第2話:「このドケチめ」
朝、冴垣 壮介は目を覚ました。窓から入る日の光が浅く目を刺す。
「……あぁ、そうだよな。魔術とかそりゃあ全部夢だよなぁ」
いつも通りのベッドの感触、
布団の暖かさ、
枕元で充電している携帯電話、
自分の腕を枕にしている金髪の少女、
完璧に普通の朝──、……だ?
「うわぁっ?!」
なんかいた! 壮介は周りを見渡す。間違いなく自分の部屋だ。金髪の美少女が自分の手を枕にして寝ている。
「んー……? あぁ、おはよう。壮介」
ゴブレットは首を起こしてまだ眠たそうに瞼を擦った。
……あぁ、思い出した。全部夢なんかではなく現実だった。この少女は『底無しの聖杯』の異名を持つこれから起こるらしい魔術戦争の切り札で、そんなことに手を貸すのが嫌で徴兵から逃げ出してきたのだ。
それから──、
「……それからどうなったんだっけ?」
たしか『暗くて深い漆黒』とかいう魔術師と戦って公園で気絶したんだよな……?
「壮介のお父さんが来て背負って帰って治療したんだよ」
ゴブレットの語るところによると親父は特殊警棒と全身防備で訪れたらしい。
息子を防刃繊維1つで行かせて自分はそれかよ……
壮介はあきれて息を吐いた。肺のあたりがピリリと痺れる。自分が上半身裸で胸のあたりを包帯を巻いて固定されていることに気づく。
「……あれ?」
折れた、とあの瞬間に壮介は自覚していた。いかに防刃性の科学繊維だろうが全ての衝撃を吸収し切れるわけじゃない。肋骨の数本は確実にイッた。それだけの衝撃が壮介の体を駆け抜けた。だが、
(あんま痛くない……?)
少し体を捻ってみると鈍い痺れこそあるが自分が骨折しているとは思えない。小さい頃によく折ったり折りかけたりはしたからあの痛みはよく覚えているが、いまの痛みは2日ほど時間を置いた打撲のあとのモノによく似ていた。
「無理しちゃダメだよ! 魔術で無理矢理くっつけてるんだから、外れちゃったら大変だよ」
ゴブレットは眠たげに目を擦りながら頬だけを膨らませて怒る。なんだか表情がアンバランスでかわいい。
「ほとんど徹夜で治したんだからね、感謝してよ!」
感謝はするがそういうのは壮介が自分で気づくからジンと来るもんなんじゃないだろうか?
少し苦笑しながら「ありがとう」と言おうとしたら能天気なインターフォンがそれを遮った。
……あぁ 日常の音だ。
時計を見ると父親はもう仕事に行っている時間だ。壮介はベッドから起き上がった。服を着る。あんなことがあっても親父はあっさり受け入れていつも通りの日常を過ごすんだろう。そう思いながら階段を降りて玄関に向かう。ゴブレットが付いてくる。
余談だが壮介の家は一軒家でこそあるがそう裕福ではなく(一重に父親の趣味のせいである)、カメラ付きで来訪者の顔を確認できたりはしない。もしそうだったなら壮介は間違いなく居留守を使っただろう。
「おはよう、いい朝だな」
破壊された玄関の奥からボディーラインにぴったりの黒い服を着た長身の女性が顔を出した。本来なら玄関を閉める場面なのだろうが閉めるべき扉が存在していないので壮介は表情を苦めて二、三歩後退る。
「……やむを得ないのだろうが、やはり歓迎されていないな」
黒くて長い棒切れを片手に幾月 アサギは微笑する。どこか感情の読み取れない表情だ。
「な、なんの、ようだ……?」
本人としては抑えたつもりだったのだが壮介の声は大分引き吊っていた。
「グラトニー=ゴブレットを回収しに来た、と言ったらどうする?」
幾月はやはり微笑を崩さないが、その目がなんとなく昨日と違うことに気づく。なんとなくだが恐くない気がする。殺気というモノだろうか? が薄い。
「安心しろ、魔術師が『決闘』に負けたんだ。そんな不様な真似はしないさ」
「『暗くて深い漆黒』……」
横から顔を出したゴブレットが呟く。さすがにゴブレットは壮介よりしっかりしている。
「なかに入れてくれないか? 落ち着いて話したいんだが」
壮介は横目にゴブレットを見た。魔術師『底無しの聖杯』は小さく頷いた。
「私の部隊は君達の捕縛の任務を放棄した」
と、幾月は切り出した。
「両者の同意で始めた『決闘』で決めたことを破ることは魔術師に取って最大の恥辱なの」
