第7話:剣と弓矢と銃と火と
「ジャック…… ふざけんなよ、お前強いんだろ?!」
容赦なく放たれた第二射を『底無しの聖杯』が無力化する。今度は壮介達にもよく見えた。景色を捻曲げて進む矢だ。真空に近いほど密度の低い空気を打ち出しているらしい。軌跡上を目で追っていくと百メートル程、離れた位置に黒い点がポツンと見える。
「……ねぇ、ふざけてないで早く起きてよ」
ゴブレットは呆れ返った目でジャックを見た。ジャックが上体を起こす。
「……は?」
「グラトニー=ゴブレット、君には遊び心が足りない。もう少し慌ててそこのアホを焦らせてやろうとか思わないのかい?」
(こいつ……)
ジャックは両手を叩いた。パン、という音がしない。代わりに開いた両手の間から炎が発生する。可燃物のない所にでも炎を発生させることの出来る魔術師はいまの所、ジャックしかいない。
「さて、ボクはあいつを黙らせてくる。お前らはそこにいろ。下手に建物の中に逃げ込めば建物ごと崩される恐れがある」
「大丈夫? 音と炎の君には真空使いは天敵でしょ……?」
「おいおい、四桁程度が誰に口を訊いている? ボクは百二十一位『炎を呼ぶ鐘』のジャック=クリーパーだぞ」
ゴブレットは「もう、知らない」とジャックに背を向けた。
ジャックは「挨拶代わりに一発行くか」と炎の塊を投げた。
それはけして速くはなかった。ただ燃え広がる速度と質量が圧倒的で空間を埋め尽くす量で百メートル先の真空使いに殺到した。
壮介は開いた口が塞がらない。傍らに立つ少年が化け物レベルの魔術師なのだと今更認識する。
幾月は速度と威力で圧倒する近接戦闘のスペシャリストだ。
ジャックはその対極。リーチと物量で圧倒する遠隔戦闘のスペシャリスト。
「……ジャックはまだこんなもんじゃないよ」
ゴブレットがポツリと言った。
猛火を真空で防いだ。
とはいえ大規模な防壁を維持し続けることは難しい。弓なんていかにも遠距離戦用の武器を使っているが実は彼女は近距離型の魔術師だ。ともかくあの炎を相手に遮蔽物のない空間は危険すぎる。彼女は一先ず校舎の中まで走った。比較的低温らしい炎はコンクリートの壁を溶かすほどではない。が、校舎の中まで追尾してくる。防御しながら階段を駆け登る。追尾は大雑把なものらしく階段を登る彼女を真っ直ぐには追ってこない。屋上に上がって扉を閉めた。改めて、弓を構えようとして彼女は自分の敵の強大さを知る。
壁を垂直に登ってきた炎が四方から同時に彼女を叩いた。
跳躍、六階の高さから飛び降りるハメになる。ダンッ! 熱波に焦がされながら着地。衝撃で膝をつく。弓を引く。目の前にジャックがいる。
「ヘェ……」
大雑把に炎を投げるならまだしも建物の中で追尾を行うならば術者が近くにいなければならない。彼女の読みは当たりだった。放たれた矢は炎を突き抜けジャックの肩に命中する。
鮮血が噴き出すがジャックは顔をしかめただけで気にせずに屋上から炎を引き戻し垂直に落下させる。彼女は後ろに跳んでかわす、六階から飛び降りた足は思うようには動かず避けきれずに蛋白質の焦げる匂い。地面を転がって火を消す。即座に弓を構える。彼女が構えた弓の軌道上に炎が球体上に集束する。
「禁書側“死手”の三十二番、『筱突き』であってるかい?」
「……そっか、君が十五に満たない年齢で聖書側三桁の百番台にまで到達した“怪物”ね」
「その呼び名はあまり好きじゃないな。本物の怪物共を知っている身としては酷く虚しく聞こえてしまう」
「この状態で私に話し掛けたのはどういう意図?」
「大した意味はないさ。ただ互いに詰みの一撃を構えてるんだ。殺した相手の思い出も残らないなんて虚しいじゃないか」
「本心?」
「もちろん嘘だ、僕が殺した人数はいちいち覚えてられるようなモノじゃないからね」
