第8話:雷と等速で訪れる死
「やーん。傷がいっぱい! どれから治そうかしらぁ」
『ファランクス』所属の治療士イルアは体育館に麻酔ガスを充満させた。ほぼ全員が眠りについたのを確認して細胞分裂を活性させる魔力のフィールドを展開して広範囲の患者を一気に治していく。
鼻歌を歌いながら人の合間を歩き、同時に記憶消去を行う。といっても彼女の記憶操作は脳細胞に負担を掛けるような重度の物ではなく、ここで起こったことをずっと昔あったことのように思わせるだけだ。幼児の頃の記憶を思いだせる人間はいないようにそれはずっと深くに埋められる。魔力に抵抗のない人間にはそれで充分な処置だ。
「にしても多いし疲れるなぁー。こりゃジャックに特別料金請求しなきゃいけないかもー」
数分で体育館に集合していた全校生徒を治療したイルアは傷の気配がする中庭に足を向ける。
「サエガキソウスケ、お前は僕をおちょくっているのか?」
見事に手足を貫通しているジャックの傷にとりあえず保健室から消毒液と包帯を持ってきた壮介は、罵られた。
「お前さ? せっかく人が心配してやってるのにどうしてそう素直になれないわけ」
「ボクは魔術師の百二十一位だぞ。お前に心配される筋合いは、」
「はいはい」
消毒液を傷口にぶっかける。
「ひつっっっ………、」
ジャックの口から押し殺した悲鳴が漏れた。
「ん……?」
それぐらい平気だろうと思っていた壮介は首を傾げた。
「あ、あなたって」
ゴブレットが体育館のある方を見ると白いドレスの女が腹を抱えて踞っていた。震えている。というか笑いを堪えている。
「ギャハハッ! いい様だね、ジャック。そういえばあんたって身体操作系の術式をほとんど持ってないんだっけ」
「き、きさま、来てたなら早く治せ!」
涙目でジャックが叫ぶ。「あーはいはい」とイルアが治療のフィールドを展開し細胞分裂が異常活性。穴の空いた四肢が瞬く間に肉と新しい皮膚に覆われていく。
と、隣で神乗が倒れた。
「!?」
驚いて振り向く壮介に「あーダイジョブダイジョブ」とイルア。
「ちょっと記憶操作のために意識を弄っただけだから。しかし君は魔力耐性高いのね?」
それは単にゴブレットの側にいたからだろう。あと『記憶操作のためにちょっと意識を弄った』ことのどこが大丈夫なのかも壮介にはわからなかった。
「しかしジャック=クリーパー? どんなに君が攻撃魔術の天才で鬼才だからって麻酔くらい自分でできるようになりなよ。戦場で常に治療士なんて役に立たない職種がいるとは限らないんだから」
「余計なお世話だ」
痛みが収まったのか普段の生意気さが戻ってきたジャックが不機嫌な表情になる。
「それよりいまは尋問だろう。さっさとそこのテレキネシスを起こせ!」
イルアはプラプラと片手を横に振った。
「やだなぁ、無理に決まってんじゃん」
「?」
「わたしに治せるのは細胞分裂の停止してない生物だけだよ。死人なんか治せるはずないじゃん」
……は?
「なんとかここまでは気づかれずにこれたらしいですね」
「さて、こっからはどうすんだい?」
「順当に行きましょうか。ガブリエルが単身で特攻、自分がそれをサポートしながらフェイトを守る」
「まあ俺の力だとお前らの高速戦にはついていけねーからなぁ」
「自分とガブリエルがいるんですから滅多なことは起こらないでしょうが、一応用心しておいてください」
「はいはい、そんじゃ」
「ああ、始めよう」
ガブリエルの体が一瞬紫電色の光を放つ。そして消える。轟音。空中に閃光が尾を引く。回避も防御も不可能な秒速三十万キロメートルの稲妻となって、防御結界にぶち当たり拮抗。攻撃を受けていることを察知した内部からの魔術師達の応戦がガブリエルに殺到する。対応が早いのは襲撃を予測していたからだろう。
「……結界だけは大したレベルだ。かわすことは雑作もないがそれでは突破には更に時間がかかってしまうな。ここはあえて」
「ええ、自分に任せてください」
岩石、樹木、周囲のありとあらゆる物がテレキネシスによって持ち上がる。
それらが飛翔し攻撃系の魔術に命中、相殺、三桁から四桁程度の魔術師では大質量のそれらを貫通することが出来ない。
射線が変更。ガブリエルに集中していた魔術が大範囲に撒き散らすように、フェイトの方にも向く。『奇怪な宴』が地面に片手をついた。十メートル四方程度の大きさに地盤が捲れ上がって防壁を築く。圧倒的な土の壁に僅かに傷を残して消失。
「相変わらず化け物してんな、あんたら……」
「複雑なテレキネシスならともかく防壁程度の単純動作ならまだまだ軽いですよ。
