第9話:ツンデレ
「おいおい、そんなにビビるなよ。交渉の条件、ガブリエル=フォールを連れてこないことはちゃんと守ってるって。そっちが護衛を三人連れてることにも文句は言わないさ。いまあんたに喧嘩売っていいことはあんまりないからな、ミハイル」
『魔術師の最終』の一人らしい「唯一の選択」さんは僕に対して嘲るように言う。片手には僕が注文した箱を引きずっている。大きさは人間大くらい僕が箱を注視していることに気づいた「唯一の選択」さんはやや怪訝そうに表情を作る。
「しかしこんなもの何に使うんだ? いや詮索してる訳じゃないがな。純粋な興味だよ。俺ならそんなもん絶対に手元に置いときたくないがな。研究用にしてももっと扱い易いやつを探すね」
僕にとってこれ以上に有効な対象は少ない。「雷と等速で訪れる死」か「恐れ知らずなゼクト」、もしくは「頂きに立つ者」か「呪われた光」くらいだろう。
「まあこれであんたとも晴れておさらばってことで」
これからどうするのか? と僕は訊ねた。深い理由はない。ただ『唯一の選択』の異名を持つ魔術師が選択したことだ。なにか深い理由があるのかもしれない。
「これからか。考えてねーな。というかぶっちゃけもう目的は果たしてるんだよな。最終のクセに無能無能言われるのがムカついたからガブリエルフォールを手中に入れて上位の誰かをぶっ殺してやりたかっただけだからよ」
僕は笑った。『傲慢』『憤怒』『怠惰』『嫉妬』『強欲』『色欲』『暴食』、人が身を滅ぼす理由は昔から大抵がこの七つだ。しかしそれを僕が言うのもまたおかしな話なのだろう。
「ところでさ、そいつらを上層に従うように調整したのが俺だってわかってて連れてきたのか?
俺を利用できると思ったのか? 甘いんだよ、ミハイル=エクスカリバー。俺は利も不利も自分ですらどうでもいい快楽主義の破滅主義者だぜ? 戦争、多いにおもしろそうじゃないか」
もちろん、理解して連れてきた。なぜなら彼の留守は僕に取って非常に都合のいいものだからだ。むしろこうなることを僕は望んでいた。隣に立つ護衛が刃を抜く。
「もっと愉快に殺しあえよ、魔術師共」
『ミスリル』のアジトだった建物が血に濡れる。
僕の首が落ちたが僕にはそんなことはどうでもよかった。三人の護衛は床に膝をつく。洗脳が切れて意識が遠退いたのだろう。
「唯一の選択」さんはここを出ていく。箱を置いていく。よかった。箱を持っていかれたらどうしようと僕はそればかりを心配していた。
「聖書側四桁台レンデル=フィーリア、三桁台クロノ=サンダーロッド殺害の容疑でグラトニー=ゴブレットの召喚を要請。これを拒否した場合、第二級拘束までの使用を許可する。か。なかなかおもしろいことになったじゃないか」
ジャックが携帯に表示された画面を見せてくる。口元は皮肉げだが目の端は僅かながら不快感に歪んでいる。
「これって……」
わざわざ説明したくなかったがゴブレットの問いに答える者が他にいなかったので、ジャックは答えざるをえなかった。
「言うまでもなく上層を通した正式な『底無しの聖杯』への拘束命令だ。ちなみに第二級拘束ってのは四肢を切断して死なない程度に治療した状態だな。一級は死んでてもありだ。よかったな、少しましだぞ」
「っ……」
壮介が歯を噛む。イリアが口を挟んだ。
「でも君たちは殺してない。レンデル=フィーリアの死因は精緻な雷撃術式で心筋を停止させられたこと。クロノ=サンダーロッドは食道辺りに刃を突っ込まれてショック死。どちらも君たちの仕業じゃありえない」
ジャックは死体を見た。
「へぇ、そこまでわかるのか? 見たところ外傷はほぼないが」
「あたしだって聖書側最強の戦闘集団であるファランクスの一員なんだよ、なめないで欲しいね。
ジャックに手傷を負わせて逃げたのが禁書側死手の篠突きだって話も総合すると、ハメられたね。君たちを襲ったこいつらは元から死体だった。死体行使術なんて聖書側で認可されるはずのない術を使える魔術師がもしいるとすれば……、『唯一の選択』フェイト=クランク。こいつしかいないね。こいつが禁書側と繋がっているとしたらだいたい辻褄は合うよ多分この死体行使術を使うには『底無しの聖杯』が邪魔なんだろうね」
「なぁ、その禁書側の術者が死体行使術を使ってる可能性は?」
「ありえないな。禁書側の魔法技術は長い間こちら側を後追いしている。僕たちが使えない魔術をあいつらが使えるはずがない。伝説の『|頂きに立つ者≪トーレスト≫』じゃあるまいし」
「トーレ……?」
「ジャックが絡んでることだし運がよかったらファランクスが動いてくれるかもね。あたしはこの死体貰って帰るよ。
それじゃ、頑張ってね。あ、ジャック。人数多かったから特別料金よろしく」
イリアはにこやかに言う。ジャックはあからさまに視線を反らした。
「わかってると思うが、ボクもこの件からは降りさせて貰う。構わないな?」
「お前っ……!」
掴みかかりそうになった壮介をゴブレットが止めた。
「うん。仕方ないよね。上層の命令に逆らってまで君が動くメリットはないわけだし」
「ああ。ただ『唯一の選択』の椅子が開けばボクは一つ上に上がれる可能性もある。お前らの護衛は降りるが、裏で動いてみよう。幾月にも連絡を取ってみる。あの戦闘狂ならメリット・デメリットを抜きに動くかもしれない。ボクとしては幾月と『選択』が共倒れになるのが理想だがな」
「……」
「なんだサエガキソウスケ、こちらをじろじろ見て」
「いや、お前ってツンデレなんだなと思って」
「ふざけてないでさっさと無様に逃げ回れ、このド阿呆」
「ああ、やはりか。報酬? ……わかってるよ。ギュッとしてやればいいんだろ。相変わらずお前の性癖は理解に苦しむな。ちっ。いや、いまのは舌打ちじゃないぞ、多分。そういうわけだ。頼む。私? 『死線』のクソに借りを返す必要があって…… すまん。キャッチだ。切るぞ。は? ……もういい。黙れ」
幾月は一方的に通話を切った。
「ベルか。済まない。呼び方? ジャック=クリーパー、これでいいか? 何のようだ? ……『底無しの聖杯』に拘束命令? 『唯一の選択』の離反? 聞いていないな。おもしろいじゃないか。は? なぜ私があいつらを助ける必要がある? 交換条件? たかが三桁台がこの私を動かせるとでも思っているのか。
……待て。なぜお前がそんなことを知っている? ちっ。嘘なら私はお前を殺すぞ? いいだろう。協力してやる」
退屈な護衛の任務なんてクソくらえだ。幾月は思うが自分から買ってでた分だけ放棄はしにくい。ゼクトじゃあるまいし、代理を立てるくらいの常識を幾月は心得ている。
「……またあいつにかけるのか?」
幾月は携帯電話を見つめて、舌打ちを一つしてアドレス張を開いた。
「済まないが頼みごとが一つ増えた。ああ、さわるだけだぞ…… それ以上やれば殺す」
電話越しに陽気な声で「むっふっふ。やってみればいいのかなー。第六位『火の風』はそんなに簡単に負けないと思うのかな」とかなんとか聞こえてきて幾月は携帯電話を握り潰しそうになる。