第1話:底無しの聖杯
冴垣 壮介は父親が軍隊マニアの警察官であることを除けば一般的な高校生だ。
体格は中肉中背。
成績は中の中。
多少体育ができるくらいで至って平々凡々であることを自覚さえしていた。
主役はおろか脇役にすらなれそうもない、言うならばエキストラの1人だった。
自分は選ばれなかった物としてそれ以上を求めることはない。平凡こそが最上。
壮介にとって人生とはそういう物だったし、そういう物であることを望んでいた。
……はずだったのに。
「おーい 壮介。新しい家族を紹介する」
夏休みのある日、
そういって壮介の父親が首根っこを掴んで連れて帰ってきたのは金髪碧眼でゴスロリファッションないかにも非日常な美少女だった。
「……おい、親父。売春規制法って知ってるか?」
日本の警察はついにここまで落ちぶれたのかと壮介は嘆息した。
「立ち話もなんだ、座って話そうか」
父親が椅子を引いて少女を座らせ、三人はテーブルを囲む。壮介の向かいに父親と少女。父親の隣には自分が来るべきではないのか?、と壮介は思ったが少女の隣を位置取る父親の動きは俊敏だった。かなり呆れた。
「どうした、壮介。これから1つ屋根の下で彼女と過ごすんだぞ。自己紹介ぐらいしないか?」
促されて壮介は少女と視線を合わせる。年齢は16、7歳くらいだろうか? 絶対に20歳は越えていないだろう。壮介が言うのもなんだがまだ幼さの残る顔立ちをしている。しかし美少女だ。そして見慣れない金髪碧眼が少し壮介を気後れさせる。
「……冴垣 壮介です。なにがあったんですか? 逃げた方がいいですよ」
金髪美少女はきょとんとした顔で首を傾げた。言葉がわからないのかもしれないと壮介は思ったがそうではなかった。
「いえ、逃げてきたんですけど」
壮介は平凡に家出少女かなにかを一時的に預かっているのかと思い至って父親を見た。少なくとも援助交際の類いではないらしい。安堵する。父親は、
「彼女は魔術師だそうだ」
と笑顔で言った。
「……what?」
「素敵な発音ですね」
金髪美少女は笑みを見せたがその感想は致命的に間違っている。
「あ 申し遅れました。私、反応抑制系原発制御型魔術師で【底無しの聖杯】と言います。ゴブレットとお呼びください」
「…………」
壮介はどうしても軽く笑うことができなかった。ぺこりと頭を下げた金髪美少女の言葉には冗談というモノの響きが一切なかったからだ。言葉が出ない。
「ちなみにグラトニーと呼んだらこの世の地獄を見せて差し上げます」
洒落か何かのように付け足すがそれもよくわからない。『グラトニー』、たしか鋼の〇金術師にそんな名前が出てきた気がするがそれがコンプレックスなのだろうか?
「あ……あの、ゴブレットさん」
「はい」
「その原発制御に魔術師とやらが絡んでるなんて話はインターネットに出ていないのですが」
「機密事項ですから」
「その機密事項をペラペラとボクらみたいな一般人に話してもいいのでしょうか」
「もう逃げてきちゃったんでわたしの知ったこっちゃありませんね」
「その機密事項を知ってしまったボクらの身の安全は保証されてるんでしょうか?」
「ああ、それなら大丈夫ですよ。わたしと関わった時点でお二人は既にバリバリ全開ナンバー1の抹殺対象ですから」
気まずい沈黙が数秒流れた。そのうち父親が言う。
「あっはっは。壮介、じゃあゴブレットさんと一緒に買い物に行ってきてくれ。父さんは逃げるから」
「このクソ親父ぃ!」
壮介はテーブルから身を乗り出して父親の胸ぐらを掴んだ。
警察官の父親に腕っぷしで敵うはずもなくぼっこぼこにされて、壮介はとぼとぼ家を出た。
隣になぜか上機嫌のゴブレットが続く。買い物用の手提げカバンを片手にするゴブレットは見慣れない金髪碧眼でこそあるが単なる年頃の少女にしか、壮介には見えない。
(魔術師、ねぇ……)
なんの理由があってそんなモノを名乗ってるんだろう?