ゴブレットが壮介に耳打ちする。壮介にはよくわからないがそういうモノなのだろうといい加減に納得することにした。
「新しい任務が来るまで私はひまなんだよ」
と、幾月。
……なにが言いたいのか非日常的にわかってきた気がして壮介は頬肉を引き吊らせる。
「私はアロス=ラハイヤンの命令で動いていたが今回の戦争に『底無しの聖杯』などを使うのは個人的には反対なんだ。我々『魔術師の最終』が居ればゴブレット、お前など要らんと私は思っている」
「つまり……?」
「護衛をしてやるから代わりにこの家に泊めろ。任務を放棄したから上が宿代を出してくれんのだ」
親父ならば「若い女性は大歓迎だ!」なんて言いながらこれをあっさり承諾するんだろうな、と思いながら壮介はやっぱりゴブレットを見た。ゴブレットはなにかを考え込んでいる。
壮介はとりあえず意味不明な単語を整理して見ようと訊ねる。
「……なぁ スペルエンド、ってなんだ?」
「その道にこれ以上に先はないと言われるまで極めた魔術師のことだ。いまではだいたい戦闘面で上から数えて13人目までの魔術師のことになっているがな」
「……つまりあんたは魔術師の中で戦闘面に於いて13番目の強さを持ってるってこと?」
「12位まではそうなるんだが、13位は少し違う」
「……、?」
「『桁外れ』ってことさ」
「なるほど……」
苦笑いを堪え切れなかった。なんとなくゴブレットに振る。
「ちなみにゴブレット、お前は?」
「え? あ、えー……5千……」
「ダメダメじゃねぇか! お前よくそれで見得きったな?!」
「し、失礼な! 魔術師は2万人以上いるんだよ! 1/4以下って結構スゴいことなんだよ!」
顔を真っ赤にして叫ぶゴブレットを二桁台はクスクス笑って見ている。壮介は5千でスゴいなら13ってのはどういう数字なんだろうと心中で肝を冷やす。
同時にそんなのが護衛なら少しくらいは安心できるのだろうか? と思う。突然襲われて昨日はいっぱいいっぱいだった。あんなのが続けば到底耐えられるとは思えない。だけど壮介としてはゴブレットを放り出すのも……、嫌だ。
まだ隣でギャーギャー怒っているゴブレットに冷めた声を掛ける。
「……どう思う?」
ゴブレットは不満そうに唇を尖らせたが一度息を吐くと魔術師の顔に戻った。
「んーとね、とりあえず受けてみるしかないと思う」
「信用、できるのか?」
「少なくとも『魔術師の最終』が『決闘』の結果を無視するようなことはしないと思うんだ。それに……」
控えめに、言う。
「わたし一人で逃げるならともかくこの家でちゃんと暮らそうと思ったら、護衛は必須だと思う」
「……わかった」
「決まりか?」
「ああ、」
父親には、ああいう性格だから事後承諾でかまわないだろう。
「よろしくお願いします。幾月さん」
「ああ 任されたよ、少年」
予期せぬ居候がまた1人増えた。
布団を叩いて埃を落とした。押し入れにしまってあった長い間使っていない二組の布団はなかなか豪快に綿埃を吐き出す。
「ふぅ……」
「少年」
手持ちぶさたに突っ立っていた幾月が後ろから声を掛けてきた。ベランダに出ていた壮介は内心でビクつきながら振り返る。
「な、なんですか?」
「私に他に聞きたいことはないのか?」
「……なんで?」
「別に。少年が奥歯にモノが挟まったような顔をしていたから気になってな」
「……じゃあ、幾月さん」
「アサギで構わないぞ。なんだ少年」
「……アサギさん、あんたがぶった切ったドアと窓 直せるか?」
「……わ、私の武器は刀だ」
幾月が目に見えて狼狽した。
「知ってる」
「刀ができることは切ることだ」
「知ってる」
「ならばなぜ訊いた? 私は魔術師であり剣士ではあるが大工ではないぞ」
存外にできないと伝えようとする幾月は難しい顔をしながら言い訳を追加する。
「普通にそういった業者を呼べばいいはずだが 時間こそかかるかもしれんが直せないことはないだろう」
「いや 事情の説明が、さぁ……」
「問題ないさ。そもそも君は丸見えの玄関が真っ二つになっていて通行人が騒ぎ立てないことをおかしいとは思わなかったのか?」
「あ…… そういえば」
