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若菜Ⅶ

 翌日、アパートの案内を受けたあと、和夫さんから連絡があった。若菜が話したいということだった。さすがにアクションが早い。

 役場の前で待ち合わせ、予定より二十分ほど早く行ったが、やはり若菜はもう既にそこにいた。

「すごいな……三十分前行動の自分ルールとかあるの?」

「んー、いや別に?なんとなく、この人はこのくらいの時間に来そうだから、その少し前に着いとこうって感じ」

 やっぱりエスパーなんじゃないだろうか。

「とりあえず、連絡先交換しようよ」

 そう言われ、僕はSNSで連絡先を交換した。

 若菜はいつものピンクのカエルのキャラクタースタンプを送って来たので、僕は寿司のキャラクターのスタンプを返しておいた。

 若菜はひょっとこの面みたいな表情でそれを見ていたが、特にコメントはなかった。

「ありがとう、連絡をくれて。僕も一度色々整理したかったから、助かる」

「どうする?場所変える?あ、でも喉渇いちゃったなー」

 僕はひとしきり笑った後、ドリンクスタンドで桃のスムージーのXLサイズを買い、自分にも例の如くカフェラテを買った。

「ヤッホーい」

 若菜はリアクションが良いから何か奢るのは気持ちがいい。そういう処世術を身に着けていない僕からすると、羨ましい。たぶん、見習えない種類のものだ。

 僕が同じリアクションをしたところで、白い目で見られるだけだ。〝キャラ〟ってものがある。〝キャラ〟を気にせず行動するのもまた〝キャラ〟だが、そういうのは僕の〝キャラ〟じゃない。頭がおかしくなる前に僕は考えるのをやめた。

 僕らはそのまま社の方を迂回して、若菜の家へ向かいながら話すことにした。

「僕らはタイムリープしてる」

「うん……びっくりだよね」

 なんだか二人して、非現実的な出来事を前に語彙が失われていた。僕ひとりの時は夢かも知れないという意識がどこかにあったが、()()()がいるとなんだか混乱した。

「若菜ちゃんは、どこまで覚えてる?前回の世界のこと」

「うーん、微妙なところだね。でもとにかく、悠斗が鍵なんでしょ?そんな感じがした」

「そう。彼が邪な神の憑代になってしまうことで、厄神が復活する。でも分からないんだ。なぜ、彼が選ばれたのか」

 そうだ、そのことをずっと若菜に訊いてみたかったのだ。

「うーん……正直ぜーんぜん……まぁ明るい方ではなかったけど、そんな特別に何かあったかって言われると……」

「実は僕は邪神が復活しなかった世界も知ってる」

 いくらか驚いたような表情で若菜の瞳が僕を捉える。

「その世界では、若菜ちゃんは夏休みの後に予定通り分校へ移って、村に残らなかった。何かそのことが影響してる気がするんだ。ただの可能性だけど。彼は若菜ちゃんのことを、特に気にかけてるみたいだったから」

 若菜は一度立ち止まった。

「確かに、最後に話した時、ちょっと様子は変だったかも……?」

「何を、話したの?」

「憶えてないんだよねぇ……なんか話してたら急に悠斗がぼんやりしだして、そのまま帰っちゃったような……」

 ままならない。彼にとって重大なことであっても、若菜にとっては日常の一部なのだ。

「ただ、ヌァルーからは復活自体を阻止しろとは言われてないんだ。それが何故かは分からない。すごく、難しいことなのかもしれない。言われてるのは、若菜ちゃんや、千種さん、琴音さんの成長を見守る事」

「……保護者?」

 先生、兄、そして今度は保護者か。

「そんな大それたものじゃないけどね……干渉のし過ぎも良くない結果を生んだことがある……いや、それは本当の保護者も一緒か」

 無性に、タバコが欲しくなった。

「ともかく、その上で最後の仕上げとして、僕自身がなんていうか、癒されたり、ポジティブになる必要があるんだって」

 僕は思わず小さく嘆息した。

「結人さん、ネガティブオーラ出てるもんね」

 何が楽しいのかニヤニヤしながら、若菜は僕の顔を覗き込みそう言った。

「まぁ、自覚はしてる」

「でもそんなこと言われたって、ねぇ?元気ないときはあるんだし」

 こういう時、若菜は面白がりはしても、突き放したりしない。僕が知ってる社交性の高い人間の多くは、こういう時だいたい弱ってる人間を突き放す。ニコニコ笑いながら、シンクの汚れを見るような目で見る。シンクなら洗えばいい、でも洗えないものなら、距離をとるしかない。それはそうだ。巻き込まれたくないんだろう。(けが)れを持ち込みたくないのだ。