壮介は平凡だった。魔術なんてモノがこの世にあるはずがない。ここはブロック塀と時々の表札が続いてこの先を右に曲がって少し行ったところに大手のスーパーマーケットがあってその逆側に少し広めの公園がある普通の世界。だから普通のことしか起こらないのだ。
「……なぁ なんでうちなんかに来たの?」
「逃げ出したまではよかったのですが、着の身着のままだったので炉銀が底をついて行き倒れているところをあなたのお父上に助けて頂いたのです」
……もう少し軽い口調で言ってくれたらツッコミやすいんだけど、どうも初対面の人間を相手に角を張ってるとかそういうレベルではないようだ。
ゴブレットはどうしても『魔術師キャラ』を突き通すつもりらしい。壮介は少し考えて意地悪な質問をしてやろうと思い立った。
「なぁ あんたほんとに魔術師なのかよ?」
存外あっさりウソですよ、と返ってくるかと思ったがゴブレットは
「はい 魔術師ですよ」
とクソ真面目な声で肯定した。壮介は心中で少し笑う。
「証拠は?」
「えーっと、そうですね。じゃああの落ち葉を見てください」
ゴブレットは道脇の枯れ葉を指差した。近くに背の高い木はないからきっと風に飛ばされてきたのだろう。
ゴブレットが人差し指をピンと立てて空中に小さく円を描く。
「Burn(燃えよ)」
呟きからコンマ数秒あとに葉はボッと明るい火を上げて灰へと変わった。
壮介は唖然とする。なんだかんだ言ってもゴブレットの言うことなどまったくもって信じていなかったからだ。
「これで信じていただけました?」
「あ、ああ……」
開いた口が塞がらない、という状況に生まれて初めて陥ったかもしれなかった。自分はもしかしたらとんでもないことに巻き込まれたんじゃないかと今更のように気づく。
「親父の前ではそれ、「動かないで」
ゴブレットは壮介の前に手を突き出した。不意に触れた肩の柔らかさに壮介はドキッとする。が続く言葉はそんな気分を吹き飛ばした。
「どうやら追っ手のようです。しかし事情を知らない雑魚でしょう。このまま戦闘に入ります」
「は、はひっ?!」
ゴブレットが言い終えるか否かのタイミングで向かいから歩いて来ていた1人の男が舌打ちをしながら両手を広げた。
男の手のひらに右にはバチバチとはぜる紫電、左にはゴウゴウと燃える紅の炎があがる。
「う……そ、だろ?!」
男はそれをゴブレットと壮介に向けて放った。
ブロック塀で両側を囲まれた──どこにも逃げ場のない──狭い路地。迸る火炎と雷。壮介は咄嗟に動けなかった。このままでは二人は黒焦げになることは必至にも関わらず、壮介にはあまりにも現実感の薄く感じた。
「芸がない」とゴブレットは呟いた。そしてスゥ…… と深く息を吸い込んだ。
途端に雷も炎もなにかに吸い込まれてしまったように消えていく。
なにが起こったのか、壮介にはさっぱりわからない。そして炎と雷を放った男にもわかっていないようだった。驚愕は反応を鈍らせる。
「Burn!」
ゴブレットは指先で円を描くと叫んだ。壮介の視界の先で何かが光る。光に触れた男の手にみるみるうちに火傷が広がる。
ゴブレットの使っている魔術の正体は太陽光だ。指先で描く円の示すレンズを通して太陽光を集約して物体を加熱させる魔術だ。種も仕掛けもある。
ただ理屈でなく人間の焼けていく光景は恐ろしい。
「退きなさい。あなたではわたしには勝てません」
男は腕を押さえながらゴブレットを一睨みすると振り向いて駆け出した。
恐怖と緊張から少し解放されて壮介はペタンと尻餅をつく。
「ご無事でしたか?」
前に立っていたゴブレットが振り返って手を差し伸べる。壮介は一瞬、その手を取ることを躊躇った。この手は簡単に人を燃やせる手なのだ。──恐い。
「……あの程度の火傷なら魔術的に治癒を施せば痕跡さえ残らずに完治するでしょう。それにやらなければ殺られていたのはわたし達です」
ゴブレットは少し寂しそうに笑った。
そんな顔を見せられては手を取らないわけには行かなかった。その手の感触はやはり十代の女の子のモノで細く柔らかい。
「やっぱり、ご迷惑ですよね……」
ゴブレットは俯いてしまった。壮介はどうしようもなく心が粟立つ。
(ああ、クソッ……)
非日常に魅了されている。と壮介は思う。わずか数時間を共に過ごしただけなのに俯いてしまった少女が……、
