朧Ⅳ
闇の向こうから声が聞こえる。それは自分に向けたものだと、僕にはすぐ分かった。いつもの場所だ。埃っぽい、古い木の匂いのする、古い蔵の中のようなその空間に僕らはいた。
「お前、自分を偽ったな?」
椅子に座った、顔の見えない男。
「なにを言ってるのか分からない。全て丸く治った、これで何も問題ないはずだ。僕は幸福だ。あとは、僕の努力次第。もうお前の出る幕はない」
そいつは、しゃっくりでもするように引きつった声で嗤った。
「お前が本当に好いてるのは若菜じゃないだろう?」
意味のない揺さぶり。
「僕は彼女を愛してる。それは僕にしか分からないことだ。僕が決めたことだ」
すっと、奴を纏う空気が変わる。急激に周囲の温度が下がったように錯覚する。
「その言い草が全てを物語ってるんだよ。小賢しい。そういうのはな、決めることじゃあないんだよ……お前、代償行為をしたな?」
何を言ってるのか分からない。
「何の話をしている?」
「お前が愛したのは、若菜の中の面影に過ぎない」
見透かしたように奴は言う。でもそんな事実はない。惑わされるな。
「やめろ」
「お前はこれから、自分も、愛していると思っている者も、全てを騙して生きていく気か?」
……。
「かまわない、それでも。人には分相応というものがある。もちろん、若菜に僕が見合うとは思ってない。でもそれは、努力でどうにかしてみせる」
苛立ちが伝わって来た。
「俺はそんなことは認めない、人間は欲望に忠実であるべきだ。お前はなんだかんだと言い訳をして逃げているだけだ」
僕は逃げてなどいない。
「理をもって律するのが人間だ」
「お前の背中を押してやろう、それで事は成就する」
消えてくれ。
「余計なことはするな。……聞いてるのか?」
それ以上は何度呼びかけても声は返ってこなかった。