「若菜ちゃん、大丈夫?普段、ストーカー被害とかにあってない?いや、冗談じゃなく」

「んー?別に?なんで?」

 若菜が怪訝な表情でこちらを見る。

「いや、ないならいいんだ。若菜ちゃんが優しいから、甘えたくなっちゃう人も沢山いるだろうなと思っただけだ」

「……それは、ボクがボクだからだよ。良くも、悪くもね。まぁたまに『ごめんねーっ』って時はあるけど、村の中だとボクらは特別だし。そういうのもあるよ、きっと」

 彼女は自分の社会的な立ち位置をよくよく理解している。相変わらず、大人びていた。二周目?だから余計かもしれない。そうこうしているうちに小鳥遊邸に着いた。

「正直、今は僕もまだどういうアクションを取っていけばいいのか分かってない。課題の整理が必要だ。そしてそれは、僕の問題なんだ。だからひとまず今年の祭祀までは過去のパターンをなぞりつつ、若菜ちゃんは若菜ちゃんなりに動いてくれればいい。判断に迷ったり、不安になる事があれば、相談して」

「わかりましたー」

 釈然としない様子だったが、その日はそこで別れた。

 

 それからしばらく経ったある日、僕がアパートの前で素振りをしていると若菜が近寄ってきた。珍しい。

「ヨッスー」

「よっすー」

 僕が彼女を真似て返すと、またなんとも言えない顔で僕を見る。なんだろう、猫耳を付けた中年男性を見るような感じだ。つまり似つかわしくない。付けるのは自由だと思うが、一般的な美的感覚からすればギャップがあるのだ。僕がヒュー・ジャックマンだったら話は違ったかもしれない。何をしてもチャーミングになる人というのはいる。

「どうしたの、珍しいね」

 そのはずだ。記憶の限りでも過去に僕のアパートまで若菜が来たことはない。

「ま、ちょっとね。これからのこと相談したくてさ……ここ、座っていい?」

 僕が琴音との対話用に買った椅子を指して若菜が言うので、僕はどうぞとジェスチャーをした。僕も錆びた階段のステップに腰を下ろした。

「なんか、この椅子だけ妙に新しくない?」

「琴音さんとの対談用に買ったんだけど、結局目的を果たしたことはなかった気がする」

 若菜が憐れみの表情を向ける。

「ドン、マイ」

 そして場の空気を変えるように若菜がぱんっと手を打った。

「でね、これからどうするかなんだけど、いつもってボクどうしてた?や、覚えてる部分もあるんだけどさ、一応」

 僕はちょっと迷った。こうした恣意的な()()()()が何か結果に悪い影響を及ぼしやしないかと。しかし今や僕と若菜は同じコンテクストを共有している。彼女も僕と同様に周回分の成長を持ち越している。いや、彼女は直前の一周分だけなのか?分からない。ただいずれにせよ、彼女自身への影響はさほど気にしなくてもいいのかもしれない。話す分には悪い結果にはならない気もした。こうやって相談してくるということは、自分の行動に不安があるのだろう。確かに若菜があの二人の仲裁をすることについて人知れず気負っていたことは、過去のループのやりとりで分かっていた。