エキストラなんかで、脇役なんかで居たくはないのだ。誰かを守る主役でありたい。
そんな気持ちがふと過ったが壮介はそれをゴミ箱に丸めて捨てた。無理だ。壮介はそう断言できる程度に自分の平凡さを知っている。
「買い物! 行くぞ!」
壮介は控えめに声を張り上げた。
「え……あ、 はい!」
少し呆気に取られたあとゴブレットが嬉しそうに笑ったのが壮介にも嬉しかった。
買い物は楽しかった。ゴブレットはまるで家事一般に疎くてなにか知らないモノを見るたびに壮介に訊ねてきた。得意になって説明したり、一緒になって首を捻ったり、笑った。
それは互い先ほどの光景を忘れようとわざとあかるく振る舞っていたのかもしれなかったけど。
「……そういえば、親父の前では魔術ってのを見せたのか?」
帰り道で壮介はあの男の乱入で聞き損ねたことを訊ねてみた。どうせ見せていたのだろうと思うが他に訊くようなこともなかったのだ。
ただ会話を続けたかっただけかもしれなかった。
「いいえ」と、ゴブレットは言った。
「あの方はわたしが魔術師だと名乗るとそのままただ『そうか』って」
ゴブレットの口調は軽い調子だったがあきらかに壮介の顔色が変わる。
「じゃあ親父は、」
壮介と同様に魔術師というのを真に受けていた訳ではなかった……?
「もう一度安全な場所に逃げてらっしゃるのでは? 先ほどそう──」
「バカ! あんなの冗談に決まってんだろ」
追っ手、とゴブレットが言った先程の男は二人を見るなり容赦なく襲いかかってきた。警察官である壮介の父親はまともに戦えば結構強い。
だがまったく無警戒の家のなかで突然襲いかかられたら──?
魔術という得体の知れないモノが相手だったら──?
「悪い、走る!」
「え、ちょっと……!」
悪い予感がして壮介は家のほうへ駆け戻った。提げた荷物の重さが鬱陶しい。壮介は全速で駆け抜けた。
「ッ……、!」
惨状はあきらかだった。先ず玄関の扉が破壊されていた。血のあとが続いている。白い壁面に無数の、刃物を叩きつけたような傷がある。壮介はそれを追って和室へと踏み込んだ。
「親父っ!」
「壮介、男女の逢い引きに割って入るとは感心しないな? いますぐ出ていきなさい」
父親はいつものように軽口を叩いたがその腕からは鋭い傷が覗き血が畳を濡らしていた。喉元には刀の切っ先を突きつけられている。
「単刀直入に聞こうか。グラトニー=ゴブレットはどこだ?」
2mはあろうかと言う刀を持つボディーラインにぴったりの黒い服を着た女性が壮介を振り返る。
刀の先には当たり前のように血がついている。黒い服に飛んだ返り血を気にする様子もまったく見せない。
(なんなんだよ、こいつ……)
『この女は人を斬り慣れている』
素人目にもなんとなくそう思えるだけの迫力が女にはあった。
「ここ、ですよ」
小さく息を切らしながらゴブレットが追い付いてきてしまった。女が薄く笑う。笑顔が冷たい。壮介はゾクリと背筋に戦慄が走るのを感じた。
指先が震えている。否、奥歯がカチカチと音を立てている。冷徹なまでの殺意は壮介を凍てつかせるに充分だった。
「おいゴブレット。あいつは何なんだ……?」
「『魔術師の最終』が第13位、『暗くて深い黒』アサギ=イクツキ。はっきり言ってボスキャラです。正直、
わたしじゃ勝てないかも……」
「お前さっき自分がめちゃくちゃ強いみたいなこと言ってたじゃねぇかよ」
「いえ わたしもあんな戦闘特化が出てくるとは…… けどまあ大丈夫ですよ」
ゴブレットはまた少し寂しそうに笑った。
「あなたとお父さんくらいは守って見せますから」
お前っ…… 壮介はゴブレットを引き止める言葉を言おうとした。喉がヒクついて声にならなかった。
「──ご迷惑おかけしました。楽しかったです。ありがとうございます」
「っ……」
ゴブレットは壮介を追い抜いて一歩前に進み出た。
「確認する。『底無しの聖杯』で間違いないな?」
「はい」
「出動命令に応じずに逃亡した罪をいまならまだ見逃してやると上層部は言っているがいまからでも徴兵に応じるか?」
「否です。わたしはこの力を他国に向けるなんてことは絶対にしません」
「貴様の存在は此度の『戦争』の結果を大きく左右するモノだ。そのような私見は通らないな」
「な、なんだってんだよ……?」
