第13話:「あなたが欲しくて堪らない」
「半分当たりで半分外れです。それ以上は残念ながら自分の口からは言えません」
ガイストがゴブレットを見る。
「行かない。……壮介と一緒なら行く」
「結局そうなるなら中途半端に喧嘩なんかするなと思ってしまうのは私だけか?」
抜き打ちで幾月はガイストに斬撃を放つ。首を刈り取るようなやや高い位置を狙ったためガイストは伏せるだけでそれをかわした。
「なら、私があいつを抑えているからお前らは走れ」
「さりげなくお前、こいつと戦いたいだけだよなっ!」
壮介とゴブレットが駆け出す。
「……バレたか」
テレキネシスによって幾つかの樹や土の塊が持ち上がるが、存在を延長、強化された刀が弾き飛ばす。テレキネシスの弾幕に空いた穴から二人が建物に飛び込む。
「行かせたな?」
「どうせ止められませんから。あなたに不意を討たれて終わるよりはずっといい」
ガイストが両手を広げる。テレキネシスの波動を受けた森がざわめく。
「本気でいきます。悪く思わないでください」
そして彼を中心にした半径五十メートル以内の木々が一斉に引っこ抜かれた。砲戦型魔術師の常識を覆す速度で発動したテレキネシスが幾月に向く。延長された刀の一閃が薙ぎ払うが質量差に押されて途中で停止する。幾月はバックステップしようとして背面からもテレキネシスの弾幕が押し寄せていることに気づく。術者を中心にした魔術にしてはリーチが長すぎる。逃げ場がない。
「完全装甲!」
だから幾月は真っ向から受け止めた。バキバキバキィッ、鋼鉄以上の硬度を誇る『暗くて深い黒』に高速で叩きつけられた樹木が砕け散る。
「……それが人間の強度ですか」
呆れ顔でガイストが呟く。日本刀が一閃。木片が飛び散って幾月の前に道が開く。ガイストは樹木の一つを垂直に叩きつけて延長された刃を折る。幾月は地面を蹴って爆発的に加速……、しようとして反射的に目を閉じた。
ズザァァ、ザアアアア!!!
耳をつんざく不快な音。装甲越しに何かが擦れる感触。鋼鉄以上の装甲が削り取られていく。
(風?! バカな。ウインドマスターでもないこいつがこのレベルの風術を操れるはずが……)
風ではなかったが、幾月にはそれが見えていなかった。幾月の視界を埋めたのは砂だ。テレキネシスで操られた超高速で流動する砂がやすりのように装甲を削っている。装甲の次には幾月の血肉を。
「があああっ!?!?」
咆哮ではなく悲鳴だった。装甲を完全に貫いた砂の嵐は幾月の体を極小の単位で一つずつ削って行く。
ズヴァン!
と、音を立てて漆黒の刀が砂嵐を貫いた。超速度でガイストの眉間に切っ先を伸ばす。
「……」
ガイストはそれを冷たい目で見ていた。延長でできた刀はガイストのほんの数ミリメートル手前で止まった。ピキピキとわずかな音を立てて砕けていく。砂嵐が止む。血まみれの幾月が地に伏していた。
「……おや、まだ息がありますか。自分としたことが加減を間違いましたかね」
ガイストは手頃の場所にあった樹木を一つ引き抜いて、幾月の頭蓋骨に向けて降り下ろした。
『火の風』の爆風がそれを吹き飛ばした。
「……何のつもりですか」
「君こそなんなのかな? 私の幾月に何しようとしてたのかな? バカなのかな? 死ぬのかな?」
「自分と戦うと? 正気ですか。自分は確かにゼクト程無敵ではありません。屍踏みの方陣 (ファランクス)の方が破壊力は高い、七つの盾 (アンラッキーセブン)ならば自分のテレキネシスも凌ぎきることも可能でしょう。しかし相性上あなただけは自分の指一本触れることができないはずです」
「だから何なのかな?」
ストームはライターを投げた。テレキネシスを受けてライターが空中で停止する。ライターの投擲は彼女の要だ。それが止められるがゆえに最悪の相性になる。と、突然ストームの背後から打ち出された炎がガイストに向けて直進しそこから爆発を引き起こした。
『火の風』は正確には魔術を使えない。先天性で魔力が拡散する障害を抱えていて任意の点に可燃性の粉塵を生み出すことだけが彼女の能力でそれに粉塵爆発という現象を引き起こす。火そのものをライターを投擲することで補っているのだが……
「なかなかおもしろそうな場面に出くわしたな」
樹木を盾にしたガイストが炎の出所を探す。ストームの数歩後ろに少年がいた。
「炎を呼ぶ鐘…… どうしてあなたが?」
「簡単な話さ。お前を殺せば上の席が一つ空くだろ? それに、昔からボクはお前が気にくわなかったんだ」
ジャックが手をつき出すと炎の縄が幾筋も走る。爆発の轟音を利用して火炎を生み出せば手を合わせた時の比ではない火力を生み出せる。
ガイストが地面に手をつく。土壁が炎を遮るが一部の炎が粉塵爆発を起こして膨れ上がった。
「っ……」
土壁を貫通して咄嗟に伏せたガイストの左腕を消し飛ばす。空いた穴から炎が殺到。土の壁を新たに築こうとするが『火の風』によって次々に食い破られていく。
ほとんど苦し紛れにガイストは砂嵐を起こした。代償として防壁が崩れ去る。幾月の防御を貫通するほどの攻撃力を生み出すのは第三位のガイストでも容易ではないのだ。
ジャックが左腕を伸ばす。
球形に押し止められた炎の塊がリィンと澄んだ音を立てて炸裂、同時に火の風が吹いた。幾月を破った砂塵を全て吹き飛ばしてなお余りある一撃が森を焼く。
「どうだ……?」
黒煙に視界が包まれる。砲戦型の魔術師であるジャックの初動は決して早くない。ジャックは少し油断していた。仕留めたと思っていた。だから黒煙の中から超速で駆け抜けたナイフを防ぐことができなかった。
ジャックとストームの急所を目掛けて三本、的確に投擲される。ストームはライターを投げて横殴りの爆発を展開してナイフを吹き飛ばす。
(おいおいストームのやつこっちのも防ぎやがれよあのレズめ幾月さえ無事ならどうでもいいってかボクはお前を助けてやっただろうがふざけやがってぇっ!)
