すみれⅡ
若菜の提案による街遊びで千種と琴音は和解した。予定通りに。ついでに僕と琴音も。
その際、僕は琴音に提案した。
「仲直りのしるしと言ってはなんだけど、僕と三番勝負してくれないかな?」
「三番……勝負……?」
初めてヤン・シュヴァンクマイエルのクレイアニメ作品を見たみたいな顔で琴音が僕を見た。
もちろん、唐突なのは承知の上だ。だが琴音相手はこういう勢いが大事であることは経験的に分かっている。
その後、僕は前回と同様に意図を説明した。今回は過去のトラウマの開示は受けていないから、単純に以前話した時に男性を嫌悪していることを感じたこと、そしてその解決の一環として、僕に勝つことで自信をつけて欲しい旨を話した。
琴音は承諾してくれた。たぶん、負けず嫌いなのだ。
そして今回はもう一つ、彼女に頼みごとをした。
「祭祀の一週間前に開かれる村民会議に出てもらえないかな?」
遡ること一時間ほど前、僕はバーベキューの場ですみれさんにある相談をしていた。
「あの、すみれさん」
「ん?あら、わたし?なにかしら」
すみれさんはニコニコとした愛嬌のある笑顔で応対してくれた。
「知り合ったばかりで不躾なのは承知の上なんですが、ちょっとご相談がありまして」
彼女は手にしていたトングをテーブルに置くと、僕の空いたグラスにビールを注いでくれた。
「ありがとうございます。すみれさんは、ノンアルですか?」
「ええ」
僕は彼女が手を伸ばそうとしたデキャンタのルイボスティーを手にして、彼女のグラスに注いだ。
「ありがとうございます」
恐らくは年下の僕にも敬語で接してくれるすみれさんは、職場でもさぞ人当たりが好いのだろうと想像された。
「和夫さんから村民会議の存在を聞いたのですが、可能なら一度、琴音さん達に参加してもらうのはどうだろうか、と思ってるんです」
「琴音達に?」
「はい」
僕がペールエールを一口含むと、すみれさんもルイボスティーに口をつけた。綺麗なミラーリングだ。おかしな話だが、すみれさんが千種の母だと言われても違和感がないなと思った。
「伝統の継承について、彼女らが何を選択するか、それはもちろん彼女らの意思次第なのは親御さんである貴女に言うまでもありません。ただ、現状の村の意思決定の場の雰囲気というものを知ってもらうのも、悪くないのではないかなと」
すみれさんは真っすぐに僕のことを見つめながら、やや前のめりで話に耳を傾けてくれた。
「なるほど、考えてもみなかったけど、いいかもしれない。でも、琴音は出てくれるかなぁ」
すみれさんとしても、そこはやはり気がかりらしかった。
「すみれさんからお話いただいても、難しい、でしょうか?」
「どうかなぁ……でも、ちーちゃん達も一緒なら、もしかしたら。若菜ちゃんは出てくれないかもだけど」
そうやって困ったように笑うすみれさんに、僕は気づくと微笑んでいたと思う。少し、誇らしげに。
「大丈夫です、今の若菜さんなら、きっと出てくれます」
すみれさんは珍しいものでも見たような顔で僕を見た。そして、庭にいる若菜の姿を。
「そうなの。じゃあ、大丈夫ね」
「なになに、面白い話?」
そう言って、燈子さんと文乃さんも集まってくる。
三人が集まると何とも言えない迫力があり、僕は魔法で蛙にでも変えられるのではないかと思った。
すみれさんがこれまでの話を二人に簡単に説明してくれた。
「いいんじゃない」
「そうね」
燈子さんも文乃さんも異論はないようだった。
「時期はいつがいいかしら……あれ、基本的には三ヶ月に一回だから、祭祀前のを逃すと、もう随分先になっちゃうのよね」
彼女らの進路の最終決定のことを考えると、それで少し遅い気がする。
もっとも僕としては裏の目的の方が重要ではある。琴音が村のことを客観的に見つめ直すことで、ソトの世界の理想化を緩和し、「彼」に対しても少しでも冷静に対応できるようにしたい。
