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志保Ⅲ

 文乃邸での小さな祝賀会の翌日、僕は診療所のカフェでぼんやりとコーヒーを飲んでいた。コーヒーの香りは思考をクリアにしてくれるはずだった。ちなみに今日のコーヒーはイルガチャフェだ。

 これから僕はどうすればいいのだろうか。コーヒーに映る診療所の照明を眺めていると、向かいの席に誰かがどっかと腰を下ろす気配がした。繊細さを隠すようなこの豪快な感じは彼女しかいない。

「まったく、あなたがここに来る時はどうしていつも浮かない顔をしてるのかしら」

「……」

 僕は志保の顔をじっと見つめた。きっと海面から顔を出したアザラシか何かみたいな顔をしていたと思う。

「文乃さんと良い感じなんですって?」

 どこから聞きつけてくるんだろうか。プライバシーの侵害だ。まぁでも狭い村だし、それこそ、このカフェで情報交換がされるのだろう。今更だ。説明する手間も省ける。

「僕には彼女のような女性は手に余る」

 同意するかと思ったが、志保はその代わりに小さく嘆息した。

「はぁ……嫌味の一つも言おうと思ってたけど、そんな深刻な顔をされたら何も言えなくなるじゃない」

 こういう時、志保の面倒見の良さが顔を出す。恐らくは生来のものだ。

「あなたはどうしたいの?」

 もっともな問い。僕は何度となく自分に対して投げかけ、推敲した答えを口の上で転がしてから、出した。

「彼女が僕を求めてくれるのなら、それに応えたいと思ってる。それは嘘じゃない。ただ……」

「ただ?」

「その重みを僕が正しく理解出来ているのか自信がないんだ。影響範囲というか……」

()()()()……元PMらしい言い回しね」

「……」

 僕は言い返そうとして止めた。過去のキャリアに伴う嫌な思い出は彼女にとっては感知し得ないことだ。なんとなく皮肉っぽいニュアンスは感じるにせよ、反発するようなことじゃない。

「ごめん、何か気に障った?」

 志保がそんな僕を察して顔色を伺ってきた。

「いや、いいんだ。せっかく時間を割いてくれてるのに、ごめん」

 彼女は犬小屋から猫でも出てきたみたいな顔をした。

「ねぇ、あなた本当に大丈夫?」

「大丈夫……大丈夫……」

 彼女はいつものプロフェッショナルな表情をひとつまみ加え、話を続けた。声のトーンが変わる。

「私もこの村に来てまだ浅いけど、それでも文乃さん達の世代が背負って来た村の歴史の重さは感じる」

「……」

 僕にも知っていることはあるが、もはやどこまでを話していいのか分からず、黙って耳を傾けた。

「私が知ってる断片的な情報を共有するより、彼女の口からあなたが直接聞いて、受け止められるかどうかが鍵だと思う。そもそもプライバシーに関わることだしね」

「うん」

「そして彼女が話すかどうか……それは……あなたと文乃さんの問題ね。私が口を挟むことじゃない。でも多分、結構キツイわよ」

 燈子さんは僕に言った。文乃さんを助けてあげて欲しいと。それが意味することは、未だに分からない。でも、和夫さんの蔵で見つけた記録や彼の話を鑑みれば、そこに在る真実に足がすくむ。

 もはや女性の純潔に拘るほど、幼くも、マッチョでもない。それでも堪えるものはある。でも一番重要なのは文乃さんの気持ちだ。もし文乃さんが僕と歩む道を選んでくれたとして、彼女がその過去、あるいは現在進行形の事実に後ろめたさを感じるようなことがあるなら、僕にはそれを受け止める準備がある。

「覚悟はしてる」

「そう……あと、若菜ちゃんのことは任せて」

 僕はハッとして、いつの間にか俯きかけていた顔を上げた。

「それは……助かるよ。正に、そのことをお願いしようと思ってたから」

 琴音や千種のことは信頼しているが、できれば志保にも、頼れる年長者として若菜の傍に居てもらいたかった。文乃さんを頼れない以上は。

「何よ、やっぱり私が顔を出しそうな時間を狙って陣取ってたんじゃない。ちゃっかりしてるわ」

「仕事上でついた悪癖だよ。とにかくキーマンを捕まえないと始まらない……ごめん」

 悪いとは思っている。ただ、慣れてしまうのだ。

「まぁでも、あなたみたいに内省的に過ぎる人は、多少ズル賢さを身につけるくらいでちょうど良いのかもね」

「僕は自分のそういうところが嫌いだ」

 かつては嫌いだと思うことすら許されなかった。でもこの村の環境が僕を癒し、人間性を取り戻させてくれた。

「そんなお上品にばかりいかないでしょ。でも……あなたのそういうバランス感覚、私は尊敬するわ」

 この村の人間は、僕の知る限りみな優しい。でも、その中でも志保はある種、特別だ。いつも僕と対等に話してくれる。年齢が近いのはもちろん理由の一つだ。でもそれだけじゃない。

「志保さん」

「え……なに……?」

 少し、たじろいだような表情だ。僕はそんなに物騒な顔をしていただろうか。

「君はいつだって理想的な友人だった。ありがとう」

 彼女が眉を上げる。「しょうがない人ね」そんな表情だった。

「……でもプライベートジェットは買わないよ?」

「……なんの話?」

 

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