何かしようにも『炎を呼ぶ鐘』を使ったジャックには音が残っていない。まずい。死ぬ。
ガキンッ、と音がなった。
「……幾月?」
血まみれの女がゆらりと立ち上がる。カランとナイフが落ちる。一ミリも刺さっていない。
「ガイスト……、決着を……」
ボロボロの幾月が呟く。飛び散っている血から不純物が取り除かれて彼女の体に戻っていく。
(血流操作? こいつの力は、存在がどうこうじゃなかったのか……!?)
煙が晴れた先には奇怪な宴が死んでいた。全身が焼け焦げているが致命傷には見えない。消し飛んだ左腕からはまだ血が流れている。幾月の表情が急速に冷めて行く。
「いくつきぃ!」
飛び付いてきたストームの頭を幾月はかわせなかった。痛覚を弱めて受け止める。傷だらけの胸に頬擦りしているので見る見るうちに血で染まっていくがストームはまったく気にしていない。
「ベル。約束通り……、ヴァジュラ三人分の情報を寄越して貰うぞ」
「ああ、どうせボクが殺ろうと思ってた連中だ。あんたが殺してくれるなら話が早い」
「……まさか、最近頻発している二桁台の暗殺はお前が?」
ジャックは何も言わずに幾月から顔を背けた。幾月もわりとどうでもよかったのでそれ以上は特に何も言わない。
壮介とゴブレットは建物の中に入った。階段があり左右と正面に合計六つの部屋がある。広いフロアが広がっていて赤い絨毯が敷かれ、シャンデリアが室内を照らしている。外観からは想像もつかないほど内装は見事だ。
二階から誰かが見下ろしていた。
「ついてきて、こっちだよ」
誰かが言い、奥の部屋に消える。ゴブレットと壮介は顔を見合わせた。
「どうする?」
「もうヤケクソだよ。どうにでもなれだよ」
足早にゴブレットが階段を登る。
二人がそこへ踏み込んだ瞬間に扉が閉じて景色が変わった。突然真っ暗になる。ジャックよりもまだ幼い少年の姿だけが暗闇の中に浮かび上がった。
「やぁ、待ってたよ。やっときてくれたんだね」
少年はニコニコと嬉しそうに語る。ゴブレットと同じ金髪碧眼で中性的な顔立ちの美少年。
「最後に会ったのは君があの消える魔術師に連れ去られる前だから五年振りかな? あ、でもこの姿じゃわからないか」
「……こいつが、ミハイル?」
ゴブレットが首を横に振る。彼女にも事態が呑み込めていないらしい。
「きっといろいろ訊きたいことがあるよね。何が聞きたい? まずはやっぱりこれかな? あの消える魔術師は多分死んでるよ。彼が久々の自分の腕試しに殺しちゃってると思う。ミハイルを使ってセレクトに頼んでガイストくん?を殺したのは彼の前にどのレベルの魔術師にまで僕のこの『|あなたが欲しくて堪らない《マジカルマリオネット》』が効くのか実験したかったからなんだ。わかってるよね? 死体を操る魔法だ。
僕の目的、はまたの機会にしようかな。君はともかく隣の彼に話すにはまだ早いや。ともかくその手段は魔術師の間に戦争を起こすことだ。君が欲しかったのは単なる恋心だよ。それ以外に理由があるとすればやっぱり『底無しの聖杯』が聖書の側についているのが邪魔だったのかな」
「君は……、誰?」「ええ? 僕は僕だよ。名前はグリードだ。グラトニー、君と同じ。ガブリエル=フォールとも似ているが彼女とはベクトルが違う。ゼクトはすごいね。純然たる人の身であれほど大きな力を抱えているというのだから。あれは間違いなく天才だ。時代が違えば天災だったかもしれない。『暗くて深い黒』は頂けないな。あの紛い物には吐き気がする。君はこんなことも覚えてないの?」
「……」
「なんだよ。久しぶりに会ったのに随分つれないなぁ。普通は記憶の封印っていうと多少のショックで元に戻るものだけど、あの消える魔術師はもしかしたら完全消滅させられるの? 少し寂しいな。僕はその名の通り、『あなたが欲しくて堪らない』んだ。一度欲しいと感じたモノは何がなんでも手にしないと気がすまない。
しかし困ったなぁ。僕と会話をすれば思い出してくれるモノかと思ってたんだけど、どうやらアテが外れてちゃったみたいだ。一応訊いておくけどさ、ねぇ『この世は私の腹の中』、君さ、禁書側に戻る気はない? できれば君を無理矢理従えるようなことはしたくないんだけど……」
本当に申し訳なさそうに少年は俯いた。