「……『篠突き』」
「『炎を呼ぶ鐘』」
女は弦を離した。
ジャックは炎を破裂させた。
真空の矢が分裂、一本が四に増え四が更に十六に分割し六十四本の横薙ぎの雨になってジャックに飛来。
──リィン、と鐘の鳴るような音がした。小さく抑圧されていた大質量の炎が解放。周囲の酸素を食いつくしバックドラフト現象を引き起こして炸裂し、六十四本の弓矢の雨の大半を消し飛ばす。
「跡形も残らなかった、……んなわけないか。逃げられたな」
ジャックは立っていられずに尻餅をついた。相討ちだった。爆風を透過してきた真空の矢はジャックの四肢を一本ずつ捉えていたし、ジャックの放った爆風と爆熱は浅くない火傷を『篠突き』に与えていただろう。
「僕もまだまだだな」
『篠突き』は既に校外に出ていた。というよりも爆風に吹き飛ばされていた。彼女の放った真空の矢は爆発の威力を大きく減衰していたが、それでも髪は焼け焦げ服は吹き飛び、酷い有り様だった。
(直撃していたかと思うと……)
背筋を悪寒が貫く。魔術自体の相性の上では彼女の優位だった。それを捩じ伏せる圧倒的な質量と破壊力。火傷を負った四肢が痛む。
「……私もまだまだか」
「フォールさん」
紫電色の髪を持つ女が振り返る。
「『セレクト』か。何の用…… ああ、今日は調整の日か」
『唯一の選択』、思考操作系の最上位である魔術師は頷いた。
「ちゃっちゃと済ませちゃいましょう。ガイストを待たせるのもなんだし」
「……そーだな。お前には迷惑を掛ける」
「いえいえ、俺が『魔術師の最終』になれたのは半分以上がこのためですからね」
「……卑屈になるな。確かに直接的な戦闘能力ではお前は『魔術師の最終』では最弱だろうが、『直接的な戦闘』でなければお前に勝てるやつなどいない」
「ははっ、そう言ってくれるのはフォールさんくらいッスよ」
「退屈だな……」
幾月は時計台から街の灯を見下ろす。ここは魔術師の街、彼女が左手に握る刀を引き抜いて下の人間達を殺せばそれなりに強い相手は釣れるだろう。夜の闇に紛れてならば眼下にいる人間の四分の三を逃げられる前に殺害できる自信が幾月にはある。
闘争の末に死ぬなればそれもまた一興、そういうふうに幾月は出来ている。しかし幾月は左手の死を降り下ろさない。もしそうすれば闘争にもならずに幾月は死ぬからだ。
ガブリエル=フォール
最強の闘争者たる『魔術師の最終』達の最強である第一位。彼女とは戦うことすらできない。全ての強さはあの女の『速さ』の前になんの価値も持たない。『雷と等速で訪れる死』とは比喩ではない。
「はぁ…… 鬱だな。『ヴァジュラ』の暗殺者共でも襲ってこないものか」
そう呟いた瞬間だった。
こめかみの辺りに斜め下から強い衝撃を受けた。幾月は狙撃された。視界が揺れる。倒れそうになるのを片手をついて防ぐ。幾月のこめかみには既に血が固まっている。魔術の名は『暗くて深い黒』、血の凝固作用を“強化”して物理攻撃を無力化する、幾月の異名ともなっている術だ。
「……そこか」
幾月は笑みを浮かべながら時計台を蹴った。
四十メートル強、人間ならば確実に死ねる高さだが『暗くて深い黒』の前には何の意味もなさない。地面の方はそうもいかずにドゴォンと大きな音を立てて砕ける。狙撃手らしき男の背が見える。
しかし身体能力に特化した『魔術師の最終』である幾月に捕捉されて逃げ切れるはずもない。距離は詰まっていく。
否、自分はどこかに誘導されている。
自覚しながら幾月は追跡をやめない。ガブリエル=フォール以外の誰が自分を殺せるというのか。そして彼女はグラトニー=ゴブレットという一人の魔術師を思い浮かべて舌打ちした。あれはイレギュラー過ぎる。魔術をエネルギーに変換して吸収するなど本来あり得ない魔術だ。理屈でありえないことを可能にする魔術師はたまにいるし『物体の存在を強化、延長する』幾月もその一人だがあれはありえなさ過ぎる。