「若菜ちゃんは多分、千種さんと琴音さんの間を取り持つために遊びに行く計画を立てようとしてたんじゃない?」

「おお……そうだね」

 今更ながら、僕が彼女の思考経路を把握していることに驚いているようだった。それはそうだろうな、と僕は思った。実感なんてなかなか伴わないのだ。

「それをそのまま実行してくれればいいと思う。もちろん、これは指示じゃない」

「なるほどね」

 僕はふと気になった。若菜はヌァルーから何らかの指令を受けているのでだろうか?それを問うのが正しい行いなのかは分からなかったが、いっそ訊いてみることにした。

「若菜ちゃんは、今回のタイムリープの前にヌァルーから何か言われた?」

「ナルちゃんから?」

 若菜は唇を奥に仕舞うような表情をすると、なにかを考えているようだった。僕と同様に逡巡しているのかもしれない。

「うーん、結人さんの背中を押してあげて欲しいって。具体的なことは何も言われなかったけどさ。独りで闘ってる結人さんと同じ世界を見て、励ましてあげて欲しいって」

「ごめん、どうでもいいことなんだけど、ナルちゃんってヌァルーのこと?」

「そだよ」

 恐れ知らずだ。

「まぁいいや……でも励ましなら、若菜ちゃんからはもう既にずいぶんと貰ってるのにね」

 若菜が意外そうに僕を見た。

「そう……なの?」

「そうだよ」

「例えば?」

 具体的にと言われると、なかなか難しいところがある。

「……アイス買ってくれたり?」

 なんだか小さい子どもみたいな答えだ。でも、覚えている。それは大事な記憶らしかった。

「なにそれ。ちなみに『ソーダ無双 ぐりーんすむーずぃー味』ね」

 二本に分かれるにも関わらず無双というのは洒落が利いている。あるいは二刀流のイメージなのだろうか。

「あれって、元々そういう発音だったの?すむーずぃー」

「そだよ。そう言ったじゃん」

「あの時はそもそも口に咥えたまま喋ってたから、そのせいかと思ってたよ」

 いや、そんなことは今はどうでもいい。ただ、若菜も覚えていたのは意外だった。

「とにかく、若菜ちゃんには何度も励まされてる。というか、存在自体が僕には眩しいんだよ」

 若菜が椅子ごと体を寄せてくる。

「くわしく」

 彼女の瞳に好奇の光が宿る。こうなるともう止められない。

「僕は基本的に感情を抑えがちだからさ、若菜ちゃんみたいな率直な物言いや感情の表現を見ていると元気づけられるんだよ。もちろん、若菜ちゃんが考えなしだとか無分別だとか、そういうことを言ってるんじゃない。むしろ思慮深さを兼ねているから凄いんだ。君は僕が持っていないものを持っている。無いものねだりをするような歳じゃないけど、憧れはするし、学ばせてもらっている」

 そういえば昔そんな若菜みたいな先輩がいた。いつも彼氏の愚痴を聞かされていたが、その時間が僕は好きだった。

「すごい褒めるじゃん……」

 珍しく、若菜が照れていた。

「でもボク、結人さんに会って変わったと思う」

「どんな風に?」

「前はもっと、他人を突き放してたと思う。でも結人さんが空回りして、それでも悩んでるの見て、なんか、ジブン格好悪いなって……」

 ホームパーティーの夜に若菜はそんなことを言っていた。若菜ほどの輝きがあれば、あるいは同世代からは嫉妬の感情を向けられることもあるのかもしれない。そして防衛機制として一方的に距離を置かれ、互いに傷つけ合ってしまう。現に千種は若菜に対して強いコンプレックスを感じているし、嫉妬の感情がないとは言い切れない。

「僕は歳が離れてるからそう出来るってだけだよ。まぁでも、何かの刺激になれたなら、良かったかな。貰ってばかりだと、悪いからね」

 若菜の瞳が揺れる。夕日と流れる雲が映っている。彼女の柔らかそうな頬を一筋の汗が伝った。

「結人さんはさ、何回、やり直してるの?この世界を」

 僕は口に指をあてて考えてみた。そして、指を折って確認する。

「記憶している限りだと、今で四周目かな」

 彼女の目が見開かれる。

 そんなに驚かなくていいのに、と思いながらも、僕も自分で口にしてみて、(いささ)か驚いた。

 もうそんなになるんだな、と。

 最初の頃、今思えば僕は随分と楽観的だった。

 この村で、出会った人々に癒される日々に、僕は幸福を感じていた。

 もちろん、焦燥もあった。この日々がどこに行きつくのだろうか、と。

 孤独感もあった。水を垂らされ渇きを自覚することで、それは狂おしく僕を苛んだ。

 それでも――その日々は、人間的だった。

 でもそれはある日突然に崩れ去った。いや、蹂躙された。紗季を失った時と、同じに。前触れなく。

 二周目、僕はただただ夢中だった。使命に燃えていた。でも、失敗した。

 三周目、僕は二周目の反省を糧に、着実に事を進めた。でも、まだ足りなかった。皆が成長しても、僕自身が足りなかった。

 そしていま、どうしていいか分からなくなっている。

「一周って、あの夏祭りまでだよね?ってことはだいたい一年……三年くらいこの村にいるってこと⁉結人さんいま三十五歳⁉」

 恐らく肉体的には歳をとってないと思うが、精神的なことでいうとそうなのだろうか。いや――

「どうだろう、記憶しているのは印象的なことだけだしね。むしろそれで助かってる気もする。全部覚えてたらとうに錯乱してたかもしれない。それにそもそも、人間はある瞬間に一気に歳を取るって『五反田君』も言ってたしね」

