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結人Ⅶ

 鴉が飛び立つような羽音と声が聴こえた気がした。

 ずんと頭に刺さる痛み。吐き気。

 憶えている。一回、二回……四度目の世界だ。

「……」

 いつものベンチで、思わず溜め息が出る。いい加減そろそろ、どうにかしたい。何しろ、一回が長い。

 汗が瞼に落ちてくるのを払いながら、僕は夏空を見つめた。

(『今度は君が誰かに抱きしめてもらう番だよ』)

「どうしろってんだ」

 そんなアテなどない。僕のロマンス次第だとすれば、そんなのはいよいよセカイ系じゃないか。

 だがヌァルーは最後に気になる事を言っていた。何か新たに力を行使するようなことを。

 手の平を見つめる。握り、また開く。深呼吸をする。

 何も変わったことはない。僕自身には、今のところ自覚的な変化は何もない。

(『誰かが、君の心を解きほぐす必要がある』)

 影響を及ぼしたのは、僕以外の誰か?

「いけない」

 ともかく、雑貨屋へ行こう。若菜に出会い、考えるのはそれからだ。

 もはや馴染みつつある下り坂、現れる雑貨屋、風鈴の音、古びた品々。

 だがやはり、戸をくぐる際の独特の緊張感は、なぜだかいつも変わらない。

「ごめんください」

 反応がないのは分かってる。一通り見回れば若菜が姿を現し、物語が動き出す。そのはずだった。

 僕が店を見て回るのを待たず、じゃらりと勢いよくビーズのカーテンをかき分ける音がした。

 若菜はこちらを振り向くと、目を見開いて僕の方を見ている。

 ふらふらと僕の方に歩み寄ると、僕の胸や肩や顔をぺたぺたと確かめるように触れた。

 あまり汗をかいた肌に触れられるのは、恥ずかしい。

「ちょっと、あの――」

「結人さん……」

 驚いた。

「若菜ちゃん……憶えて――」

「生きてる……」

 ああ、そうか。確かに、前回の世界で、僕は最後に――

「この、ポンツク!」

(ぽん……つく?)

 僕を睨むようにして彼女は怒鳴った。

 眼の端に涙が滲んでいるのが見える。

 息を忘れる。

 そんな僕の動揺を押しつぶすように、若菜は、僕を抱擁した。

「と、と、と、とーとと」

 力加減など知らない、強く、締め付けるような抱擁だった。

 彼女の汗ばんだ肌の感触と柔らかさ、匂いが僕を包み、知能指数が暴落する。

「トートト?」

「と……」

「……鶏?」

 突然のことに動揺し、つい取り乱してしまった。僕は若菜の肩を叩き、まずは距離を取ってもらった。

 若菜は下唇を噛み、依然悔しいそうに僕を睨みつけている。

「なんであんなことしたの⁉」

 彼女はあの記憶を特に夢だとか、そういう風に疑ってはいないようだった。ヌァルーとの繋がりがそうさせるのだろうか。でも僕も若菜の名前を呼んだから、答え合わせが済んでいるのは確かだ。

「それは……ごめん……」

「ゴメンじゃわかんないよ!」

「あのままだと、僕も彼のように囚われそうな気がして……」

「彼?……悠斗のこと?」

「そう」

 確かに若菜はまだ全体像を把握できていない。順に説明していく必要がある。というか、そもそも何故ヌァルーは若菜に?彼女が僕の心を解きほぐす?