その気になれば地中のプレートに働き掛けて各地の大都市を崩壊させる程度の地震を起こすくらいなら、自分の力の範疇です」
ふざけている。
とか言っている間にガブリエルが並の魔術師では百人掛かりでも突破できない防御結界を突破する。ガブリエルの力ならば大威力の魔術を使えば一撃で崩壊させることができるだろうが、建物自体が重要な調査対象であるからしてそれはできない。地道な各個撃破の作業になる、とフェイトは思っていた。細い稲光が一閃。窓枠を溶かして建物に侵入し一秒も掛からずに玄関から出てきて人の形に集束する。ガブリエル=フォールがそこに立っていた。
「……終わったぞ」
秒殺。
味方ながら恐ろしすぎる。事前の調査では三桁から四桁ばかりでさほど強力な魔術師はいないらしいと聞いていたが、この女は本気で化け物だ。
だいたい肉体を電気化するとはどういうことだ? 質量をゼロ近くにして空気抵抗をほとんど無視する? 電速の移動? そもそも結界をぶち破ったあの魔力の量は? 根本的な部分でガブリエル=フォールは何かが違う。
(まあだから意味があるんだけどな)
「……あとは何人かを『唯一の選択』で尋問するだけですか。こちらにガブリエル=フォールがいるとはいえ随分とあっさり済みましたね。第四位を殺したというので自分としてはもう少し苦戦を予想していたのですが」
「うん、まああれデマだからな」
「は? どういうことですか?」
首をフェイトの方に向けようとした『奇怪な宴』の視界の端で何かが紫電色に光った。
「ガブリエル=フォール……?」
人間が炭化するレベルの稲光が彼を呑み込んだ。
「ってか標的がそもそも『ミスリル』じゃなくてあんただしね」
しかし『奇怪な宴』の対応は早かった。いかに光速の魔術といえど発動前に軌道を予測、進行を妨害できれば防ぐことはできなくはない。通電性の低いコンクリートを盾にして防ぐ。ベクトルを塞がれた雷撃が膨大な余波を吐き出しながら四散する。
「やるじゃんガイスト。じゃあインファイトならどうよ」
ガブリエルの体が紫電色に発光して、消える。が鉄骨にぶち当たって止まった。
「残念ながら……」
テレキネシスによって建物から導線が剥き出しにされ鉄骨に巻き付き、磁界が発生、電気そのものであるガブリエルをねじ曲げる。
「奇襲が失敗した時点であなたの洗脳下にあるガブリエルでは自分には勝りませんよ」
「へぇ、やるなぁ」
「どういうことか説明……、いや、そもそもどうやってガブリエルを?」
「あんたって頭悪い?」
「……」
「五年かけただけだよ。時間さえ掛けたら俺はどんな人間だろうが支配下における」
「ガブリエルがそれに抵抗せずに……?」
「ところであんたさ、あんなちゃっちい磁界程度でマジであの化け物を縛っておけると思ってる? おめでたいねぇ」
ベキィッ!
「?!」
「俺のレベルからしたら幾月辺りで充分おっかなかっただが、あいつホントに本気で化け物なのな」
「ミハイルが消えた?」
幾月は形式上驚いた顔をした。幾月にとっては上層の連中がどうなろうがわりと知ったことではない。幾月が思ったのはいま目の前にいる興奮して唾を飛ばす上層の側近の首をはねたいということだ。
だいたい幾月に文句を言うのは筋違いだ。幾月はここに留まれと命令を受けただけで別にミハイル個人の護衛を引き受けたわけではない。
自分達の無能を棚に上げられてもな、と幾月は半ば呆れる。
(……待てよ?)
仮にも上層の側近についている連中が無能なんてことがあり得るだろうか。クセの強い二桁台の連中や『魔術師の最終』こそ動かせなくともおそらく戦闘型の三桁台の前半、ジャック=クリーパーと同レベルくらいの魔術師は揃えているはずだ。だとすれば複数人で掛かれば『魔術師の最終』クラスでも対等以上に渡り合うだろう。
その中でミハイルが姿を消した? そんなことがありえるのか?
(……おもしろいな)
幾月の推測だが他の『魔術師の最終』も『ヴァジュラ』の連中に襲撃を受けていただろう。余計な動きをさせないためだ。『ヴァジュラ』は事情を問わず金で動く。二桁台の戦闘型魔術師十三名の内半数が『ヴァジュラ』の所属。『魔術師の最終』を相手に生存できるのは『ヴァジュラ』くらいのものだ。
「おい、聴いているのか!」
幾月は刀を抜いて男の首に突きつけた。抜刀は神速。一息で抜くことも難しい2メートルの刃はミリメートル単位のコントロールで男の首に触れていない。
「うるさい」
とだけ幾月は言って彼に背を向けて携帯電話を取り出す。溜め息を吐いて彼女が唯一番号を知る『魔術師の最終』、『火の風』を呼び出した。