食事をとる。エンとトウは、向かった場所が遠かったため今日中には戻ってこれないようだ。
少し寂しく思いながらも、他愛もない話をしながら頂くご飯はやっぱり美味しい。
白百合の宮では傍に給仕はついたものの、いつも一人での食事だった。食事はいつも美味しかったけど、やっぱり一人より誰かと食べる方が美味しい。
幸せを実感する食事が終わると、侍女と湯殿に向かう。髪や体を洗ってもらって、花が浮かべられた湯船に浸かる。
桃色のその花を引き寄せ掬うと、見たことがある花だと気付く。
「これは…。」
「はい、トウ様より頂いたものです。枯れてしまわないうちにと。」
侍女を見て問えば、思った通りの答えが返ってきた。
これは、以前にトウと庭を散歩したときに教えてくれた花だ。桃色のそれは枯れる間際が一番香りが強く、見た者を楽しませてくれるのだと。
わたしたちが見たときはまだ咲いたばかりだったが、頃合いを見て摘んできてくれたのだろう。
花の美しさやその香りが移った湯を通して、彼の優しさに包まれるようだ。
髪や体に香油を塗り込まれ夜着に着替える。寝室に入りベッドに腰掛けると、侍女達は下がっていった。ベッドの中央までズリズリと移動し、少し疲れたなと目を閉じる。
ふと目を開けると、ベットサイドにライの姿があった。隣に腰掛け、「ほら。」と飲み物が入ったグラスが渡される。
昼間のこともあって注意深く観察するわたしを笑うと、自分のグラスから薄い緑色のそれをゴクリと飲んだ。
倣ってわたしも一口飲むと、爽やかな甘さと香りが鼻に抜ける。果実水だ。
「おいしい。」
「水分補給。これ疲労回復効果があるらしいぞ。」
ごくごくと飲んでライの分はあっという間に空になっている。
疲れが取れるようになんて、嬉しいなと思っていると、「エンから。」と付け足された。
本当に幸せだと思う。
エンも、ライも、スイも、トウも、傍にいるときはもちろん、こうして離れているときでも甘やかしてくれる。
飲み終わったグラスは大きな手に回収されてサイドチェストに置かれる。瞼に口付けを落とされて優しく押し倒された。
「エン。」
「ん?」
「ありがとう。」
彼の動きがピタリと止まり、驚いたような顔を向けられる。思ったことを言っただけなのに。普段驚かされている分ちょうどいいかなと思い笑うと、彼らしい笑みが返ってきた。
「いいんだよ、お前は。俺たちの側にいてくれれば。」
その日は後から誰も訪れず、二人だけの夜を過ごした。