第6話:お前じゃなくてもできるんだ
「よぉ 冴垣」
校門の前で息を切らしている壮介の肩を誰かが叩いた。
「……神、乗 か」
神乗 英、やたらとひねくれた壮介のクラスメイトで一応親友だ。
ちなみにもう始業式が始まる時間は過ぎている。
この男は典型的なサボり魔なのだ。壮介は神乗が真面目に授業を受けているところを見たことがない。
「お、前、式、は……
「いいから先ず呼吸を落ち着けろ。ほら、吸ってー 吐いてー」
息を吸おうとしたら噎せかえった。
「あ 今日光化学スモッグがどうたらこうたらで深呼吸したらダメな日だったっけ?」
「絶対、わざと、だろ」
親友は満面の笑みで「断じて違う」と言った。
もちろん壮介は信じなかった。
「ところで壮介はいまから式に出るのか?」
「ん? ああ。俺はお前と違って真面目だから」
「ふーん…… 式終わったぐらいに教室行こうかと思ってたけど、壮介が行くなら俺も行こうかね」
こいつが他人に便乗?するなんて珍しいな と壮介は思った。
神乗はクラスを探せば一人はいる孤独が辛く見えないタイプの人間、馴れ合いの外にいて一人でなにかを楽しんでるようなやつだ。
善く言えば一匹狼。
悪く言えば根暗男。
「まっ とりあえず体育館いくか」
深く考えずに壮介は校門を潜った。春には鮮やかに花をつける桜が緑の葉と毛虫で出迎える。
足元に注意しながら校舎に入る。目的地の体育館は校舎のなかを通り抜けたほうが早いのだ。
普段遅刻なんてしない壮介にとって人のいない静かな学校はなかなか珍しい物だった。
廊下から生徒の話し声がしないのがなんとなく斬新に映って神乗にそんなことを話してみるが「へぇ」と反応は薄い。
よくよく考えてみれば遅刻常習犯であるこいつは授業中で廊下に誰もいない状態を何度も経験しているわけだから、当然だった。
音のしない校舎を通り抜けて体育館に辿りつき少し躊躇いながら扉を開こうとした。神乗が壮介に体当たりした。二人の体が地面に転がる。
なにしやがる?! って言おうとして鉄製の扉が吹き飛んだ音に拒まれた。
「立てっ、離れるぞ!」
反応するのは神乗のほうが早かった。
壮介は固まって動けなかった。
扉を吹き飛ばしたのが鉄製の大きな棒だったからだ。
(『奇怪な宴』……?!)
記憶と連想が壮介の足を固める。抗っても無駄なまでの力の差を思い浮かべてしまう。
「冴垣っ!」
対して親友は冷静すぎるぐらいに冷静だった。壮介の襟首を引っ付かんで死角に放り込むと一人で駆け出した。
範囲外に逃げられることを恐れたテレキネシス使いが飛び出してくる。
(『奇怪な宴』じゃない……!)
「待ってくれって。俺はお前ほど足早くねぇよ!」
テレキネシス使いは神乗の一人芝居に乗せられてそちらを追って壮介の視界を外れていく。
「っ…… なにやってんだ俺は」
体育館の入り口から中を覗くと何人かが血を噴いて倒れていて半ばパニックを起こしかけていた。あの魔術師がなにが目的なのかはわからないが力と恐怖を用いて体育館を制圧していたことは想像がつく。
ここで壮介にできることはきっとなにもない。
壮介はテレキネシス使いを追って走り出した。
神乗 英は頭が切れるがあくまで常識人だった。
鉄骨ぶん投げるなんてどんな方法使ったのかピンとこないが、それなりに大型の装置を使わなければ不可能なはずだ。
そんな大きなものを使えない校舎の中ならどこからなにが飛んでくるかわからない外よりは安全なはず──
その読みは致命的に間違っていた。
テレキネシス使いがガラスに触れるとそこを中心にケーキを八等分したような亀裂が生まれる。
「っっっ……」
それが一直線の廊下を超速で疾走する。神乗は手近な教室に飛び込んでガラスの吹雪をかわした。大部分が腕を掠めて流血する。
(……ふざけやがって。なんだいまのは)
鉄骨をぶん投げたり
ガラスを意図した形に割って飛ばしたり
あきらかに人間が単体で出来ない行動だ。
(……まっ そんなこともあるんだろうな)
この世の全ては理論で出来ているがその理論の大多数は自分に解くことの出来ないモノだ。
神乗はそんな風にいい加減に納得することができる人間だった。
だから上着を脱いでみた。
神乗を追い掛けていたはレンデルは神乗が逃げ込んだ教室に入った。
窓が開いている。そこから逃げたのか? と思ったが掃除用具のロッカーから上着の端が覗いているのを見て手近な机に手をかけた。
同じテレキネシスの使い手でもレンデルは『奇怪な宴』に数段劣る。速度もパワーも低いし、彼は右手で直接触れたものしか移動させることができない。
だがそれでも、
ドガッ と金属製のロッカーが破裂する。
それぐらいの力はある。
ロッカーから出てきたのは上着だけだった。
やはり窓から逃げたのか。