(あらが)えよぉ!」

 強い言葉だ。でも、温かい。若菜が拳を握りしめて俯くと、涙が零れ、コンクリートの床に跡を作っていた。

「今度あんなことしたら、絶交だから」

 それは、勘弁願いたい。彼女は僕にない、あるいは忘れたものを今も持っている、大切な、年の離れた、友人だ。

「わかった」

 若菜はひとつ鼻をすすると、袖で涙を拭った。

「ほんとにわかってんの……?」

「……」

 若菜がこんなに激しい感情を出しているのを見たことがなかった。

 彼女の背後を見ると、何事かと降りてきていたのだろうトキさんが、こっちを見て目を丸くしていた。

「やば、もう行かなきゃ……」

 彼女は両手で自分の頬をぺしぺしと叩くと、いつものように乱暴にアイスを漁ると、ミルクバーを握りしめて戸外に出た。

「桃のスムージー、XLサイズ!」

 彼女が僕に叫ぶ。

「今度(おご)ってよね!」

 それで許してくれるということだろうか。

「わかった」

 最後は、笑っていた。

 僕はトキさんのいるところまで歩き、腰を下ろした。ひとつ、息をつく。

「ええ娘だっけね?」

「はい、本当に」

 風鈴が涼し気な音を立て、心が水を打たれたような心地になる。平和だ。穏やかな気持ちになる。なぜだろう。

()()()()、ラムネをひとつください」

 しまった。

「……まじない師の人かい?」

 色んな言い方がある。


 その夜、いつものように僕は白木邸の宴会に参加した。いつものように起一さん達と話し、いつものように千種と琴音がやってきた。……いや、若菜がいた。

 僕は頭を抱えた。この場に若菜がいるシナリオは初めてだ。あまり不確定要素を増やしたくない。

 そんなことを考えているうちに、三人が僕らの席の近くに通された。

 僕と千種、琴音が互いに自己紹介した後、若菜の番が回って来た。

「今朝はどうも。若菜ちゃん、だよね?」

 ポーカーフェイスの得意な若菜だったが、唇の端が引きつっているのが分かった。危ない、こっちまで釣られてしまう。

「うん、小鳥遊若菜。改めまして、よろしくね、結人さん」

「よろしく」

 その後はつつがなく宴が進んだが、厠に寄った帰り道の廊下で、にゅっと襖を開けて伸びてきた腕に掴まれ、部屋に引きずり込まれた。

「ヒヤヒヤするよ全く」

 若菜だ。

「まぁ、たぶんいつもならこういう宴会はバックレてるからね、ボク」

「僕に若菜ちゃんの行動を指図する権利はないけど、不確定要素が増えるとどうも不安で」

 彼女はニヤリといつもの笑顔を浮かべる。

「だから聞こうと思ったの。今日何かがあったのは、なんとなく分かってる。でも詳しくは知らないから、この後、どうしたら良いか訊こうと思ってさ」

 操作的なのは好まないが、やむを得ない。

「今日、みんなが帰った後、僕と、起一さんと、巧二さん、それに千種さんだけが最後に残る。そこで起一さんが不妊の悩みを打ち明けるんだ。それで、千種さんがお神乳の提供を申し出る。たぶんそれが、彼女が奉習を始めるきっかけだ。若菜ちゃんも残った場合、羞恥心から彼女はアクションを起こさないかもしれない。それが良いのか悪いのか、正直なんとも言えない」

「なるほどね……」

 若菜は考えているようだった。障子越しの月明かりが、彼女の頬に格子模様を描いていた。

「わかった。フツーにしてても僕は早めに帰っただろうしね。琴音が帰るのと同じタイミングとかで適当に帰るよ」

 僕は「わかった」と答えた。

「じゃあ、ボクは戻るから、結人さんも少し経ったら戻ってきてね。一緒に戻ると、アヤシイじゃん?」

「別に怪しくないと思うけど、まぁ会って初日だしね」

 僕が苦笑混じりにそう言うと、若菜は障子の隙間から顔を出し周囲を伺い、ぬるりと外へ出ていった。

 なんだろう、若菜はああいった冗談が好きだ。当事者意識のなさ、あるいは当事者になりたくないという思いが、逆に抵抗感を無くすのかもしれない。つまり、オヤジっぽくなる。


 その後の流れはこれまでの通りだった。ただ、千種を送る帰り道、麦畑を過ぎた暗い夜道で彼女が漏らした言葉は記憶になかった。

「結人さんもやっぱり、若菜ちゃんみたいな娘が好きですか?」

 虚を突かれた。

「若菜ちゃんみたいな元気な娘が好きな人は多いだろうね」

 僕はまず正直にそう答えた。

「でも、人間というのは多面的だ。表面上、彼女みたいなタイプに惹かれているように見えて、心の奥底で何を求めてるかは、人それぞれに違う」

 前を見て歩きながら話す僕の頬に、千種の視線が刺さるのを感じた。

「自分でも、何を求めているのか、意外と分かってなかったりする」

 そうだ。

「庇護対象を求める人、輝きをただ眺めたい人、師のように導いてくれる誰かを求める人、父のように守り包んで欲しい人、手を取り合い、渇きを癒してくれる誰かを求める人……色々」

「結人さんは、どうなんですか……?」

 歩調が緩む。

「僕は……いまは、よく分からない。誰かを求めるのが正しいのかも」

 それは正直な気持ちだった。いま、最も大きな、僕の問題。

「結人さんも、迷ってるんですね」

 そっと、彼女の指が僕の頬に触れた気がした。もちろん、気のせいだ。彼女の方を見ると、流し目に僕を見て、また前を向いた。

「同じですね。わたしたち」

「そうだね、同じだ」

『悩んでいる自分を、大事にしてあげて欲しい。そこには正しく理由があるはずなんだ』

 これまで、繰り返す世界の中で、何度も彼女に伝えてきた言葉。

 僕が悩む理由とはなんだ。向き合わなければならない。つまらないものと断じて、蓋をするのではなく。

(でも、それは本当につまらないことなんだ。つまらないこそ、つまらないことで前に進めない僕は、孤独に生きていくべきなんじゃないのか?)

 罪悪感がある。それでも焦がれてしまう自分を感じる。それでまた罪悪感が募る。

 千種、君も同じなのか?

 自分の中の欲望と闘い、孤独を深めている。

 隣を見ると、彼女のほつれ、汗に貼りついた髪が、街灯に照らされていた。

「……」

 いや、やはりダメだ。それはきっと、共依存なんだ。

 (さか)しらな心理学者の論理を鵜呑みにするわけじゃない。共依存が悪だと言いたいわけじゃない。

 でも、僕はいま、刹那的に孤独を埋めようとしているだけな気がする。

 誰かを、そんな僕の身勝手な代償行為に巻き込んでいいはずがないんだ。

 


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