他国? 戦争? 存在? なにを言っているのかわからない。壮介には魔術についての知識はまったくないがゴブレットのレンズの魔術は襲ってきたあの男の炎と雷よりもはるかに攻撃能力は低いように見えた。それにゴブレット自身が言っていたように彼女は『原発制御型』であって『戦闘特化型』ではない。
戦争にゴブレットが必要になるとは壮介にはどうしても思えない。
「一般人に言っても無駄だろうがな、」
幾月 アサギは少し刀を下げた。その瞬間に父親がなにか動きを起こそうとするが彼女に隙はなく、凍りつくような殺気に動作を止めざるを得ない。そもそも素手の彼と刀を握る幾月ではリーチが違い過ぎる。
「もうすぐ世界規模の魔術大戦が起ころうとしているのだよ。一般人の知らぬ裏の世界でな」
魔術大戦──、壮介は昔プレイしたことのあるRPGを思い浮かべた。滅んだ、んだったよな? あのゲームだと世界が一度。
「その女の特異な能力は息を吸い込むことでありとあらゆるエネルギーをその場から吸収して自身の体内に溜め込むことだ。だから【底無しの聖杯】と呼ばれているのだよ。
そして原子炉の余剰エネルギーを吸収して炉の出力をコントロールする役割をしていたこいつの中には莫大なエネルギーが蓄積されている。
それを他国に向けて放つことができればどうなると思う?」
幾月は一度言葉を切った。震える壮介とゴブレットを一瞥して、続ける。
「世界最強の兵器の完成だ。勝利は先ず間違いなくなる。わかったらさっさとその女を突き出せ。それだけで貴様の命は助かるぞ、少年」
ゴブレットは振り返らなかった。それと同じように壮介はゴブレットをつきだそうだなんて少しも思っていなかった。
だって、ゴブレットは何も悪くないのだから。
少なくとも追われるようなことは、逃げ出さないといけないようなことなんて何もしていない。
「……あなたと戦います。わたしが負けたら従いますから、二人には手を出さないでください」
「『決闘』か。いいだろう。こちらとしては貴様さえ手に入ればあとはどうでもいいからな」
幾月は部屋の隅まで歩き、嵌め込み型で開かない窓に向けて刀を一閃した。
キィン と鋭い太刀音がして金属部分までが豆腐のように切断される。刀の通過した周囲の壁に線が残る。あり得ない切れ味だ。
「ここは手狭だ、屋外に行こう」
そのまま人間には到底不可能な跳躍力で飛び出して行った。
「……大丈夫、なにも心配しないでください。今日のことは1日限りの夢だったんです。
あなたたちの人生にグラトニー=ゴブレットという人物は現れなかった。ただそれだけの話です」
壮介はゴブレットを見送ることしかできなかった。言葉が出なかった。ゴブレットもまた震えていることはわかっていたのに──
嵐が去ったあとは至って静かな物で軍隊マニアの父親は応急措置ぐらいは自分で出来ると豪語し実際テキパキと処置を終えてしまった。
ただ喪失感が、あった。
出会ったばかりだと言うのに。
望んでいなかった非日常が去って行ったというのに。
「なんでだよ……」
夢という言葉をゴブレットは使った。きっと夢だったのだ。ゴブレットに取っては。
普通の会話。
普通の仕草。
普通の親。
普通の壮介。
そんなモノが。それはバカげた妄想かもしれない。
壮介の頭の中で去り際の寂しそうな笑みが谺して消えなかった。
バチン、と強く背を叩かれて壮介は父親を見た。
「行ってこい」
それを受け取って壮介は少し目を落とし、やがて大きく頷いた。
「このあたりでいいな」
幾月 アサギはとある公園に降り立った。そこはだだっ広い平らな土地が広がっていて普段は子供らがサッカーなんかに興じている場所だった。
ゴブレットが数十秒遅れて静かに降り立つ。その時間の差はゴブレットと幾月の魔術的な技量の差を明瞭に示していた。
「では、始めようか」
幾月は居合い抜きの構えを取った。鞘に納めた刀の柄に利き手を添えて逆の手で鞘を固定し、強く踏み込めるように姿勢を少し低く作る。『物体の存在を操る魔術』を得意とする彼女にとって間合いはほとんど意味をなさない。刃の存在を魔術で延長すればそれでこと足りるからだ。その上で速度と威力の両方を極めた居合いという技はまさに必殺と呼ぶに相応しい威力を誇っている。
抜けば勝つ。『魔術師の最終』が第13位、『暗くて深い漆黒』はそれだけの技量を持つ魔術師の一人だった。
だから、彼女は異様な手応えのなさが信じられなかった。
(空振りだと……?!)