あれではまるで……
「!」
狙撃手を追い詰めたらしい。左手は川、右手は廃ビルの壁が続いていて長い一本道になっている。幾月の身体能力と長い刃から逃げられないと悟ったのか、対峙する。
幾月も止まって右手を柄に触れさせた。
「なぜ私を狙った? 死ぬかいま答えるか四肢を落とされて拷問されながら答えるかで選べ」
男は無言のまま右手を上げる。脇にあった川から瀑布が持ち上がる。と、ほぼ同時に落ちた。幾月が彼の首を落としたからだ。式を構築し物体を操作し力が循環しきってから攻撃する砲戦型の魔術は幾月にとって遅すぎた。
それに元々そんなに高位の魔術師ではなかったんだろう。後ろから数えた方が早い三桁台と言った所だ。『魔術師の最終』にぶつけるような手札ではない。
──単独では。
水音に隠れて幾月は廃ビルから誰かが落下してくる風切り音を聞き逃す。
横向きの衝撃を受けて幾月は吹っ飛んだ。衝撃を放った男が着地。右手に握る銃から硝煙が上がる随分古い型のリボルバーだ。薬莢が転がる。
そういえば幾月の目の前にいた男は水使いだった。温度を奪って氷を作れる魔術師はいるがその手の魔術師は大抵「飛ばす」ことができない。つまり狙撃手は彼ではなかったらしい。
幾月はそう深くない水面から体を起こす。
「オォ? この至近距離から撃っても効果なしかよ。ちょっとプライドが傷ついたな」
「……『死線の弾丸』、お前が本命か」
幾月が刀を引き抜こうとした瞬間に、空気が破裂する音。右手が弾かれる。『暗くて深い黒』の装甲の上には銃弾が突き刺さっていた。
「動くなよ?」
暗殺組織『ヴァジュラ』所属の二桁台『死線の弾丸』の魔術は視線上の任意のポイントに弾丸を撃ち込む超高速精密射撃だ。ガブリエル=フォールさえいなければ魔術師『最速』の名は彼のモノだっただろう。
『魔術師の最終』に次ぐ力を持つ強力な魔術師だ。
だがこの程度の破壊力で『暗くて深い黒』を撃ち破ることは不可能だ。
幾月は刀から手を離してただ進む。“死線”が弾丸を放つ。弾丸は幾月に命中し、エネルギーを放出しきって停止した。幾月の体勢が少し揺らぐが変化はそれだけだった。
「き、効いてねぇー……?」
「『暗くて深い黒』の存在を“延長”しただけのことだ」
『暗くて深い黒』はほぼオートで発動するが意識的に延長を重ねればその防御力な桁が違う。第三位である『奇怪な宴』が貫けなかった程に。
幾月は刀を抜かない。というか抜けない。余りにも精密な早打ちを前にその隙間すらない。
だから幾月は装甲任せに素手の肉弾戦を挑んだ。
「じゃ、これならどーよ?」
“死線”の右目が鈍色に、僅かに光る。次の瞬間に。
大砲の大口が幾月に向いていた。
「?!」
咄嗟に真横に跳んで逃れようとするが、反射神経程度では全魔術師の中でも最速に限りなく近い『死線の弾丸』に追いつかない。
「どっかーん」
冗談じみた声で砲弾が発射、ゼロ距離で幾月に直撃する。刀を抜いていないことがわりと致命だった。どんなに強化しようが幾月の体は基本的に軽く、砲弾の質量に耐えきれずに吹き飛んでいく。川を挟んだ対岸に直撃する。右手のリボルバーは囮に過ぎなかったのだ。
「……死ん、でねーな。」
死線が呟く。この程度で死ぬようなやつが『魔術師の最終』の十三位、『桁外れ』などと呼ばれている訳がない。そもそも手傷すら与えていない可能性が高い。恐らく『死線』の放った魔術はダイヤモンドを指で弾いた程度の結果しか残していない。
「必要な交戦記録はもう集めたし、いまのうちにトンズラしますか」
身体強化の魔術を発動、筋肉中のATPが増加され跳躍。『ヴァジュラ』の暗殺者は夜の闇に消えた。