そんな遠回りなやり方が本当に功を奏すのかは疑問だったが、やらないよりはマシに思えた。それに、そういうことを抜きにしても、三人にとって良い経験になる気がした。
「ちょっと慌ただしいけど、やっぱり祭祀前の村民会議で、祭祀の話の前か後から参加してもらうのが良いかも。わたしがファシるから、そこは和夫さんと相談して調整してみるわ」
すみれさんの役場職員としての一面が顔を出す。
「多分、観光振興の話と、EV環境の整備が議題になるはず、たしか」
どちらも門外漢のテーマだったが、いい機会だ。僕も考えてみよう。
そして現在――
「すみれさんからも改めて話があると思うけど、若菜ちゃんや千種さんも誘う予定。どうかな?」
琴音が目を泳がせていた。
「もちろん、無理強いはしない。でも、以前も言ったけど僕から見てこの村は結構現代化が進んでる。琴音さんがソトに出て、その後そのままソトで生きるにせよ、村に戻るにせよ、それは村の現在を知ってからでも遅くはないと思うんだ」
「千種たちも一緒なら……ちょっと……考えてみます」
良かった。ここでも繋がった絆が活きてきている。
今回こそは、上手く物事が回っていくのではないか。そんな手ごたえがあった。
当日、それは集会所内の会議室で行われた。
和夫さんを議長に、すみれさんがファシリテーターとして前方に座っており、稲葉さんや、その他何人かが参加していた。各々何かを代表しているのだと思うが、一見しただけでは、よく分からなかった。
午前中に祭祀についての話をしていたらしく、僕らは午後から参加した。
まずは観光振興の議題から始まったが、始まる前から既に場には不穏な空気が漂っていた。
皆、乗り気でないことは一目瞭然だった。でもそれはそうかもしれなかった。巫女の伝統の秘匿性を考えれば、迂闊なことが出来ないだろうと思われた。センセーショナルに扱われでもしたら、彼女らのプライバシーが危険に晒される。
「あんまし、うるせぐなるのは、好かねえな」
ぽつりと、独りの熟年男性がそう漏らした。同調するように頷いている人もちらほら目につく。
次いで意見を述べる者がいないことを認めると、すみれさんがコメントした。
「そうですよね。わたしもこの村の落ち着いた雰囲気、好きです。そういう風に思ってらっしゃる方は多いと思いますから、進めていくとしてもエコツーリズムの文脈に沿って、時期や人数で絞って進めていくのが良い気はしています」
否定も肯定もしない。会議ではよくあるムードだ。
「気持ちは分かるがの。とはいえこのままだと村は本当に廃れていく。無論、それも世の定めなのかもしれん。じゃが若い世代に繋いでいくというのであれば、そろそろ変化が必要なのやもしれん」
和夫さんの視線が僕らに向く。威圧するような感じではない。眉を上げ、温かく促すようなニュアンスだ。
「わたしは……」
口を開いたのは千種だった。
「この村、好きです。いままで、皆さんにはすごく良くしていただきましたから。だから、出来れば、遺していきたいです」
誰かのグラスの氷がからりと鳴る音と共に、場の空気が少し変わった気がした。
「天燈も、本当は沢山の人に見て欲しいんです」
祭祀の日に夜空を飾る光の海。あれは、確かに美しかった。山間部の、木々に囲まれた環境の中で、幻想的な光景が広がる。
「すみません、それはどういったものなんですか?」
僕は危うく見てきたように話しそうになったが、今はまだ祭祀前だ。知らないふりをして、改めて千種から説明してもらった。
「そうなんですね、それは楽しみです。きっとすごく綺麗なんでしょうね。社から飛ばすのなら、西のバス停のあたりの高台から眺めるのも良さそうです。併せて村全体にも燈火を散らせば、綺麗かもしれません。僕は地元が奈良ですが、燈火会というイベントがありますし、佐賀のランタンフェスティバルや、参考になりそうなものを上手く取り入れて」