レンデルは窓を抜けて中庭のほうに駆け出す。
……それを足音で察して、少し時間を置いたあと神乗が教卓の下から抜け出した。フェイクを破った気になっている人間は注意力がわずかながら散漫になる。神乗はそこをついたのだ。
呼吸を落ち着けて携帯電話を取り出す。圏外、となっていて神乗は大きく舌打ちした。
「待てッ!」
冴垣 壮介は中庭を抜けようとしていたレンデルを見つけて叫んだ。
「なんだ。標的がわざわざそっちから現れてくれるとは手間が省けたな」
感情のない目をしたレンデルは壁際に寄ろうとする。
「オオオッ!」
咆哮をあげながら壮介は走る。
レンデルがガラスに触れる寸前、向かい側の教室からなにかが飛来してテレキネシスを発動させる前にガラスを砕いた。
「?!」
「イス放り投げるぐらいなら別にテメーじゃなくてもできるんだよ」
「っ……、」
壮介が間合いに到達する。レンデルが割れたガラスの破片を空中で掴む。
飛来。
だがその軌道は壮介にはバレバレだった。急所狙いの一撃必殺はあの嫌らしい親父の拳より遥かに読みやすい。
ぐわんと壮介の体が揺れて沈む。喉を狙っていたガラスが地面に突き刺さる。
近距離。繰り出される拳はレンデルが新しく投げる物を探すよりも早く的確に側頭部を撃ち抜き、コンクリートの校舎の壁とのあいだで脳震盪を起こさせた。
魔術師の体が壁に持たれたままズルリと落ちた。
「ははっ…… ざまぁ見やがれ! 誰がテメェなんかにビビってやるかよ」
壮介はひとしきり笑って、それからヘタレこんで息を吐いた。神乗が身を乗り出してこちらに歩いてくる。
「っておい! 腕、傷だらけじゃねーか」
「お? ああ、そういえば超いてぇ」
傷自体は浅く出血はそれほどでもないようだが、ともかく神乗の腕は傷まみれになっている。
神乗の腕を取り親父がやっていたのを真似て着ていたシャツを破いて血管を圧迫しながら巻き付けていく。
「で、話して貰えるんだよな?」
神乗は立ってるのがめんどくさくなったらしく土の上にペタンと座り込んだ。
「……なにを?」
「惚けんなよ。お前、こいつの力を知ってんだろ? じゃないと最後のガラスのあれは避けられねーはずだ」
こいつ、勘が鋭すぎる……
嘆息して壮介は事情を話始めた。
「……こいつらが襲ってきた事情までは知らんがそういうことらしい」
「魔術、ねぇ。さっぱり信じられないけどたしかにそうでもなきゃ考えられねーな」
実物を目撃しているだけに神乗は呑み込みが早かった。
「携帯が圏外なのもそれと関係あんのかな? まあ、こいつぶっ倒したからもう使えるか」
圏外? ふつうに考えてテレキネシスにはそんな力は無さそうだが──、
「まずっ……」
悪寒を感じて壮介が振り返ったときにはもう死刑執行の間際だった。
屋上に立つ人影を視認した瞬間に黄色の閃光が視界のなかを駆け抜ける。
電撃使い──
咄嗟に屋内に逃げ込もうと足を動かすが遅かった。
秒速にして30万キロメートル近い雷の牙が壮介達に向けて放たれた、
「やれやれ…… そんなことじゃないかと思ったが」
──はずだった雷鳴は空中で大きく進行方向を変えた。壁にぶち当たったように下方向を避けて蜘蛛の巣状に空中を広げる。熱によって空気の密度が変化し電流が流れ易いほうへ傾いたのだ。
「にしてもよく生き延びたな。サエガキ ソウスケ。僕のなかでのお前の評価がバカからウマシカに変わったよ」
「……来るならもっと早くこいよ」
ファランクス所属三桁台の魔術師、『炎を呼ぶ鐘』のジャック=クリーパーがゴブレットを連れてほんの数メートル先に立っていた。
「さっさと倒して解決してくれよ護衛君。ってゆーか飯代ぐらい働け」
「……いや 距離がありすぎるな。僕の炎じゃああそこに到達するまでに逃げられる。それにさっきの雷は素人のソウスケ達に向けて撃ったものだから大した威力は持たせなかったが、次のは魔術師の僕に向けて撃つんだから威力はさっきの比じゃないだろう。
気密操作くらいで防げるとは思えない」
「つまり?」
「絶体絶命」
「アホか! なんとかしろよお前っっ」
「慌てるな。いまのはこの場にいる魔術師が僕だけならの話さ」
ジャックがゴブレットを差した。
ゴブレットの周囲に巨大なレンズが浮かび、光を跳ね返している。なにをしているのか壮介にはわからなかったが、上のほうで雷使いが膝をついて、倒れたのが朧気に見えた。
「……なにしたんだ?」
「光化学スモッグさ。今朝注意報が出てただろう? 彼女は光系の魔術師だからな。空気中の光化学オキシダントを増量させるぐらいはわけないんだ。
それを僕が雷を防いだときの熱波によって発生した上昇気流に乗せて上の魔術師のところまで運んだん、だ」
ぐわんと空間が歪んでジャックが倒れた。