「どちら様?」

「『ダンス・ダンス・ダンス』に出てくる爽やかイケメン映画スター。村上春樹の小説の」

 若菜はやや呆れたような表情から、次第に意気消沈していった。

「大丈夫?」

 珍しく俯いてる若菜を見て、僕は心配になった。

「ずっと独りで繰り返してたの?」

「まぁ、そうだね」

「つらくないの?」

 あまり考えたことがなかった。常に必死だったからだろうか。そもそもさっき若菜に伝えた通り記憶が曖昧なせいで、常に新鮮な感覚でいられた。ただ確かに、重大な局面で事が成就しなかった時の無力感は、なかなかに堪えるものがある。特に今回は、僕自身の問題を突き付けられ、途方に暮れつつあるのも事実だ。それでもなんとかやれているのは、若菜のおかげかもしれなかった。

「そもそも自分のやってることが正しいかも分からないし、そんなことを考えてる余裕もなかったかも。ある種の神託を受けて動いているとはいえ、ヒトの身には大それたことな気もする。でも前回の世界は比較的あれでもマシな方だったんだ。もっと酷いことになった世界も知ってる。だから何とかしようとして必死だった。でもふと冷静になると、不安や、恐怖で動けなくなりそうで……つまり、今は若菜ちゃんがいてくれて助かってる」

 若菜が自分のショートパンツを握りしめているのが分かった。

「なんで……なんでそんな平気そうなの!?」

 若菜が立ち上がる。その瞳には怒りとも悲しみともつかない感情が灯っていた。

「大丈夫だよ、若菜ちゃんが思ってるほど大げさなことじゃない」

「おおげさだよ!なんでそんなに自分を罰するような顔するのさ」

 そんな顔をしていただろうか。

「理不尽なことなんて社会に出ればいくらでもある。それでも、いま僕がやってることには意義を感じる。ただ生きるために死んだように何かをしているより、ずっといい」

 それはそうなのだ。本当に。

「むしろ僕は感謝すらしてる。若菜ちゃんや、みんなに出会って、自分を見つめ直して、救われてると思ってる。夏休みの自由研究みたいなものだ。だからいいんだよ。君がそんな顔をする必要はない。若菜ちゃんは、自分で思ってるよりずっと優しいよ」

 僕は今笑えているだろうか。何点貰えるだろうか。でも僕がそうして言葉や表情を弄するほどに、若菜の表情は険しく悲痛なものになっていった。そして、爆発した。

「アッタカサ!」

(あったかさ……?)

 方言なのだろうが、罵倒された気がした。前回は確か違う表現だった。

 はっきりとした意味は分からなかった。でも、若菜の怒りが喉に詰まったような余韻を残した。

 そんな風に捨て台詞を吐いて、若菜は走り去った。ここで誰かと話すと、僕は高確率で怒られている気がする。そして逃げ去られる。

「……」

 僕は深く溜息をついた。彼女は僕のために怒ってくれた。それは有難いこのなのだろう。でも同時に、そんな自己犠牲大好き主人公みたいに扱わないで欲しかった。そういうのは好きじゃない。僕はなにも不死身の体を持ってるわけじゃないし、鋼のメンタルの持ち主でもない。確かに何度か死んではいるはずだし、死んでもやり直せるという点においては、ある意味で不死身のようなものかもしれない。そしてヌァルーの配慮によるものなのか、死の間際の記憶は静脈麻酔下で行われた大腸内視鏡の時の記憶と同じくらいぼんやりとしている。情けは人の為ならず。その意味で僕は純粋に自分の為にやるべきと思っていることをしているだけで、無自覚を装って暗に誰かの気を引きたいわけじゃない。……いや、それが自己犠牲なのか?分からなくなってくる。堂々巡りだ。

(そうか……)

 多分、僕は嫉妬してるのかもしれない。本当の意味で自己犠牲に殉じることのできる存在に。あるいはかつての僕と同じように、自分の潜在的なエゴに無自覚なまま、世界に自分は善人だと「偽り」、その通りに称賛される幸運な存在を。前者に関しては、本当にそんな存在がいるのかは分からない。後者も結局は僕より想像力で勝っている分、上手く立ち回れているだけかもしれない。でも、僕が自己犠牲を厭わない主人公像が嫌いなのは、きっとこう思ってるからだ。そんなのはお為ごかしだと。エゴに無自覚でいることなど許されない。僕が真に自己犠牲を行える善人なら、琴音に対して何も恥じることなんてない。でも後者なら、それこそまた琴音に怒られる。

(いや……怒ってくれる……)

 僕は琴音に感謝した。でも、僕を罵倒する若菜の優しさを思い出すと、なんだか悔しくなった。寄り添って言葉をかけて欲しかったことなら、むしろ過去の人生でもっとあったじゃないか。そういう時に放ったらかしておいて、なんで全て失った今になって優しくするんだ?それこそ理不尽じゃないか、と。そんな風に考えていると、僕は吐き気がしてきた。

 

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