「『存在の弱化』、物体や空間に関する認識を弱める魔術さ。例えば君はこれをなんだと思う?」「なにって棒切れ……、?!」
幾月は先端部分を握って少し横にズラした。銀色の刃が少し顕になる。壮介が棒切れだと思っていたモノは鍔のない日本刀とその鞘だ。
「君は私の武器が刀だと知っているのにこれにあまりに注意を払わなかった。これが『存在の弱化』の効果だ。君はこれが刀で危険なモノだと知っているからいま反応できたが、何も知らない人間にはそもそもこの刀が抜き身でも危険なモノだと認識できない。
いま君の家の扉と窓にも同じことが起こっていて、通行人はそれらが壊れていることが当たり前で騒ぎ立てることではないと思っている。
まあ魔術師同士ならば違和感を嗅ぎ取れるし、弱化している物体は恐ろしく強度が下がるから戦闘の役に立つ魔術ではないがな」
「へぇ」
「修理には業者を呼べばいいさ、……ってなんだその手は?」
「金。あんたが壊したんだからあんたが払え」
「君の言うことには一理ある。しかし私はいま実際にほぼ一文なしという現実を抱えていてだな、」
「金」
「……君は案外がめついな。見た目のキャラからは想像がつかなかった。以後注意しよう。このドケチめ」
ゴブレットは壮介の部屋で漫画を読んでいた。
「むむっ 日本の文学は難しい……」
読み終えたそれを置いて次の一冊に手を伸ばした。表紙には『ク○マティ高校』と書かれている。その内容がどこをどう間違えたとしても文学でないことを彼女は知らない。
(それにしても……、)
彼女は思う。自分がこんなに平和な時間を過ごせていることが信じられない。
逃亡から約1週間、3日間は暗い路地裏で野宿しわずかなお金で安い食べ物を長く食べて凌いだ。強力な追っ手に当たって命からがら逃げ出してきたのが4日目。この日は恐くて眠れなかった。
協力してくれる友人の元にようやく辿り着いてお風呂に入れて貰ってるあいだに電話の声が薄く聴こえてきたのが一昨日。
「ええ、ここにいるわ。引き留めておくから早く来て頂戴」
ゴブレットは服を着ると荷物も持たずに飛び出した。
ひたすら走って、そのうちもうどうでもいいような気分になってぼーっとしてきて、壮介の父親に問い詰められて強引に連れ帰られたのが昨日のこと。
巻き込んでしまう、そう思いながらもゴブレットは出ていけなかった。久しぶりの人の温もりは冷えきった心には暖かすぎた。
「ゴブレット、昼飯できたぞー」
階下からの壮介の声に微笑んでゴブレットは両手を合わせて目を閉じる。
「──どうか、どうかこの小さな幸せを壊さないでください」
しかし敵は容赦なくそんな思いを引き裂く。
「……なんの冗談だ。それは」
『炎を呼ぶ鐘』の異名を持つ魔術師、ジャック=クリーパーは偵察に出していた部下からの報告を訊いて顔をしかめた。
彼は『底無しの聖杯』の捕縛を任された一団の1人だ。アロス=ラハイヤンからの直々の命令であるこの任務を足掛かりに上層とパイプを作って行こうと考えていた。
しかし『暗くて深い黒』なんて化け物を相手にするとは聴いていない。
「怖じ気づきましたか?」
と、アロスとの連絡役を果たしている男は言う。挑発するような響きがある。
「まさか」 強がって見せたがジャックは冷や汗を自覚している。仮にジャックの部隊が全員で一斉に仕掛けたとしても『暗くて深い黒』単体にとても敵わないであろうことは容易に想像がついた。『魔術師の最終』とはそれほどまでに圧倒的な存在なのだ。
(正面から相手にするには分が悪すぎるな…… 部下をぶつけて隙を伺うか。しかし『暗くて深い黒』がなぜ『底無しの聖杯』なんて無名も等しい魔術師に付いたんだ……?)
彼は近隣の公園で行われた戦闘を知らない。それどころか『暗くて深い黒』が彼と同じ任務についていたことさえ知らない。
そしてその両方を知っている連絡役の男は可笑しそうに微笑む。
「期待していますよ。『三桁』さん」
片側だけでも2万人以上存在する魔術師の『100番以上999番以下』、主に敬称であるはずのそれを皮肉として使う目の前の男をジャックは鋭く睨む。
「そのうちあんたにも泡吹かしてやるよ。『奇怪な宴』」