日中はお神乳の振舞いがあるから、厳密に時間を分けたり、別日にするなり調整は必要だろうが、そこはなんとでもなる気もした。
「村の中も光らすんなら、そげなの、若菜ちゃん得意だっけか?なんつったっけ?いんすたぐらむ?」
「インスタレーションアート!」
若菜が訂正していた。
「そういうのなら、全然やるよ、ボク」
若菜も乗り気のようだ。なんだろうか、もっと荒れるものと思っていたが最初だけで、今のところ穏やかだ。もちろん、実際に計画を進める上でまた衝突は起きるだろうが、千種や若菜の若い世代の声というのは、僕が思っている以上に力を持っているのかもしれない。
琴音の方を見ると、視線を長机の上に置いたまま、何かをじっと考えているようだった。そんな琴音が、今度は口を開く。
「スポーツツーリズム……」
皆の視線が琴音に集まる。怯むかと思われたが、こういう注目には慣れているのかもしれない。琴音は毅然としていた。
「鏡渕池で、レイクカヌーとかするのは、どうですか?いつも周りを走ってるんですけど、そういうのがあると、気持ちいいかもなってよく思うんです。サイレントスポーツ……うるさくならないスポーツですし、村の自然を見てもらうのも、悪くないかなって」
スポーツツーリズムにサイレントスポーツ、彼女なりに今日のために考えてきたのかもしれない。僕は思わず、目を細めた。
その後もいくつか案は出たが、今日はひとまずブレーンストーミングということで、次回までにすみれさんや和夫さんの方でも今後の進め方を検討するということで話は終わった。
二つ目の議題はEV環境の整備の話題だった。確かに今の環境ではガソリンの共有がかなり大変そうだ。農業用のトラクターなども最近では電動化が進みつつあると聞くし、急務なのかもしれない。
既に家庭でEVを導入しているすみれさんがメリットなどについて話したが、新しい技術そのものへの抵抗もある中で、琴音が診療所のカフェを利用した「EVカフェ」で若い世代が熟年層に向けたフォローアップをする案を出した。
(優等生然としている……)
流麗で理路整然とした説明。笑顔も忘れない。
学校での姿というのを初日のプール以外で見たことがなかったから、千種の語る琴音のイメージがいまひとつ僕の中で像を結んでいなかったが、今日のことでそれを実感した。
「お疲れさま」
会議の後、僕は琴音を労った。
「結人さんもね」
「どうだった?」
僕は他のメンバーが徐々にはけているのを確認してから、そう尋ねた。
「なんていうか、思ってたより全然フツーだった」
それは、なんとなくポジティブな評価のように聴こえた。
琴音が、村の男性らと話しているすみれさんの方を見やる。
「うん、フツー……もっと、ちゃんと見ないとね」
そう言って彼女は小さく息をついた。
「見たいものだけ見てるつもりなんてなかったけど……自分が傷つかないように、レッテル貼ってる部分は多かったかも。でも、それでやっぱり傷ついたらって、今でも怖い。どうしたら、いいんだろうね」
「……たぶん、その繰り返しなんだと思う。人に関わっていく以上は。だから、人と距離を置く時間があってもいい。それで気が向いたら、また人里に下りていけばいい」
「なにそれ、なんかタヌキみたい」
「化かし合うって意味では、タヌキみたいなものかもしれない」
「なんか、ヤだなぁ。私、人間がいい」
人間。人間とはなんだろう。そんなのは中学生が考えることだと、大人たちは言うかもしれない。でも、きちんと答えられる大人はいない気もする。そもそも答えがないと言えばそうだ。でもそれは、思考停止、現状維持、消費するだけの人生、そういったものと紙一重だ。
「そうだね」




