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結人Ⅷ

 夏の訪れをいいことに、僕はまた恒例の水風呂に入っていた。あまり体には良くないのかもしれない。でも頭の中がスッキリとする。そして若菜との会話を思い返していた。

『ボクにとっての、初めての気持ちの正体が知りたい』

 若菜があんな感情を僕に対して抱いていたことに素直に驚いた。彼女の特性や、過去のループで何もなかったことから、油断していたというのも大きい。

 僕が考えなければならないことは大きくふたつあった。まずひとつは、僕が彼女に対して今後どう接していくべきかだ。それを考える上で、避けては通れないことがある。僕の彼女に対する気持ちを見定めることだ。正直、いずれ化けの皮が剝がれるか彼女が飽きるかして、今のこの緊張感は自然消滅するような気がしている。あれだけ魅力的な彼女のことだ、僕への気持ちをきっかけとして(しか)るべき素敵な人と出会えば、もっと色んな可能性が見えてくるのではないかと思う。僕は彼女に全く相応しくない。

 でも、気をつけなければならないことがある。「自分探しを手伝う」とは、(てい)の良い現状維持とも言える。彼女の気持ちを知った上での。それは――

(感情の搾取になりかねない)

 自分に都合のいい距離感で、ぬるま湯につかり、適度においしい思いをする。それは、悪徳なんだ。だからせめて、一応は僕自身の気持ちを確認しないといけない。僕は彼女が好きなのか?三十代にもなると環境にも依るだろうが、どうしても純粋な好意だけで判断ができなくなる。その関係の適切さ、妥当性、合理性……ついついそういうことが優先され、好意などという不確かなものについては、ひとつの要素に零落する。若菜は魅力的だ。何度でも言うが、僕に持っていないものを持っている。それでいて、共感できることもたくさんある。好きか嫌いかで言えば好きだし、その気になればもっと好きになれるだろう。パートナーとしては申し分ない。だがそうなるとやはり話は戻り、適切さ云々の問題になる。年齢差がまずある。それに――

「……」

 文乃さんの顔が頭を過る。彼女には公私に渡って随分とお世話になっている。その愛娘ともし交際するとなったとして、それは不義理にはならないだろうか。彼女なら、あるいは僕らの気持ちを優先して受け入れてくれるかもしれない。しかし、それでいいのか?

 僕が顎まで深く浴槽に身を沈めると、浴槽の水は縁の際で僅かに逡巡した後、思い切りよく()()()()()溢れ流れ出ていった。瞼を閉じ、さらに耳まで水に浸けると、闇の奥に大きな魚が泳いでいた。それはなんだろう。鮫だろうか。


 そしてもうひとつ、考えなければならないこと。それはヌァルーが言っていた、僕自身がポジティブに、幸福になるということだ。これが成就され厄神を討伐できなければ、そもそもの未来はない。そういう意味ではそれもまた、僕と若菜の関係性に大きく絡む現実的な問題だった。僕が心を決めて彼女を受け入れ幸福を希求していくというのが、一番みんなが幸せになれるカタチなのかもしれない。でもそれはなんだか彼女のもっと輝かしくあるべきだった未来を(ないがし)ろにしている気がする。辻褄が合わない。

「……」

 あるいは、そもそも僕はこの村に来ない方がよかったのではないか?ヌァルーの話によれば、本当はそうなるはずだったのだ。そうすれば、彼女らは独力で成長し、友情を育み、厄神に打ち勝つところまで到達できたらしい。今からでもヌァルーに頼んでやり直して、僕はバス停からそのまま村を去るべきではないのか?ただその場合、彼女らはより過酷な運命に翻弄されることになるとも言っていた。何か一つでも運命の歯車のかみ合わせがズレれば、より酷い結果になる可能性だってある。それが分かっている以上、知らんふりをして村を去ることは、僕にはもう出来ないかもしれない。

「……」

 僕が引っかかっているのはなんだ?それは自分の幸福のために彼女らを巻き込むことだ。ならいっそ独りで勝手に幸せになれないだろうか。

 文乃さんに紹介してもらった仕事はしっくりくる。ズルのような気がするが、周回ごとに書くものの質も上がっているような気もする。

 僕はこのまま文筆業で自分一人くらいの生計を立てられるようになって、細々と、しかし小さな幸福と共に生きていけばいいのではないか?

「……」

 そこまで考えて、僕は気づいてしまった。僕は、あろうことか、人の温もりを求めているということに。その感情は、渇きは、恐らく消すことができない。

 頭に一人の女性の顔が過る。僕はそれをすぐさま振り払った。

(ダメだ……)

 考えが纏まらない。だがズル賢い考え方をするのならば、厄神を討伐するまでの間、そこそこ前向きに今の関係を享受し、全てが落ち着いてから結論を出すという手もあるのかもしれない。プロダクトのリリース時期を延ばしてマイルストーンを細かく切り直し、クオリティの向上を図るのだ。

(嫌な大人だ……)

 そんな打算的で汚い考えでいいのだろうか。僕自身がそれに後ろめたさを感じている時点でダメな気もするが、ここは大人として自分自身をも騙してもいかなければならないのかもしれない。

(こう考えると、大人なんて言うのは、実際的でハードな人生をサバイブするための自己正当化の概念でしかないのかもな)

 たぶん、そういう後ろめたさが、僕に敢えて自分が嫌いな表現を持ち出させるのだ。プロダクトだの、マイルストーンだの。本当は思い出したくもない。でも、それもまた人の営為のひとつには違いなくて――

 そうだな、少し言い方を変えよう。僕はいま、慎重に推敲を重ねている段階なんだ。完成間近の作品を前に、決定稿を出せずにいるように。それは、作品を大切に想えばこそ。

 

 僕はそうしているうち、段々と考えることにも疲れてきた。

 若菜の笑顔が浮かぶ。彼女が照れくさそうに毒々しい色のアイスバーを僕に差し出す。夕日の中で切ない表情で僕を見上げる。文乃さんの知的な面影をその身に宿した、早熟で大人びた、でもどこか不安定な、やさしい少女。そんな彼女に僕は癒され、そして守ってあげたいと思った。今は友人として、その気持ちを信じてさえいればいいのかもしれない。

 

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