彼女の限界値である約3倍まで存在を延長したはずの刃は形をなさずにただ2m近い抜き身の刃だけが空を滑る。ゴブレットは間合いの遥か外だ。
『底無しの聖杯』が刃の延長のためのエネルギーを吸収してしまったのだ。
(放出系だけでなく強化、付加系魔術でさえ吸収の対象内だと言うのか)
舌打ちしてBurn、の声と共に打ち出された光線を横っ飛びに回避する。
連続して打ち出される光線を弾くために刀を振るう。彼女はほとんど慣れで存在の延長を使った。
無力化される。当然そう思ったが光線が弾かれ、同時にゴブレットの肩口が浅く切り裂かれた。
(……そうか あいつの魔術の発動には発声が必要、つまりそのあいだは息を吸い込むことで発動する無効化の能力を使うことはできない)
そこから幾月は速かった。刀を鞘に納めると利き手を柄に触れさせたままゴブレットに突進する。光線の魔術で迎撃すればゴブレットはその刹那に切り裂かれてしまうだろう。
ゴブレットは大きく円を描いて光線の魔術を準備段階まで起動した。
幾月には一瞬でわかった。ゴブレットは食らうつもりなのだ。リーチを延ばす『延長』と切れ味を増強する『強化』、幾月の操る2つの魔術を無効化し居合いの一撃を食らい、耐える。その上で光線の魔術で攻撃する。
ナメられたものだな…… と幾月は思う。
もちろん絶命しない程度に力を止めるつもりこそあるが、幾月の使っている2m近い大刀はふつうの日本刀だ。当然斬れるし斬られれば痛い。激痛のなかで光線の魔術を放つことなど不可能だ。
幾月は刃を延長する必要のない本来の刀の間合いまで踏み込んだ。
そして──、
「グラトニーっ!」
幾月の放った刀の一閃は割って入ってきた少年に突き刺さった。ゴブレットの無効化能力によって『存在の強化』こそ無力化されているが日本刀本来の切れ味が暴威を振るうのは想像に難くない。
「しまっ……」
強大な光が幾月の網膜を刺した。かわそうとする。が間に合わない。巨大なレンズを透して集約された太陽光の光線が突き刺さる。幾月は寸前で自身の皮膚の存在を強化し火傷を防いだ。その反応の早さは『魔術師の最終』である彼女だからこそだっただろう。
(まだ……たたか…え……)
あるいは生半可に防いでしまったのが彼女の続闘を不可能にしてしまったのかもしれなかった。存在の強化された皮膚は押し寄せる熱を外に逃がせなかった。
ぐわんぐわん と熱中症患者のように視界が回り幾月 アサギはそのまま地面に倒れ伏した。
カチン と彼女の手から離れた刀が小さな金属音を立てた。
「バカッ どうして!」
ゴブレットは壮介の肩を揺さぶった。重傷患者を迂闊に動かしては行けないだとかそんなことは完全にいまの彼女の眼中にはない。
「いっ……、」
壮介は小さく呻き声を挙げた。ゴブレットは我に返る。得意でない治癒の魔法でも気休め程度にはなるかと服を捲り上げた。
「へ……?」
「いっってぇぇぇっ……」
そこに、刀傷はなかった。赤くなっていた。腫れが目立つ。壮介の傷は見た目にはそれくらいだった。よく見たら服も切れていない。
「あ これ、親父の趣味の防刃服で…… ぎゃぁっ?!」
ゴブレットは力一杯壮介を抱き締めた。ちなみに『斬れていない』というだけで肋骨は折れてたりするので当然、超痛い。
ゴブレットは悲鳴に近い壮介の声を聴いても力を緩めなかった。そのうち悲鳴は「いじじ……」という意味不明な奇声へと変わる。
「わたしのことをグラトニーって呼んだよね?」
涙ぐんだ声を強がりで隠して、ゴブレットは言う。
「この世の地獄を見せてあげるんだから!」
もう見てます、と壮介は薄れていく意識の中で思った。